惑う桜、決別の菜の花
夜桜、これは全部貴女のためなのよ。
ええ、分かっています母様。
お前は本当にいい子だな、夜桜。わたしたちの誇りだよ。
ありがとうございます父様。
必ずあなたがたの自慢の娘になってみせます。
「私は、姉さんを心から尊敬します」
菜子は静かに言った。
「あの両親の期待に、姉さんは応え続けた。姉さんは完璧でした」
「私は……」
違う。私は完璧ではない。
なら、この心の虚しさはなんだ。
お淑やかであろうとした。賢くあろうとした。お行儀の良い女の子を演じた。そうすればみんなが愛してくれるから。
実際に父様と母様は、私を愛してくれた。
なのに、どうして。
「私はダメでした。要領が悪かった。あの二人の期待に添った結果を出せなかった」
「菜子は、ずっと頑張っていたわ」
「努力だけではダメでした。あの二人は結果を出さなければ認めてはくれませんでしたから」
菜子が何度もきつい叱責を受けているのを私は聞いてきた。なぜこんなこともできないのか、怠けているんじゃないのか、努力が足りないお前以外の人間も努力しているんだから。
父様、母様。私は必ずあなたがたの自慢の娘になってみせます。
だからお願い。菜子をそんなに虐めないで。その子を私のようにしないで。
期待に応えることに必死で、意志を持たないような人形に。
「姉さん、私はずっと貴女がうらやましかった」
貴女は、私にならないで。
あれほどそう願っていたのに、どうして忘れてしまっていたのだろう。
「だけど、ある日気が付いたんです。私が当たり前だと思っていたことが、外の世界で
は全く当たり前ではないことに」
「え……」
菜子はまた微笑んだ。
その顔は、驚くほど優しげだった。
「知っていますか、頭が悪くても別に人生は終わらないんです。世界を回している人の多くは、父さんと母さんが凡庸だと嘲笑った人たちだった。嘘つきとみんなから言われていた男の子は真実しか話していなかったし、靴箱からはツチノコが飛び出し河原ではカッパが走るんです」
「ツチ……? カッ……?」
「父さんと母さんの言うことが全てだった私には、とても衝撃的でした」
菜子の言うことは少し分からなかったけれど、言いたいことは理解できた。
大学に通い始め、いろんな価値観の人たちと触れ合う機会が増えて、私自身が感じ始めた違和感をそのままにした言葉だったから。
そうか、菜子。貴女は私よりも先に気が付いていたのね。
私たちの家こそが普通ではないことに。
「私は、私自身でありたい。だから、帰りません」
高嶺の花だと言われた。
誰の手にも届かない、孤高で美しい誰もがうらやむ花だと。
それがどれほど孤独か知りもしないで。
私は目を閉じた。
「……うらやましいわ、貴女が」
「姉さん?」
「分かったわ、菜子。それからお友達二人も、撤回と謝罪を。今後も菜子をよろしくね」
頭を下げると、二人は慌てた様子だった。
間違えていたのは、私だ。
あれほど菜子は私ではないと思っていたのに、菜子に私と同じ道を歩ませようとするなんて。
菜子はもう大丈夫なのだ。
この子はもう一人ではないのだから。
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