昔話の、その後で
積もっていく。
埃のように、年月をかけて少しずつ。
折り重なって徐々に黒く、染まっていく。
◯
小学五年生になった。
相変わらず京也はアヤカシを信じている。
この間なんて、女子トイレの花子さんならぬ、男子トイレの太郎さんがいるかもしれないと右から三番目をノックしていたのを見た。
悪戯に呼ぶのはやめろと言ったが、たぶんまたやるだろう。
「いい加減諦めろよ。アヤカシなんかいねぇ、それでいいだろ」
「邦彦くんは、嘘ばっかりだ」
嘘で構わない。京也にとって真実なら。
霊感のない京也が、アヤカシに会うことはない。
京也は、自分の後ろに降り積もっている白い浮遊霊の塊にも気が付かない。
呼べば呼ぶほどに群がってくるそいつらを、払っても払っても京也が呼び込み続ける限り際限なく増えていく。
京也にちょっかいをかけ続ける連中をどれほど追い払っても、まるでイタチごっこだ。
それを俺は、止めることができない。
「どうすりゃいいんだろうな……」
下校中、ひとりごちる。
アイツはもう俺の言葉に耳を傾けない。
だけど、このままじゃダメだと焦燥感ばかりがつのる。
どうすりゃいい。
アイツを巻き込んだのは俺だ。どうにかしたい。だけど、俺ではアイツを助けることはできない。
思考に没頭していた俺は、自分を取り囲んでいる影に遅れて気が付いた。
子どもぐらい背丈の、緑の皿どもの群れ。
「あっ」
よほど余裕がなかったんだろう。
そこがいつの間にか川のそばだと気付いていなかった。
そして、今日図工で使った野菜のいくつかがランドセルの中にあり、その内の一つがきゅうりだったと思い出したのは河童どもが飛びかかってきてからだった。
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「酷い目にあった……」
あんにゃろう共、きゅうりのみならず全ての野菜を軒並み持っていきやがった。
川に引き摺り込まれて、かなり下流まで流されたらしい。周囲を見回しても咄嗟に現在位置が分からない。
水を絞ったTシャツを着直した俺は、濡れた布の不快感にげんなりする。踏んだり蹴ったりだ。俺、この状態で今日帰るのか。
まだ水の滴るランドセルを背負う。
少し離れた所では、眼鏡をかけた同い年ぐらいの女子が、読みもしない本を膝の上に乗せてぼんやりと川を眺めていた。
不思議な雰囲気の女子だった。
溺れた理由を問われてうっかり河童に襲われたと説明しても、彼女は嫌な顔も話を合わせようとする愛想笑いもしなかった。
「なあ、バス停ってどっち?」
眼鏡女に尋ねてみると、俺がまだいたことに初めて気が付いたといった風にこちらに目を向けた。
「ここを左に真っ直ぐいったところです」
「ありがとう」
「どういたしまして」
物腰は丁寧だが、受け答えはまるで感情がなく空っぽだった。
人形と話をしている気分だ。
「そろそろ日が暮れるぞ。帰らねぇのか?」
なんでそんなことを尋ねたのか、自分でも分からなかった。
聞いたって仕方ないだろう。俺はこいつの名前も知らないのに。ここで別れたら、きっともう二度と会うこともないはずだ。だからこいつがこれからどうするかなんか気にする必要はない。
ない、はずだ。
「帰る……」
ぽつり、空虚に呟く。
感情が抜けた言葉だけが浮かんで、すぐに消えた。
「えぇ、そうですね。帰らなければ」
我に返ったようにそれだけ言い、義務感のように立ち上がる。
帰りたくないのだろうか。
家族と喧嘩したのかも知れない。気まずくて、河原で時間を潰していた可能性だってある。たとえそうだとしても俺には関係のない話だ。
「送ってこうか?」
にも関わらず、お節介をしてやろうと思ったのは、アヤカシの話をしても嫌な顔一つしなかった彼女への俺なりの誠意である。
眼鏡女は、少し目を見開いた。
「なぜ?」
「なぜって……アンタが帰りたくなさそうにしているから」
「ずぶ濡れのまま?」
「あー……」
濡れそぼった他所の学校の男子と、連れ立って歩く。
悪目立ちしかしねぇな、と気が付いて「悪ぃ、忘れてくれ」と謝った。彼女の知り合いにでも見つかったら逆に迷惑をかけそうだ。
眼鏡女は、小首を傾げて「お気持ちだけいただきます、河童の川流れさん」と無難な返事をする。
「風邪など引かれませんよう」
「お、おぅ」
「では、失礼します」
きっちり一礼して、彼女は踵を返した。
本当に同年代かと疑うほど綺麗な所作をする背中に、俺は「なあ」と最後に声をかける。
「友達の長年の夢を諦めさせるには、どうしたらいいと思う?」
失敗した。
これまで相談する相手もなくグルグル悩んでいたせいで、普段なら初対面相手に絶対しない質問をしてしまった。
恐らくもう会うこともないだろう彼女になら、と気が緩んだせいか。
それとも、彼女ならば揶揄せず答えてくれると期待したからか。
眼鏡女は足を止めた。
思考の間の後、彼女は事情も理由も聞かないまま、「無理でしょう」とすっぱりと答える。
「他人の考えを自分の思い通りに変えようなど傲慢ですよ。その人の望みは、その人のものです」
「……っ」
「そう、ですね。無理なんですよ」
自分の言葉にどこか腑に落ちたように、彼女は「そうですよね」と何度も繰り返した。
「私の心は、私のものです」
不意に、彼女はかけていた眼鏡をむしり取り、川へ放り投げた。
あっという間の出来事だった。
呆気に取られる俺の前で、清々したとばかりに満足げに彼女は歩き出した。
先程までよりずっと軽い足取りで帰路につく彼女は、一筋差し込んだ夕陽に照らされていた。
そんな彼女を見送りながら、俺は思わず呟いた。
「アイツ、伊達だったのか……」
どんなアヤカシに会うより不思議で、とても浮世離れした出会いだった。
次回12月29日7:00に更新します。
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