三人目 後編
「ふぅ……」
口から息がもれる。作業の手を止めて、一度大きくのびをする。ずっとしゃがみ込んでいた体からは、パキパキと音が鳴る。
美化委員の仕事の一環として、雑草の除去に従事していたかれんに近づく影があった。
「誰?」
ここは自分の持ち場だ。美化委員の人数はそう多くないため、仕事は基本的に一人だ。割り振られる範囲の大きさを考えると、他の委員が手伝いに来たわけでもないだろう。
不思議に思って振り向いたかれんは驚愕に目を見張った。
「「私たちは、神見習いだ!!」」
そこにいたのは、自らを神の見習いと称し、人を笑顔にすると豪語する二人の少女がいた。
「!」
かれんは自分がどんな言葉を投げつけたか忘れていない。怒りもいまだ心中に燻っている。
イスズとロカは、剣呑な視線を正面から受け止めた。目をそらさずにかれんを見据える。
「あんたたち。いったい、何の用よ」
低い声が出た。獣が威嚇するときに出す声に似ている。
「君を笑顔にしに来たの!」
イスズの声が響く。かれんに叩きつけられた言葉に動揺していたのが嘘のように、堂々としている。かれんが気圧されたように半歩後じさりした。
「笑顔って、だからあんたたちは――」
「私たちは、神になるために、人を笑わせる」
かれんを遮り、イスズが静かに言葉を紡ぐ。
「私たちは、神になって、もっと多くの人を笑わせる」
ひるんだかれんに、ロカが言葉を継ぐ。
「私たちは、他の誰かじゃなくて」
神とは、人間の信仰に依って起つモノ。
「私たちのために、人を笑顔にする」
神とは、人間の想いを聞き届けるモノ。
「だから! 悲しい顔をしないで」
ただ気まぐれに、ただ自由に。
「笑って! 私たちが手伝うから」
人間の畏怖を、恐怖を受け入れるモノ。
一切逸らされることのない二対の視線にかれんがたじろぐ。
「な、なによ、なんなのよ!」
悲鳴がほとばしる。自分の心に留めておくには大きく育ちすぎた感情があふれ出す。
「大丈夫だよぉ」
「なにがよ! 何も大丈夫じゃないわ!!」
ロカの間延びした口調がかんに障る。それ以上に、根拠のない慰めが感情を逆撫でする。
「大丈夫、大丈夫」
「だから、何がって――!!」
かれんの怒声が不自然に途切れた。ロカが勢いよく抱きついたのだ。衝撃にたたらを踏んだかれんに、さらにイスズが抱きつく。
「ごめんねぇ、君の悲しみが私にはわからない」
「でも、だから話を聞かせて」
口に出さない感情を察することはできない。だから教えてほしいのだ。何に憤り、何に哀しみ、何を望んでいるのかを。
「はっ、人を笑わせるとか、言っといて、けっきょく、なんにもできないのね……」
自分に抱きつく二人をけなそうとして、声が震える。視界が滲み、のどの奥で呼吸が絡まる。
「うん、そうだね。私たちは簡単なことしかできない」
「君を笑わせるのは『簡単なこと』じゃないけどぉ、絶対笑顔にする」
涙がこぼれた。こらえきれなかった一粒が頬を転がり落ちてしまえば、もう止めることはできない。後から後から雫があふれだす。
「大丈夫だからぁ」
「どうか、話を聞かせて」
ロカの声がするりと耳に滑り込み、イスズの言葉が心を溶かす。
かれんを抱きしめていた二人には、強張っていた体が弛緩したのがわかった。はくはくと数度口を動かしてから、かれんの心が言葉になる。
「私も、たくまが好きだったの」
「うん」
「りんかと、別れればいいって、思う自分もいやで」
「そっかぁ」
かれんの気持ちにひとつひとつ相づちを打つ。
「私たちがりんかを応援したから、かな」
「でも後悔はしてないよぉ。りんかは笑ってた」
イスズのつぶやきをロカが静かに否定した。
「……わかってる。ただの、八つ当たりだった」
りんかは笑っていたのだ。かれんもそれを知っている。膝から力が抜けた。抱きしめた体が脱力したのに合わせて、二人も慎重に腰を下ろす。
「りんかは、私の友達なの。親友よ」
親友だからこそ、想いを告げられなかった。りんかとたくまが幼なじみなのは聞いていたし、りんかがもうずっと片思いを続けていたのも知っていた。
りんかがかれんに恋愛相談を持ちかけるようなことはなかった。ときたま抑えきれないようにたくまへの対応を相談されることはあっても、積極的な話は――
「あ、そっか」
「?」
やっと気づいた。自身に抱きつく少女の不思議そうな視線を感じるが、今はそれどころではない。
「私、りんかの好きなたくまが、りんかを好きなたくまが」
好きだったのだ。
思い出す。りんかとのつきあいは高校に入ってから。意気投合して仲良くなった当初は、頻繁に相談相手になっていた。りんかの話を聞く内に徐々にたくまが気になりだし、それに反比例するように相談の回数は減っていった。
りんかは自分の気持ちに気づいていたのだろう。彼女がたくまの話をするのは、落ち込んでどうしようもなくなったときだけだった。それも、最近はずいぶん少なくなっていた。
気を遣われていたのだろう、と思う。自分がたくまへの恋情に苦しんだように、りんかも自分との友情に苦しんでいたのかも知れない。
「りんかに会いたい!」
声に出ていたことに驚くが、口にしてよりいっそう思い強くなった。
「りんかに会いたいの?」
いまだ抱きついたままのイスズに、大きく頷く。
「りんかはぁ、今は部活用のぉ、飲み物作ってると思うよぉ」
ロカがしばし宙を眺めてからりんかの居場所を教えてくれる。
「りんかに会いに行く前に」
イスズが袖でかれんの顔をこする。痛くはない、優しい手つきだ。イスズの手が離れると、顔がなんだかすっきりしていた。
「泣いたまんまじゃダメだもんねぇ」
納得と頷くロカに、涙をぬぐわれたのだと気づく。今更ながら、子どものように感情をあらわにしたことが恥ずかしく思え、頬に朱が散った。その様を微笑ましそうに見守られ、羞恥が募る。
「あの」
罰が悪いながら、けじめは付けなければない。立ち上がり、見習いだと名乗る二人から一歩距離をとる。深々と頭を下げた。
「ごめんなさい、嫌なことを言って!」
かれんの行動に目を見張ったのは一瞬で、ロカがすぐに笑みを浮かべ、イスズが両手を振る。
「いいよ、そんなことしなくて! かれんのおかげで、私たちも成長できたし!」
かれんの肩に手をかけ、顔を上げさせる。彼女にはやるべきことがあるのだ。
「お礼は良いからぁ、りんかの所にいってらっしゃい。大事な話だよねぇ?」
りんかに会って、改めて自分の気持ちを伝えて、想いを断ち切る。それが、かれんのするべきことだ。
美化委員の仕事が頭をよぎったが、最低限するべき仕事は終えている。それより今はりんかだ。
最後にもう一度頭を下げてから、かれんはりんかがいるだろう方へ向かった。その顔は晴れやかで、わずかに笑みが浮かんでいた。
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