●●の本分
校舎の壁に爪を食い込ませてよじ登ってらしい人狼は、ズルリ…と柵を越えてきた。
一度は地面に叩きつけられたのかもしれん。頭から血を流してなお強い意志を宿して立ち上がる獣の姿は常軌を逸している。
「ひっ」
人狼に視線を向けられた千鶴くんは身をすくませ、静くんと邦彦くんは緊張に体を固くした。
これが常人の反応だ。
人狼とは嫌悪と恐怖の象徴である。
だが、人狼は全く意に介さぬ様子であった。
手に抱えていた荷物をポイっと床に放り出す。
「痛った!?」
毛皮に埋もれるように抱えられていた少女は、床にぶつけた腰を押さえて「もうちょっと優しく降ろしてよ!?」と非難した。
しかしながら、少女に怪我はない。
恐らく、忠士と身を挺して庇ったのだろう。背中にしがみついてぶるぶる震えているクマの守護もそれを助けたのであろう。
ザワリーー、私の奥で何かが黒く蠢く。
言葉で表すならば、不快感。
「生きていたか」
「ご生憎」
私のシナリオに「馬鹿じゃないの」と唾を吐きかけた小娘は、立ち上がって私へ真っ直ぐ向き直る。
「方々に迷惑かけて、神様殺して、好きな人に嫌な思いさせて、自分だけ助かる? それがハッピーエンドな訳ないでしょ。ただの利己主義の言い分じゃん」
「利己主義、結構ではないか。人間はそういう生き物だろう」
人間は欲深い存在だ。
自分とその周囲さえよければそれでいい。少し離れた同じ地上で殺人事件が起きようが爆弾が落ちようが、平和を謳歌して生きられるのが人間じゃないか。
「助けるなって言ったんだよ、あの人」
「なに?」
「誰かに迷惑かけるのを望んでないんだよ。じゃなきゃ自分が危険なのに、助けになんて来ないでくださいって言えるわけがない。『通りすがりの美少女A』だなんて言って、私に名乗りもしなかったんだぞ」
邦彦くんが息を飲んだのが分かった。
「おい、アンタそれ確かか!? 本当にそう名乗ったのか!?」
「? う、うん」
急にやぶにらみの少年に問い詰められて、小娘はまごついて首肯する。
クマの加護を得ながら、鬼の匂いがべったりとついているのはそういうことか。
この娘は深淵に潜り、菜子くんに触れたのだ。
「助けるな、か。無私の愛とは、ずいぶん泣かせるじゃないか菜子くん」
私に利用されるよりも、彼女は自分が犠牲になることを選んだのか。
どいつもこいつも、私の邪魔ばかりする。
「人を好きになるってそういうことだよ。愛する人のためなら何だってできるんだよ。アンタそういう経験ないの?」
「ないな」
なぜなら、『黒名蘭子』は誰にも愛されなかった。
周囲の連中は皆自分の快楽ばかり優先し、闇に堕ちていく彼女を誰も助けようとはしなかった。
少女の目からいつしか怒りが消え、憐憫がにじんでいた。
「アンタ、可哀そうだね。本当に自分のことしか見えていない。本当に神様になりたかったの?」
「決まっている。私は『私』の存在価値を証明するためにここにいる」
「神様になることがそんなにいいことなの? だって屋上で一人さみしくいるんだよ? ただそこにいるだけで感謝されると、本気で思ってんの?」
「知った風な口をきくな、痴れ者め……!」
もう限界だった。
これ以上邪魔をされるのはうんざりだ。
「貴様に何が分かる! 私は、『黒名蘭子』だ! 私は託されたのだ! 私は、『私』が存在することの価値を証明せねばならぬ! 皆から崇められる存在にぐらいならねば、与えられたものに報いることができんのだ!」
守り神となり祀られる存在になれば、『黒名蘭子がいて良かった』と証明ができる。
菅原道真も、空海も、同じように崇め奉られて歴史に名を残した。
それならば、誰にも文句のつけようもない。
「『黒名蘭子』の生に価値がなかったなどと、誰にも言わせぬ……!!!」
頂いた命に、相応の対価を。
それこそが私の本分なのだから。
次回1月20日7:00に更新します。
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