●●は誘惑する
「どうした、忠士。続けたまえ」
「う……」
「何も恥ずかしがることではあるまい。私と君の関係だろう?」
「し、しかし、お嬢……! これではまるで……」
「蘭子」
「くっ……」
「二人きりの時は蘭子と呼んでおくれ。そう以前にお願いしただろう」
甘い声でおねだりしてみると、羞恥に真っ赤に染めた忠士の顔が背けられる。
「さあ、続きをしようか」
「ら、蘭子……」
「なんだね?」
「やめましょう……こんな……」
「何をためらうんだ? ……ふふ、あぁいいよ。君のその表情。そそられる」
「……ぁ」
「怖がることはない。大人になるために、誰もが通る道だからな」
「……ゃ、やめ……っ」
ガラリ、と委員会室の扉が開く。
「……何してんスか」
いつも私が座っている委員長席に忠士が座って突っ伏しているのを、入室した邦彦くんが冷めた様子で尋ねる。
「見ての通り、進路相談だが?」
「相談って雰囲気じゃないでしょうが」
仕方あるまい。
いつまでも進路希望票を書こうとしない忠士が悪い。
「そ、そうだ! 教室に忘れ物をしたんだった! 火急速やかに取りに行ってきますので失礼しますお嬢!」
邦彦くんが入って来たことを良いことに、早口で言い訳して部屋を飛び出していく。
耳まで真っ赤になっているのが遠目からでも分かった。
「くっくっ。全くイジメ甲斐があるなぁ、忠士は。愛いヤツめ」
「やめてやれよ。あの人が変な性癖に目覚めたらどうすんだ」
「そりゃあもちろん、とことん可愛がってやるとも」
机上には忠士の忘れて行った進路希望票が空欄のまま置いてある。
ペン先の彷徨った跡がはっきりと見てとれた。
「しかし、逃げられたか。私に希望進路を見られるのがそんなに嫌かね」
「大学進学じゃないんスか?」
「いや、起業も検討しているらしい。アヤカシ関連の仕事がしたいそうだ」
「完全にアンタの影響だな。そこまで分かってんなら、無理やり聞き出す必要ないじゃないですか」
「どういう訳か、私に起業の話をするのが恥ずかしいらしい。たまたま先生から聞いたものでな、本人の口から聞きたいと問いただしたらあの調子だ」
まあいい。卒業まで時間はまだまだある。
ゆっくりと締め上げ……いや、宥めすかして真意を聞き出せば良いだろう。
「素が出てんぞ、先輩」
邦彦くんが落ち着きを払って指摘する。
「おっと」
私は口元に手を触れ、歪んだ笑みを正す。
いけない。つい油断してしまった。
どうにも邦彦くんの前では取り繕う必要がないからか気を抜いてしまう。
私が仮面を被り直す様を見ていた邦彦くんが、小さく何かを呟いた。
「心の底から同情するぜ。こんなバケモンに目ぇつけられちまうなんてな」
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