~ P A S E R I ~
「よう、何でも食べる良い子ちゃんたち」
真夜中の路地裏は、声がよく響く。俺の声に奴らは立ち止まって、いぶかしげな目を一斉にこちらに向けた。雲間から月が姿を現し、互いの姿を照らす。
「チッ、刑事か」
黒スーツの男たちが、ぞろぞろと出てきて俺の前に立ち塞がった。その数三人。その内の一人が、後ろに立つ白スーツ姿の男に言った。
「兄貴、下がっててくだせえ。このアフロ野郎は、俺らが片付けます」
顔のいい優男、といった風貌の「兄貴」と呼ばれた男は、ふっと笑って一歩下がった。ということは、あいつが「遠的」か。
いかにも屈強そうな左の角刈りに、中央の顔も手足も細長い男。この二人は、恐らく雑魚だ。しかし、ニコニコと笑みを浮かべた、いかにもサラリーマンといった右の男から発せられる殺気に、俺は気を引き締めた。こいつ、できる。
「『BBB』幹部の遠的だな。下っ端3人の名は知らんが、お前らを違法『ONO』の容疑で逮捕する」
俺は自慢のアフロに手を突っ込み、パセリを取り出した。それを見て、角刈りが鼻で笑う。
「へっ、てめえ刑事のくせに『能力者』かよ。じゃあこっちも、遠慮なくいかせてもらうぜ」
角刈りがポケットから小さなタッパを取り出した。蓋を開け、中からつまみ上げたのは、形と滴る汁からして、恐らく「ナスのおひたし」だろう。細長も、いつの間にか右手でピーマンを弄んでいる。
「いくぞ」
俺はパセリを口に入れると、一気に噛み締め、奴らに向かって走り出した。奴らには恐らく、緑に光る俺の眼が、線となって向かってくるのが見えているだろう。狭い路地裏では、一斉に俺にかかることはできない。1体1を4回、それで4人を制圧できる。ゆえにこの場所を選んだ。さあ、最初はどいつだ。
角刈りがナスのおひたしを口いっぱいに頬張りながら駆け出した。その勢いのまま、俺に対し右腕を振り上げる。その右腕はさっきより3周りほど、スーツが破れんばかりに太くなっているのを俺は見逃さなかった。
パワー型、受けたらやられるな。
俺は角刈りとの距離を見計らって、一気に右足でブレーキをかけた。角刈りの右ストレートが、俺の顔めがけて凄まじい速度で振り下ろされる。俺は左手の手刀をその右腕の手首に添えて流し、わずかに軌道をそらせた。拳はギリギリ俺の頬をかすめ肌を切り裂いただけで、むなしく空を切る。その勢いを殺さないうちに、俺は体を反転させ、右腕を角刈りの脇に差し込んだ。
ふっ。
俺は鋭く息を吐くと、角刈りを担いだ右肩を、袈裟掛けに一気に振り下ろした。角刈りの足が地面を離れ、宙を舞う。角刈りの右ストレートと、俺の一本背負いを合わせた勢いで、その背中を地面に叩きつける。
どおん、という盛大な音を上げ、地面が揺れた。男は白目を剥いて、完全に気絶している。背骨も折れているだろうし、まず戦闘不能とみていい。まずは一人。
一息つきたい所だが、二人目が素早く俺の背後に迫る足音が聞こえた。振り返る時間はない。足音の軽さから、恐らくは細長の男だ。俺は細長の顔があるだろう位置へと、裏拳を横薙ぎにふるった。手ごたえはない。視線を向けると、細長が顔をわずかに後方へそらせて裏拳をよけ、前蹴りを俺の腹に放つのが見えた。避けられない。俺はスウェーバックで力を後ろに逃がしたが、それでも若干体がよろけた。舌打ちする間もなく、細長の鋭い左ボディーが、俺のみぞおちを突く。俺は吐き気をこらえながら、大股で2歩後方へ下がった。先ほど切れた頬から、血が滴り落ちる。
