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うちの学校はおかしい  作者: 駄文職人
晴海菜子の場合

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春と桜とツチノコと

 私の家庭内事情は、この際はしょりましょう。

 とりあえず、勉学に熱心でない末の娘に親が愛想を尽かしたのだ、とだけ補足しておきます。完璧な娘は二人もいらないのです。


「だからって、出て行くことはないんじゃない?」


 おろおろと姉は私を止めました。

 なにせ私は高校入学と同時に、たまたま学校近くにあった祖父母の家へ引っ越すことになったからです。


 姉は心配げな表情を出すのがとても上手でしたが、それゆえに完璧すぎる気遣いが私にはどうにも打算的に見えました。


「大丈夫です。姉さんがいれば、うちは安泰でしょう」

「でもあなた……」

「外へ出て生きていけないほど、やわな教育を受けた覚えはありません」

「心配なのよ」


 姉は真剣な顔をして言った。

 それは心からの言葉でしょうか。それとも、姉として発された建前でしょうか。完璧に洗練された彼女の言葉は、もう私には響かない。


 それでも私はそっと笑った。ここ一年で、私は少し笑顔が上手くなった。


「できれば、その言葉を父さんと母さんの口から聞きたかった」

「菜子……」

「さよなら。姉さん。親不孝などとなじられるのは嫌なので、年に一度くらいは顔を見せるようにします」


 私が貴女のようになることはない。




 そして私は今の高校に入学しました。

 瑞明高等学校へ。





 入学式。

 新入生オリエンテーリョン。

 桜舞い散るこの季節、本来ならば記憶に刻まれるはずのこれらのイベントは、私の脳裏にかすかも残っていません。


 覚えているのは。


「はっ?」


 背後でふいに聞こえた驚愕の声。周囲で伝播する悲鳴。

 私が振り返ると、なにやら得体の知れない物体が視界をかすめました。


 黒とも褐色とも黄色とも言えない、そんな生き物は昇降口に殺到する生徒たちを嘲笑うように頭上を飛び上がったのです。

 どうやら、とある生徒の下駄箱の中に潜んでいたのでしょう。先程の声は、開けた瞬間に靴以外の物が入っていたことへの驚きだったのです。


 当時は今ほどオカルトに詳しくなかった私でも、それが何かすぐに分かりました。


「ツチノコ!」


 誰かが指差してそう叫んだのと同時に、私は上履きのまま駆け出していました。


 ああ。

 そうだ。




 私は、この瞬間を待っていた。





 一升瓶を丸のみしたかのような形の蛇を、新生活に心躍らせるこの日を混乱に陥れたその生き物を、私はひたすらに追いかけました。

 まだ折り目の取れない制服を押しのけ、人の流れを逆らい、頭上を跳ね回るツチノコを目指して。

 周りの迷惑そうな目も、文句も悪態も、まるで気になりませんでした。スカートのプリーツが翻るのもおかまいなしでしたから、私は相当はしたない恰好で走っていたと思います。


 走りながら、私はずっと硬直していた心が興奮するのを感じました。

 努めてクールを装っていた仮面が剥がれたのです。

 大人であろうとしていた私は、この時確かに子どもに戻ったのです。


 ああ、私はずっとこの瞬間を待っていた。


 当たり前が覆る瞬間を。常識の枠を踏み越えるその一歩を。日常が非日常へと移り変わるその刹那を。




 私は確かに待っていた……!




 この時は、恐らくただ迷い込んだだけであろうツチノコをどうしてやるつもりもありませんでした。ただやっと見つけた足掛かりを逃したくない一心だったのです。


 その時、私は人の波を抜けました。

 知らぬ内に、私とツチノコは人気のない校舎の裏手へと出ていたのでしょう。

 白状します。この時私は、その珍獣に心を奪われていました。

 だから、ツチノコの進行方向にうずくまっていた彼が何をしていたのかも、そして彼が何者なのかも私にはどうでも良いことだったのです。


「それ! 捕まえてください!」


 大声を出すことは行儀が悪い。

 父の教えが無に帰した瞬間でした。


 私の叫びに顔を上げた彼は、自分の顔面めがけて飛んでくる謎の生命体にぎょっとして悲鳴を上げました。

 それでも頭に着地する前に首根っこをつかんだのは、もはや器用だとしか言いようがありません。どんな瞬発力ですか。


「な、なにこれ!? 蛇っ!?」


 自分がつかんだものが何かも分からずにいたのでしょう。思わず放り出してしまいそうな彼を、私は必至で止めました。


「つ、ツチノコ……です」

「ツチノコっ!?」

「ええ………とある地域では……懸賞金一億はくだらない……とか」

「マジで!?」


 こいつが!? と目を白黒している彼を、私は息を整えながらようやく見ました。


 すれ違ったら忘れてしまいそうな特徴のない顔――つまり取り立てて悪い部分のない整った顔つきの彼は、学ランではなく瑞明高校指定のブレザーであったものの、私の記憶にあったものでした。


