●●を惑わす者
深淵に消えていった邦彦くんを見送り、私は腕を下ろした。
「これまで、か」
内側からの圧力が消え、空に開いていた穴を閉ざす。脱力する感覚に、私は膝をついた。
かなり力を使い潰された。
再び大鬼を操り返すための気力はもはやない。膝についた手が無様に震えている。
私の、負けだ。
力なき者たちを、見くびり過ぎたのだ。
放っておいてもどうせ何もできやしないと決めてかかった、己の驕りが敗因だ。この体たらく、例え大鬼が解き放たれたとしても討ち取ることは困難だろう。
私の頭上に影が差す。
「今更、命乞いなどすまいよ。一思いにやってくれ」
大鬼の上腕が振りかぶられている。
叩きつけられればさしもの私とて無事ではすむまい。
私では『黒名蘭子』の価値を証明することはできなかった。
そればかりが、無念だ。
「だが、ただでやられると思うな」
口を裂けさせ嗤うのは敗者の最期の矜持だ。
指を鳴らす。
同時に、眼下で爆発が起きる。ガラガラと崩れ落ちる部室棟。万が一に備えて少々仕込ませてもらっていた。
大鬼が苦痛に絶叫した。
部室棟の下には、大鬼の足が封印されている。突然足を蹴り抜かれてはそうもなろう。無茶苦茶に振るった腕が私を逸れて振り降ろされ、校舎ごと大きく削り取った。
飛ばされた瓦礫と共に、私は宙に投げ出される。
このままでは下に叩きつけられるだろう。『黒名蘭子』の肉体は無事ではすまない。
そして、『黒名蘭子』の願いを叶えられなかった私の魂もまた、契約不履行で地獄の業火に焼かれることとなる。
私とは、そういう存在なのだ。
契約を至上とし、それを守ることに己の存在そのものを賭ける。我ながらなんとも高貴で、愚かな種族である。
だが、己が滅びることより、『黒名蘭子』へ恩を返すことができなかったことがただ悔やまれる。
それほどまでに、『黒名蘭子』として生きた数年は本当に楽しかったのだ。
「すまないな、友よ」
魂も肉体も与えてくれたお前は、間違いなく私にとってかけがえのない契約相手であったよ。
私のこの思いが、生きた証明を求めたお前にとって慰めになれば良いが。
空を仰いだ私は、来るべき衝撃に備えようとまぶたを閉じかけーー
「ーーーーっ!!!」
狼が、咆哮した。
驚いて目を開ける私の前で、瓦礫を次々に蹴って飛び込んでくる獣の姿が見えた。
その顔は、ひどく歪んでいて。
泣かないでおくれ、忠士。
結果はともかく、私はそれなりに満足しているのだから。
私の元へ辿り着いた忠士の毛皮がほどけていく。
「ーーぉっ、お嬢!!」
人の声帯を取り戻した忠士が、変身が終えるのも待てずにまくし立てる。
「貴女の証明は、俺じゃダメなのか!? 俺は貴女がいなきゃ生きていけない! 俺の居場所は『黒名蘭子』の隣じゃなきゃ嫌だ! 代わりの誰かなど考えられない!!」
なにを、言っている?
私は負けた。私の望みは終わったんだ。
私は、『黒名蘭子』は、もう神にはなれなくて。
『黒名蘭子』が生きてよかったという証明は、とうに破綻しているはずなのに……
「俺が望む! 俺がお嬢を必要とする! だからーー」
「俺を、貴女の生きてよかった理由にしてくれ!!!」
見開いた目玉がこぼれ落ちるかと思った。
手を引き、抱きとめられて真っ直ぐぶつけられた言葉は、ともすると悪魔すら惑うほどに
なんとも、甘美な響きだった。
コイツいつも落ちてるな。
次回1月22日7:00に更新します。
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