<1>美少年が語るのは夢なのか真実なのか悪役令嬢にはわかりません
その日はシャーロットにとって記念すべき日になる予定だった。
「シャーロット、支度はもう済んだかい?」
父であるハープシャー公爵が部屋を覗き込んだ。
「あと少しですの、お父さま、もう少しお待ちになって、」
シャーロットは侍女達に仕上げの最終調整をして貰っていた。ピンクのドレスにはたくさんの白いレースがあしらわれている。
ゆるく巻き髪にした金髪に、白くて細い手足、長い睫毛に青い瞳の美少女である。小さくて可愛らしい顔に、赤い唇、薄桃色の頬のシャーロット。
「今日のシャーロットはいつものことながら可愛いな~。」
公爵はデレデレしている。金髪に翡翠色の瞳の公爵は、黙っていれば素敵な紳士なのだが、シャーロットには甘かった。
「お城に行って、婚約式終わったら、一緒に絵姿を書いてもらおうね、シャーロット、今日の記念にもう絵師は手配してあるんだ。」
公爵夫人も自身の支度を終えてシャーロットの部屋にやってくる。白銀髪に青い瞳の美しい顔立ちの夫人は、紺色の落ち着いた色合いのドレスを着ていた。
「今日も可愛いわ、シャーロット、もうこれで王子様なんてイチコロね。」
シャーロットは父方の祖母に似ていて、将来美人になるだろうと期待されていた。
今日は両親とともにシャーロットが王城に呼ばれて、王太子のミカエルと婚約式をするのだった。
国の王であるアーサー国王には、ラファエル、ミカエル、ガブリエルと、天使の名前のついた子供が3人いた。
ミカエルだけ男の子で、あとの二人は女の子だった。
シャーロットは母に連れられて何度かお城のお茶会に連れてこられたことがあったけれど、3人とも本当に天使のように美しい子達だった。
柔らかで透けるような金髪に、煌めく翡翠の瞳の子供達は大人しくて、子猫のように三人で固まっていた。
シャーロットはあまり社交が得意ではなかったので自分から話しかけに行くことはなかったのだけれど、手がかかり煩い弟エリックがいるシャーロットとしては羨ましくて仕方なかった。
「お前は大人になったらミカエル王太子殿下と結婚するんだよ、シャーロット。」
お城の大広間の扉の前で名前を呼ばれるのを待つ間、公爵は微笑んだ。
「今日も素敵な日になると父様は思うんだ。楽しみだな。」
シャーロットもそう思って、にっこり笑った。
つつがなく婚約式が行われて、シャーロットは自分の名前をサインした。10歳のシャーロットには名前を書くくらいは簡単なことだった。
ミカエルもサインしていた。睫毛が長いし、瞬きが少ない。顎くらいの長さの金髪が、時々頬に揺れている。ただ名前を書くだけの動作なのに、可愛くて胸がキュンキュンしてしまう。
え、今、私、何、考えてた?! シャーロットは動揺する。男の子に向かってキュンキュンとか! ありえないから!
顔を真っ赤にしているシャーロットにミカエルが微笑んだ。
「ねえ、あとで僕の部屋においでよ、シャーロット、」
「か、畏まりました。」
可愛い声に聞き惚れていたとバレないように、シャーロットは冷静なふりをした。
父も母も国王夫妻と話があるとかで、すんなりシャーロットをミカエルの部屋に送り出していた。
「仲良くするのよー。」
母は軽いノリで見送る。シャーロットはドキドキしながら、ミカエルについて行った。
ミカエルの部屋にはシャーロットしか入らなかった。メイド達は部屋の入り口で待つように言われていた。慣れっこなのか特に反応もなく、メイド達は部屋に入ろうとはしなかった。
「ね、座って、」
ソファアにシャーロットは座らされる。
ミカエルは座らないのか、部屋の奥に行ってしまう。閉じた扉の奥で何かをしているようだった。
「ミカエル様?」
不安になったシャーロットが呼びかけると、「ちょっとまってね~」と声が聞こえてくる。
「じゃん! お待たせ~。」
部屋の奥の扉から出てきたのは、可愛いドレス姿のミカエルだった。
「?」
シャーロットは目をぱちくりして目の前の可愛いミカエルを見つめていた。
どう見ても女の子だった。いや、女の子だ。
背丈はシャーロットより低いくらいのミカエルは、シャーベットイエローのふわふわしたドレスを着ていて、頭には白いレースのリボンをしていた。
「どう? かわいいでしょ?」
ミカエルは上目遣いにシャーロットを見る。シャーロットの隣にピッタリ寄り添って座るミカエルは、やはりどう見ても女の子だった。
「ミチルって呼んで、」
「え?」
「ミカエルって、ミチルって読むんだよ、」とミカエルはテーブルの上に置いたメモにさらさらと万年筆で名前を書く。シャーロットにはミカエルとしか読めなかった。
「僕ね~、前世でマサミチって名前だったんだけど、皆からはマリちゃんて呼ばれててね~、」
シャーロットの知らないカクカクした文字をメモに書く。「これでマサミチ。真理って書くからマリなの、」
シャーロットの頭は混乱してきた。
マサミチ? マリ? ミチル?