「今度は私が助けられましたね……」

「へっ?」


 手の中でツチノコをびちびち言わせている彼は、几帳面な黒髪ではなく金髪で上に逆立てていました。右耳に見えるのはピアスでしょうか。なんと。この一年でちょっぴりグレてしまわれたようです。


「あなたも苦労されたんですね」


 ついしみじみ言ってしまいました。


「? うん? あ、ありがと……。……?」


 以前は言葉を交わすことはなかったですが、変わった容姿とは裏腹に彼はどこか子どもっぽさを感じさせました。こちらが本来の彼の性格なのでしょう。

 ふむ。彼がいるということはもしや……。


「おい、あんた!」


 校舎の角を曲がって顔を覗かせた彼は、私たちを見るなり拍子抜けしたようでした。


「あんた、確か去年の……」

「お久しぶりですね。照間くん……でしたか」


 やはり、あなたでしたか。


「カッパの次はツチノコですか。なかなか数奇な人生を歩んでおられますね」

「……まさかツチノコって聞いた瞬間、捕獲に走るアホがいるとは思わなかったよ」

「何を仰います。一億ですよ一億。そりゃあ追いかけますよ」


 ウソです。何も考えていませんでした。


「それに捕まえたのは私ではなく、彼ですから」


 私が金髪の彼を指し示すと、彼はぷいとそっぽをむいた。


「おま……さっきから姿見ねぇと思ったら」


 ツチノコを抱えたままぶすっと膨れっ面をした彼に、邦彦くんは呆れた様子でため息をつきました。


「ここで何してやがったんだ」


 邦彦くんの言葉に、私は改めて彼を見ました。


 入学式当日とは思えないほど、彼の手は土まみれでした。ずっと膝をついていたのでしょう、新品の紺のチェックのズボンは薄汚れて叩けば砂ほこりが立ちそうです。


 そして彼の足元には。

 できたばかりの土の山と、その脇に立てられた一抱えほどの石が据えられていました。


「ちょうどそこで……」


 彼、の視線が門の方を一瞬向きました。


「……轢かれてた、から」


 口を尖らせてぼそぼそ言う彼は、そのまま押し黙ってしまいました。


 お墓を作ってあげていたのでしょう。

 桜の木の下で。この祝いの日に。


 私はそっとしゃがみ込み、あまりに粗末な墓の前で手を合わせました。


 その時、


「う、わっ!?」


 振り返ると、彼の手の中のツチノコが一際大きく跳ねたところでした。

 短い尻尾をつかんでいたからでしょう。とかげのようにツチノコは尻尾を切り捨て、彼の手から飛び上がったのです。


「あっ」


 声を上げたのは彼だったでしょうか。私だったかもしれません。


 完全に一升瓶の形になったツチノコは、私たちの見ている前で雑草の茂った奥へと逃げ込んだのです。追いかける間もない。見事な逃避行でした。

 彼はすっとんきょうな声を上げました。


「あぁぁっ! 一億!」


 まだびくびくしている尻尾を握りしめたまま、彼は私に向き直りました。


「ごめん! 逃がしちゃった!」

「ああ……かまいませんよ」


 どうせすぐまた出会うことになるでしょうから。


 あの胸の高鳴る、非日常に。


「本命はしっかり捕まえました」

「おい、待て。そう言ってなぜ俺の肩をつかむ」


 剣呑な目をしたカッパの川流れ氏が突っ込みました。

 おやおや。


「今更何を仰いますやら。私は今日確信しました。カッパ、それに先ほどのツチノコ……えぇ、間違いなくあなたは私の運命の方です」

「うんめ……は!?」


 ぐっと私は拳を握りしめました。


「もはや同じ高校に入学したということも、これは一つの託宣です。度重なる出会い、切っても切れない縁……どうです。なんだか運命を感じませんか?」

「気のせいだ! 俺はお前なんか知らんっ!」


 必至に首を振っている気がしますが、ここは気付かないふりをしましょう。


「私はぜひあなたという人間を解き明かしたい。あなたと、あなたの周りを取り巻くその不可思議な現象を。えぇ、みなまで言わなくても分かります。私は決めました。この晴海菜子、腹をくくりましょう。地獄の果てまでついていく所存です」


 きっと川を流れてきたあなたなら、くだらない常識も押し付けがましい正義も簡単に覆してしまうのでしょう。


 もはや泣きそうな顔をして友に助けを求めている邦彦くんへ、私はこの一年練習した笑顔を見せました。


「さあ、一緒に平凡の枠を越えましょう」




 危ない宗教の勧誘かと思った、と後に邦彦くんは語ります。

 人の告白をなんだと思っているのでしょうか。嫌ですね。

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