「遅いねえ、遅すぎるぜあんた。緑に光るその眼はお飾りか?」
細長は余裕の表情で、懐からまたピーマンを取り出して齧った。こいつも肉体強化系だが、角刈りと違ってスピード重視に、長い手足のリーチがある。俺はアフロに手を突っ込み、中を探った。確か、持ってきてたはずだが。
細長は苦虫を噛み潰したような顔でピーマンを放り投げると、素早く間合いを詰めワンツーを放った。それを下がって躱すと、目当ての物をアフロから引っ張り出した俺は、足をとめて半身の構えを取った。細長は再びワンツーを放つ。ジャブを左腕で捌くが、右ストレートが俺の鼻を打った。俺はのけぞらない。継ぎ目のない左フックが俺の顎へと決まった。続いて、右のアッパー。美しいコンビネーションだ。だが。
俺はメリケンサックを嵌めた右の拳を、全力で細長の顔へと叩き込んだ。顔のつぶれる気色の悪い音がして、細長が地面に倒れ込む。
「お前は速いが、パワーが足りなすぎる。2、3発くらう覚悟があれば、一撃叩き込む隙は作れる」
ナイフでもあれば話は別だが、そこまでアドバイスをする義理はない。俺は前方に目を向ける。しかし、そこには遠的がいるだけで、あのサラリーマン風の男の姿はない。どこへ行った。後ろへ回りこまれた可能性は無い。ならば。
俺は上から聞こえた空を切る音、いや空を斬る音に、慌ててその場から後方へ飛びのいた。直後、俺がいた位置へ深々と日本刀が突き刺さる。俺は後転し姿勢を整えると、日本刀を地面から引き抜くリーマンを睨みつけた。リーマンは笑みを絶やさないまま刀をゆっくりと中段に構える。
やや長物の刀は、本来なら狭い場所では不利なはず。だが、リーマンのたたずまいに隙は無く、無様に刀が壁にぶつかるような姿など想像だにさせない気迫があった。剣先に込められた殺気が、真っすぐ俺に向けられている。俺は唾を飲み込んだ。踏み込む余地など論外。俺はメリケンサックを嵌めた右の拳を前に伸ばし、逆半身で剣先の動きに、集中力の全てを注ぎ込んだ。
「こないのですか。では、こちらから」
リーマンは言い終わるより早く、俺の喉元へ素早い突きを放った。俺は刀身をメリケンサックで打ち払う。軌道をそらされた剣が、俺のアフロに突き刺さった。リーマンは素早く刀を返し、アフロを上へ切り裂ながら引き抜く。そして、瞬間的に一歩間合いを詰め、左袈裟に刀を振り下ろした。退けば死ぬ。一センチずれただけでも、死ぬ。俺は覚悟を決め、右拳を刃に合わせるように全力で振り上げた。金属がぶつかる音が響く。
俺は下に弾かれた右腕を引き戻し、下がって間合いを取った。リーマンが、ほう、と関心の声を上げる。何とかメリケンサックで受けることはできたが、リーマンの凄まじい剣撃に、メリケンサックは真っ二つに割れていた。右腕も鈍く痺れている。奇跡は、二度はない。
「あれを躱すとは、これ程の使い手は久方ぶりです。では、私も本気で行きますか」
リーマンは懐から、納豆のパックを取り出した。ということは、さっきまでこいつは「能力」ではなく、剣の達人としての実力だけで戦っていたことになる。冗談だろ、と思わず笑いがこぼれる。「能力」が何であれ、これ以上強くなられたら、俺では確実に勝てない。それに何より、納豆は俺も大嫌いなんだ。
リーマンは礼儀正しく正座をして刀を地面に置くと、納豆を箸でかき混ぜ始めた。時折箸を持ち上げては空気を混ぜ、再びかき混ぜる。
ん?