「あの、前世って?」
「ああ、僕、転生者なんだ。生まれた時から前世の記憶があってね。」
こともなげにミカエルは言う。可愛い顔してナニ訳のわかんないこと言ってるんだ、とシャーロットは思うが黙っておく。
「君は、悪役令嬢シャーロットと言われて断罪されて絞首刑になるんだよ、シャーロット、だから僕が君を救ってあげるね?」
「は?」
絞首刑? 断罪?
「悪役令嬢って何ですの?」
シャーロットはまずはそこから説明してほしかった。
「この世界はときめき四重奏っていう恋愛ゲームの中の世界なんだ。有名な絵師をゲストに迎えた作品でね。ビジュアルの美しさが売りの乙女ゲームなの。シャーロットはその世界で主人公ローズの恋敵役なのね。僕、前世でナオちゃんとこのゲームをプレイしたことがあってね。」
「ナオちゃん?」
「ナオちゃんは僕のお姉ちゃんね。僕の事、男の娘っていって女装の趣味にも理解してくれて楽しかったんだよね~。」
「おとこのこ? 女装? 趣味なの?」
シャーロットは驚きのあまり声が裏返っていた。
「今も女装は趣味なんだけどさ~、前世の僕以上の可愛さじゃない? なのに前世よりも女装が制限されてるっておかしくない?」
それはあなたが王子だからでは? とシャーロットは心の中で突っ込みを入れるが黙っておく。
「でね、話は戻すけど、その四重奏ってゲームで、主人公のローズが攻略していくのが4人の男子でね、」
「攻略?」
「そっか、この世界じゃ攻略とか言わないのかな。恋愛ゲームなんだから、恋愛して自分のものにしていくと勝ちなんだよ。そういうの、攻略っていうの。」
ミカエルは可愛い口をとがらせる。
「その攻略して最後に結婚っていうのかな、恋愛の対象になったらクリアなんだけど。まあ、そういう乙女ゲームなんだよね、それの攻略対象者なのね、僕。」
「4人のうち一人がミカエル様で、他にもいるんですね、対象者が、」
「うんとねー、シャーロットの弟のエリックでしょ、宰相の息子のリュート、隣国の王子のサニーの4人だよ。」
「エリックもですか?」
あの煩くて面倒くさい弟が恋愛ゲームの攻略対象者?! シャーロットは訳が分からなくなってくる。弟は一つ下なのでまだ9歳だ。
「あの、それってもう始まってます?」
「まだ。君も15歳になったら国立の学校に入学するだろう?」
「ええ、恐らく…。」
15歳になったら貴族の習わしで国立の寄宿学校に3年間通う事が決まっていた。全寮制で、貴族はもとより、裕福な商人の平民の子供達も通う学校だった。12歳から3年間基本学校に通って基礎を学び、15歳から寄宿学校でより深い知識を身につけるのだった。
「寄宿学校でしたわよね?」
コースが統治、武芸、商業とあって、自分に合いそうなコースで自分の好きな事を学ぶのだ。自立を掲げるこの学校で、貴族の子供達は自分のことは自分でお世話出来るようになるのだった。
「その寄宿学校に僕達が入学した頃、ゲームは始まるんだよね。」
「もう決まってますの?」
「ゲームだからね。終わりも決まってたよ。ローズが主人公でさっきの四人以外にもいろんな男の子と仲良くなって、いろんな男の子の婚約を破棄させるんだ。」
「そんなことが可能ですの?」
婚約は個人ではなく家同士の約束だ。婚約破棄などしたらお互い利益がなくなり損となることが多い。
「このゲームはローズが、僕とシャーロットの婚約を破棄させるためにいろいろ頑張るゲームなんだよ。味方を増やす為には、いろんな男子生徒の協力がいるでしょ?」
「まあ、」
現実離れしすぎて他人ごとに思えてきているシャーロットは、「それでそれで?」と合いの手まで打ち始める。
「ローズっていうのは男爵家の先代の忘れ形見でね。育ての親が病に倒れて、薬を買うために身分を証明する巻物をもって男爵家に現れるところから、物語が始まるんだ。」
「なんてお気の毒な…。」
