●●の存在証明理論
前回の間章の続きです。
私の望みを語るには、まずは私の生まれた時のことを話さなければな。
私が『黒名蘭子』になったのは四年前、蘭子が中学三年生のことだ。
『どうせ捨てる命ならば、私にくれないか? うら若い娘の魂と体など貴重なものでな』
無為に首吊りロープに投げ出そうとする哀れな命に声をかけた、そんな些細な出来事がきっかけだった。
死の間際にあって、自分の魂を売り渡す人間は意外と少ない。自分はまだ輪廻に戻れると思っているのか、それとも極楽浄土が実在するとでも思っているのか。
だが黒名蘭子は二つ返事で私の誘いに応じた。故に私は『黒名蘭子』となった。
魂を相手に取り引きする私のような存在を人間どもは『悪魔』と呼ぶそうだが、昔から私は私でしかない。他者からの呼び名などに興味はない。
だが魂を頂戴するのだから見返りをくれてやるのがマナーというものだ。私とてそのぐらいの分別はある。だから、私に良質な体と魂を譲ってくれたお得意様に、何を望むのかと問いかけた。
育児放棄し、碌に飯も食わせてくれず外の男にうつつを抜かす母親への報復か。
それとも子を作った責任を取らずに逃げ回りのうのうと遊び暮らす男を地の底まで追いかけて見つけ出すことか。
そうして痩せて小さいままのみすぼらしい彼女を虐めては楽しむクラスメイトへの復讐か。
それらに見向きもせず、彼女はただこう答えた。
『私は、私が存在して良かったという証明が欲しい』
……実に頭を悩ませる難問だった。
黒名蘭子に成り代わった私は、困り果ててしまった。
報酬は先払いだった。受け取ってしまったからには支払いをせねばならぬ。だが、喰らってしまった者の存在価値の証明などどうすれば良いのか。
少なくとも彼女は誰も憎まなかった。
であれば、彼女に代わって誰かを断罪をする必要はない。
そもそも私が彼女の代わりに何か、例えば善行をして人様の役に立ったとして、それは『黒名蘭子』本人がが生きて良かったという証明になり得るのか? 私の腹を満たした、という意味で確かに『黒名蘭子』の魂は私に充足感を与えた。だが食べ物の本分を果たしたとてそれは彼女の望むところではないだろう。
「そもそも存在意義の証明とはどうすればいいんだ? 私は私である、それ以上に何がいる。私が何を成したかなど私が一番よく知っているではないか。なあ?」
「あ……ぐっ」
「おっと、すまない。力が入り過ぎてしまったね」
うっかり胸倉をつかんでしまった手を緩めかけると、男は悲鳴混じりに「は、離さないで!」と叫んだ。その呼気からは酒の匂いがした。
男の体は窓から半ばはみ出しており、私が手を離せば男は間違いなく落ちる。私の部屋は二階だが、打ち所が悪ければ死ぬかも知れない。
母が家に連れ込んだ愛人が、突然私の部屋に入ってヘラヘラ笑いながら殴りかかってきたのでうっかり返り討ちにしてしまった。正当防衛なので、これは誓って報復ではない。
すがるように私の手をつかんで涙目で見上げる男の顔に、非常に嗜虐心がそそられた。男の命は私が握っているのだとわかった。
その時、私は天啓を得た。
「私が手を離せば、お前さんは落ちる訳だがどうだろう。もし仮にここで私がパッと姿を消したとしたら……」
「ひっ」
「仮定の話だよ。だが、そうだね。仮定の話をした場合、今お前さんは『私がここにいて良かった』と思ってくれるだろうか? ん?」
壊れた人形のように何度も首を縦に振る男を見て、私はようやく分かった。
そうだ。
存在の意味だの価値だの考えるから難しいのだ。もっとシンプルでいい。
黒名蘭子という存在がなくては困る状況を作れば良いのだ。
皆が黒名蘭子を必要とすれば良い。
他の誰でもない、黒名蘭子でなければならない理由を用意し、皆を黒名蘭子に依存させるのだ。そうすれば間違いなく『黒名蘭子が生きて良かった証明』が成り立つ。
あぁ、我ながらなんと名案。
さっそく私はうきうきと今後の計画を練り始める。部屋の隅に放り投げたために部屋から命からがらに逃げ出した男が気でも狂ったかのように階下で叫ぶのと「だから言ったでしょ!? アイツはバケモンだって!」と母が訴える声が聞こえた気がするが、その時の私にはもはや興味などなかった。
私の行動指針は、この時にはっきりと決まったのだ。
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