俺は一跳びでリーマンの目前に迫り、その顎を思い切り蹴り上げた。リーマンの頭が体を伴って、サッカーボールのように宙に飛び上がる。そしてリーマンはそのまま地面に倒れ込み、二度と起き上がることは無かった。その体に、よく混ぜられた納豆が降り注ぐ。
剣の構えに隙は無く、放たれる剣撃は全て達人の一閃だった。だが、戦闘中に呑気に納豆を混ぜ始めるとは……こいつ、アホなんじゃないか。能力を見てみたかった気がしないでもないが、まあ取り調べの時にでも聞くとしよう。納豆が嫌いとは、俺と気が合うことだろう。
俺は斬られたアフロの形を整え、割れたメリケンサックを右手から外してアフロにしまった。横たわる三人の体をよけながら、遠的に歩み寄る。遠的は不敵な笑みを浮かべ、俺に言葉を投げかけた。
「思い出したぞ。パセリみたいなアフロをした、パセリの能力者。毒を以て毒を制す、『ONO』を取り締まる警察の極秘組織のエージェント。コードネームは……」
――『PASERI』。
俺は足を止めず、遠的も言葉を続ける。
「殺す前に一つ問おう。『ONO』がなぜいけない? 我々は一般市民を傷つけるわけでもなければ、合法ドーピングでスポーツ競技に出るわけでもない。ただ、ヤクザ者同士の抗争に、能力を使っているだけだぞ」
『ONO』――正式名称『Oisic Nale Operation』。脳をいじることにより、「嫌いな食べ物」を食べることによって、超人的な力を得られるようにする特殊な手術。
「我々『BBB(暴飲暴食ボーイズ)』は、好き嫌いを克服しようと頑張っているだけなんだよ、PASERIくん」
遠的が、いかにも人を小馬鹿にするようにお辞儀をした。俺は鼻を鳴らす。
「御託はいい。犯罪を凶悪化させる『ONO』は、根絶やしにせねばならん。そのためにも、お前には吐いてもらうぞ。『ONO』を振りまく元凶、『Doctor.OKAN』についてな」
それは無理だね、と遠的は言うと、指をパチンと鳴らした。すると、俺の後方にぞろぞろとスーツ姿の男たちが現れた。遠的の仲間か。どこから湧いてきたのやら、この狭い路地裏に続々と詰めかけてくる。
「3人に手こずっている間に、応援を呼ばせて貰ったよ。まあ、高々30人だ。さっきの10倍頑張れば、倒せる数だぞ」
その予想を遥かに超える数に、思わず俺は舌打ちした。あの3人ほどの使い手はいないだろうが、流石に連続で30人を相手取るほどの体力は、今の俺にはない。それに最悪なのは……。
「ああ、言い忘れていたよ。彼らは『ONO』を受けていなくてね。銃しか使えないが、勘弁してやってくれ」
遠的が高らかに笑うと、男たちが銃を取り出し、銃口を俺に向けた。
万事休す、か。俺は10秒後の未来を悟った。銃の一つ二つならともかく、これだけの数の銃口の回避は不可能だ。遠的を倒そうにも、それより早く銃弾が俺の体を貫くだろう。そして遠的には、銃弾を防ぐ『能力』があるに違いない。巻き添えも叶わないだろう。
「それでは、おやすみPASERIくん。楽しい夜だったよ」
遠的が指を鳴らすと、いくつもの銃声が路地裏に反響した。俺は銃口に背を向けたまま、自分の体が蜂の巣にされるのを覚悟し、目を閉じた。