「でね、現当主の妹だってことで、育ての親には今までのお礼ってことで病院は入れるし、治っちゃうし。ローズは男爵家で令嬢として暮らし始めて、教養を深めるために寄宿学校に通い始めるんだよね。」
「寄宿学校に通うんですか?」
「そうなの、そこで出会うから物語が始まっちゃうんだよね~。」
シャーロットは学校に通いたくなくなってきていた。面倒事が待っている学校ではなく、もっと別なところへ通いたい。
「僕はシャーロットの一個上じゃない? 一人一個上の学年で、シャーロットとローズは同じ学年。エリックは飛び級してるし、僕以外の攻略者は同じクラスになるんだ、すごいよね。」
「学年が違うのにどうやって断罪とか、私が絞首刑とかいう話になるんでしょう?」
シャーロットは納得がいかなかった。
「僕の卒業パーティで、君がいろいろやった仕打ちが暴露されて、君の婚約者である僕が怒り狂って、清らかな乙女のローズを選ぶんだよ。そこでゲーム終了。君は退学させられて、エリックルートでもリュートルートでもサニールートでも、君は断罪されてひどい目に合うんだ。」
「えっと…、身に覚えのないことでもう未来が決まっているとか、どういう訳なんでしょう…。」
シャーロットは理解に苦しむ。4パターンとも私がひどい目に合うゲームって、考えた人おかしいわ。
「でもね、安心して、シャーロット。僕はこのゲーム、徹底的にフラグ折りまくるから!」
「フラグ?」
「これが来たらこういう未来になるっていうパターンのことかな、僕はこのゲーム、ナオちゃんと何度かやってるから、回避できちゃうんだからね、」
「あの、」
シャーロットはひとつ、疑問を抱いた。
「どうしてそんなことをするんです? ミカエル様は婚約破棄したくないの?」
ついさっきしたばかりの婚約式を、シャーロットは思い出す。私のことが好きでこういう風に言ってるのだろうかと、少し期待してしまう。
「何故って、君と結婚するのが一番楽ちんそうだから!」
ミカエルはふんぞり返って宣言した。「僕は君と結婚するからね!」
「はい?」
シャーロットはいつものお上品な微笑など忘れて、びっくりした顔になっている。
「君は公爵家の娘だ。資産もあるし、後ろ盾としては最高だね。君の弟は将来優秀な領主になるだろうし、僕のために働いてくれそうだし?」
「ええ…、私の弟はそうなるように育てられてますから…、」
シャーロットは思案顔になる。弟は優秀にはなれそうだが、だからと言ってミカエルを好きかというと別の話だと思う。
「それに引き換え、ローズは男爵家の娘だぞ。後ろ盾にこっちがなれと言われそうだ。僕は苦労しそうだし、楽できないじゃないか。」
「ええ…、あなたは王家の王子様ですからね…、」
そりゃ当たり前だよねとシャーロットは思う。王家を後ろ盾に欲しい貴族なんていくらだっているだろう。王子様なんだから苦労でもなんでもしたら?とも思う。
「シャーロット、人には向き不向きがあるんだ。僕は楽ちんが大好きだ。婚約者がいる身でありながら別の女性を愛するとか、嫌なんだよね。」
ミカエルがまともなことを言ってる!
「不誠実だからですか?」
うーんとミカエルは首を傾げた。その仕草が可愛くてシャーロットはキュンキュンしていた。今ならなんでも許せる気がした。
「とにかく、君には僕の秘密を打ち明けたんだから、協力するんだよ?」
がっかりしたシャーロットは、手を掴まれて、いいね、と小指を結ばされる。
「なんですの?」
「指きりだよ、ゆーびーきーり、」
庶民の文化など知らないシャーロットは、首を傾げてしまう。
「いい? こうやって、約束するの。ゆーびーきーりげんまんうーそーつーいたらシャーロットは僕のお嫁さんになーある、ゆーびきった。」
ミカエルはぶんぶん手を振ってから離した。
「協力を拒んだら結婚するんですか?」
「協力しても結婚するけどね。」
可愛いミカエルの満面の笑みに、シャーロットは眩暈を覚えた。
ミカエルってこういう子だったっけ?と、自分の記憶が不安になってしまった。
ありがとうございました。