「おいおい、らしくねえなあPASERI」
そいつは盛大な音を立てて地面に着地し、その直後に銃弾が金属に弾かれる小気味良い音が響いた。驚いて振り返ると、そこには、見慣れたデブの背中があった。デブは右手に持ったコップの青汁を飲み干すと、大きくげっぷをした。
「うえ。こんな不味いもん飲んで休日出勤たあ、迷惑な話だぜ。俺様の足を引っ張るなら辞めちまえ、このアフロ野郎。そう思わねえか、『NIN-JIN』ちゃんよう」
男たちが再び引き金を引くが、デブの背中に弾かれ、当然俺には届かない。すると、上から別の銃声が降り注ぎ、男たちの銃を正確に叩き落した。
「言い過ぎよ『AOJIL』。遠的を見習えとは言わないけど、PASERIも、やばい時は私たちを呼んでいいんだからね」
見上げると、ニンジンスティックを咥えたNIN-JINが、長い髪を風になびかせながら、俺に笑いかけていた。ここからでも分かる抜群のプロポーションと、それに釣り合わない、物騒な二丁拳銃。
やれやれ、頼りになる仲間だぜ。
「雑魚は私たちに任せて、さっさと遠的をやっちゃいなさい。仕事が終わったら、美味しいパイを焼いてあげるわ」
俺とAOJILは同時ににやりと笑った。NIN-JINの焼くパイは、俺たちの好物なのだ。
俺は背中を二人に預け、遠的へと向き合った。青汁によって体を硬化させるデブのAOJILと、人参によって普段は一発も当たらない銃の精度を百発百中に引き上げるNIN-JIN。この二人なら、雑魚の30人くらい5分もかからないだろう。
しかし、遠的の表情は変わらず、依然薄笑いが張りついている。
「変わらん。何も変わらん。私が手を煩わせるというだけで、結果は何も変わらんさ。まあ死体は少々増えるがね。私のこの『能力』が、君たち三人を死体に変えるだけだ!」
瞬間、アフロが震え、本能的に危険を察知した俺は、その場から飛びのいた。直後、俺の頭上、ちょうど喉があった場所で――ボン、という爆発音がした。爆弾や道具は見えない。だが、確かに爆発音がした。ということは。
「やはりお前、『超能力者』か」
『超能力』。まれに、ONO手術によって他の能力者を大きく凌駕する、超自然的な特殊能力を授かる人間がいる。そいつは 『超能力者』と呼ばれ、能力者を束ねる組織の幹部として君臨するケースが多い。遠間が超能力者だという噂は聞いていたが――超能力者は極めて稀な存在であり、実際、この目で見るのは初めてだ。
「さあ、滅多にない機会だぞ。遠慮せず、その目に焼き付けてくれ給えよ。冥途の土産としてな!!」
遠的が両手を開くと、それぞれの指の間にプチトマトが挟まれていた。遠的はそれを二つ、三つ、四つ、一気に口に放り込む。まずい、間に合え。俺はアフロから最後のパセリを取り出す。
「おほい(遅い)!」
爆発、爆発、爆発。耳をつんざく音と共に、次々と連鎖する爆発が俺を襲った。崩れるビルの壁面、立ち上る土煙。それでも、爆発は終わらない。無きに等しい視界の中で、俺は爆発を躱し続けた。爆発を躱す? 見えない爆弾を? 俺は爆発を「躱して」いるのか? ただ身体が、爆風に踊っているだけなのではないか?
自問自答の次の瞬間、俺は鈍い衝撃を左肩に、続いて、右頭部に感じた。力が、抜ける。瞼をおろした俺の体は、ゆっくりとその場に崩れ落ちた。
「ファファファ、フエアーッハッハげほげほ」
遠的が高らかに笑う。路地の間に風が吹き込み、土煙を一面に散らした。爆発は徐々に収束し、空中を漂う砂も、徐々に薄くなっていく。その場に立つ影が、自分のものだけだということを視認した遠的は、口の中に残っていたプチトマトを、足元に吐き出した。砂煙の中で、優雅にハンカチで口をぬぐう遠的。その目が――俺の眼を捉えた。
チッ。もう少し隠れていたかったが、こいつ、もったいないことしやがって。俺は遠的を、そして吐き捨てられたプチトマトの残骸を睨む。砂煙で隠れるには、俺の眼は――あまりに、光りすぎる。
「バ、バカな。あれだけの爆発、無事でいられるわけがない」
その通り、到底無事とは言えない状態だ。俺は荒い息を吐き、砂まみれの空気を吸い込む。左肩の肉がえぐられ、左腕は使えず、出血で意識朦朧。それに何より、右半分――アフロの右半分が吹き飛んでいる。まさに瀕死といえる状態だ。だが。
「遠的。何も俺は、呑気に爆風とダンスを踊ってただけじゃないぜ」
俺は残った右手を壁につき、無理やり体を引き起こした。重い瞼をこじ開け、遠的に緑の視線を突き立てて言い放つ。
「もう、お前の能力は見切った」
遠的は俺の言葉を、ハ、と笑い捨て、右手で素早くプチトマトを口に放り込んだ。その直後、左手の親指が何かを弾く動きを、俺は見逃さない。俺は素早く一歩前に踏み込み、右足を勢いよく振り上げると、「それ」を上空へ蹴り飛ばした。爆発は俺の顔面、ではなく当然頭から1メートルほどの空中で起こる。
馬鹿な、と遠的が目を見開いた。
「お前の力は、爆発を起こす能力じゃない。プチトマト大の見えない爆弾を作り出す能力、だ。爆発条件は、衝撃ではなく時間。大体0.8秒って所か。それを指で弾き飛ばして、速度と場所を調節し俺に届ける。だから」
再び俺は一歩踏み込むと、右手の裏拳で上を払い、右足を横に薙いだ。直後、左右の壁が爆音を立て崩れ落ちる。
「無駄だ。爆破予定点より前で物理的に軌道を変えれば、爆発は届かない。まあ、相手が俺でよかったな。NIN-JINなら銃弾で片っ端から撃ち落とされるだろうし、そもそもデブに爆発は効かない。まあ結局」
不敵な笑みを浮かべるのは、今度は俺の番だった。
「結果は変わらないわけだが」
俺が一歩前に出ると、遠的が反射的に後ずさった。
「くそっ、見えない爆弾の軌道がなぜ分かる……そうか、その眼――お前の『能力』か」
俺の眼。この、緑に光る眼の『能力』それは――
「ふ、ふはは。そんなボロ雑巾のような体で、一体何ができる。見えるからと言って何なのだ。ならば、それ以上の数で押し潰すまで!!!」
遠的がありったけのトマトを口に詰め込むのと同時に、俺は前に飛び出した。
「ところで遠的、お前、トマトについて知ってるか?」
プチトマトで口を満杯にした遠的は、涙目で両手の親指を次々に弾く。俺は、前へ。爆発を置き去りにして、前へ。さらに前へ。
「トマトはビタミンC豊富で、他にも含まれるリコピンはがん予防にも有効と言われている」
しかし、遠的も熟練だ。置き去りにされないよう、スピードを緩めた爆弾を織り交ぜ、時には上から山なりに落ちる爆弾も放ち、緩急上下左右、様々に打ち分けた爆弾を俺の軌道上に点在させる。だが、俺は止まらない。軌道も変えない。走る。ただ、真っすぐに走る。走る。
「さらに、トマトに含まれる13-オキソ-9,11-オクタデカジエン酸には、血液中の脂肪増加を抑える効果があることが日本で発見された。発表と同時に、トマトジュースが売り切れたほどだ」
払い、流し、撃ち返し、蹴り上げる。時に、爆弾同士をぶつけて相殺させながら、俺はスピードを緩めず、遠的に迫った。
「つまり、俺が言いたいのはな」
1メートルの距離。遠的の手が止まる。当然だ、この距離では、自分も爆発範囲に入ってしまう。情けなく俺に向けられた手のひらを払いのけると、俺はそのまま右手で遠的の喉を掴んだ。遠的が呻き、口からプチトマトの果汁が漏れる。遠的の首を左斜め上に引っ張り上げながら、真横に踏み込む。そして、重心の集まった遠的の左足を、振り上げた右足で一気に刈り取った。
「トマトは栄養豊富だってことだよ!」
半回転した遠的の体を、俺は喉を掴んだ右手で、思い切り地面に叩きつけた。受け身を取れずに人体が地面に落ちる鈍い音と共に、遠的の口から、内臓の奥から絞り出したような声が漏れ出した。
激しく咳き込む遠的の上に、俺は馬乗りになり、その胸倉をつかみ上げた。
「そんなことも知らず、好きなわけでもなく、ただ能力のためだけに噛み潰されるトマトの気持ちを、考えたことがあるか? 正直俺は、ONOがどうとかはどうだっていいんだよ。ただな」
俺は右腕を振り上げ、その拳を強く、強く握りしめた。メリケンサックなんかじゃない。俺の怒りを握り込んだ、俺の拳。
遠的が両腕で顔を覆いながら、ぐちゃぐちゃのトマトまみれの顔で、やめろ、と呟く。
「俺は、食べ物への感謝を忘れたクソ野郎の顔面を、ぶっ潰してやりたいだけなんだよ」
俺は右の拳を、全力で振り下ろした。ズダアンと凄まじい音が響き、拳が地面に突き刺さる。見ると遠的は、白目をむいて気絶していた。根性の無いやつだ。情報を聞き出すのに、殺すわけないだろう。俺は八方にヒビの入った地面の窪みから、パラパラと土を落としつつ拳を引き上げた。
「終わったかしら?」
振り返ると、クルクルと二丁拳銃をホルスターにしまいながら、NIN-JINが優雅に微笑みかけていた。
「全く、時間かかりすぎなんだよ。能力使ってその様たあ、パセリが可愛そうになってくるね」
デブの体に隠れてその後ろは見えないが、見るまでもなく、そこには30人の死体が転がっていることだろう。
俺は差し出されたNIN-JINの手を掴み、体を起こした。
「すぐに、組織の処理班が来るそうよ。遠的の処理も、彼らに任せちゃいましょ」
そうだな、と答え、俺はAOJILの肩を借りて、というより引きずられるようにして、歩き始めた。
気付けば裏路地には、朝の光の気配が差し込んでいた。
「ところでようPASERI、その目は一体何が見える『能力』なんだ? あの爆弾が見えるってことは、見えないもんが見える、って能力なのか? 意味分かんなくね? なあNIN-JIN」
NIN-JINが、私にも気なるわね、と言って俺の目を見た。もう目の光は収まっている。俺は、さあね、とだけ答えた。
俺の『能力』。それは、嫌いなパセリを食べることで――目が光る、だけ。
何かが見えるようになるわけでもなければ、視力が向上するわけでもない。遠的の爆弾は、指の弾き方から軌道を予測していただけだ。ただ、目が緑色に光る能力。こんな情けないこと、恥ずかしくて言えるわけがない。
ではなぜわざわざ、暗闇で不利になるような『能力』を使うかというと、それは「頭がスッキリする」からだ。パセリを食べると、あの苦みと不味さで、頭がスッキリする。それが戦闘中にパセリを食べる理由だ。
まあ、パセリはビタミンA、B、Cに、カルシウム、マグネシウム、鉄などのミネラル、さらには食物繊維、葉緑素、カリウムなどを極めて多く含む、トップクラスの栄養価を誇る野菜であり、体にいいのも理由といえる。
ああ、それと、忘れちゃいけない理由がもう一つ。
俺は残った左側のアフロに手を突っ込んで、煙草とライターを取り出すと、咥えて火をつけた。
大嫌いなパセリの後の一服。これが、最高に美味いんだ。