思惑は何処へ
大陸に人の歴史が重なり、実に千と五百年もの時が流れた。
歴史の中で人は代を重ねて、知恵をつけ、戦う為の術を編み出して、国家の興亡を繰り返し――止まらない時の流れを生きてきた。
しかし、それだけの年月を重ねながらも、大陸全土を踏破した者はいまだ皆無であった。
――我々は砂漠における一粒の砂に等しい土地を奪い合い、争いを続けてきたのかもしれない。
そのような疑念が生まれたのはつい十年前。一時とはいえ、大陸安寧を謳歌するがゆえの素朴であり、この上なく重要な疑念であった。
《霊妙之森》と国境を接する二か国――大陸最大の国である《ジィラーフ帝国》と大陸最古の国である《蒼の皇国》は、ここに至って古来より禁忌とされてきた森へ目を向けた。
大陸西部に広がる未開の地、《霊妙之森》である。
魔の怪物が闊歩し、未知の術を扱う魔人が住むと伝えられている太古の森。
その証明というべき一端、毎年七月の中盤から九月――生命期と呼ばれる繁殖の時期になると、霊妙之森はその未知の生態系を人々に垣間見せる。
まるで見たこともない極彩色の怪鳥。火を吐き毒をまき散らす竜種の数々。剣と鎧を外骨格とした、高い知性を備えた蟻の軍隊。牛を超える巨躯を有する銀狼の群れ――。
これら物の怪は、これこそが“魔の怪物”といわんばかりの原始的な生命の力に溢れており、人々は常に彼の地を、人知の及ばぬ神域として畏れていた。
故に皇国と帝国は、霊妙之森の神秘性を払拭し、魔の怪物の間引きと新天地を目的として<霊妙之森共同探索隊>を組織したのである。
『近代大陸史――現代版――』より
《蒼の皇国》の統治機構は至って単純、皇帝を頂点としたピラミッド型組織である。
<皇帝>の意向を<宰相>が汲み取り、宰相は軍事、内政、外交の三機関の長、即ち<三公>と共に政策を決定し、そこから細かい組織区分へと命令が下され、実行に移される。これが統治機構の概観である。
皇帝を頂点としてとはいうものの、日頃の政務において皇帝の意向というものは微細に変化するというものではないため、<宰相>と<三公>こそが蒼の皇国そのものを動かしているとしても過言ではない。
即ち彼の四名こそが皇国の頭脳そのものであった。
「よろしいではありませんか、私も賛成です」
そのような皇国頭脳の一人、大司空の座に腰掛ける男――鳳明は頷くと、円卓の向かい側、二人の人影に目を配った。
宮廷内部、中央行政府最高会議室《道の間》には鳳明を含め、三人の人影が円形の机を囲んでいた。
すると鳳明の同意を得て、坊主頭の男は太い眉を強気に吊り上げてから、髭で覆われた唇を開く。
「然らば、帝国建国百三十周年記念祭典、調整役はこれまでと同様、縁様に一任する。この度の会議内容、及び各々の要望は元叡斎様を通して縁様にお伝えする。逆もまた然り……。さて興晋よ。軍事府の状況はどうか」
これを受けて広い肩幅を持つ若い男は、資料である紙束から顔をあげた。
男の右顔面は火傷のように、しかし青紫色に爛れている。髪の毛は全て後ろで結いさげているためか、その毒々しい火傷跡が異様に目を惹き、細い目つきと相まって威圧的な気質を備えているように見える。
この男――興晋は厚い唇を開いた。
「警備担当の選出は完了、編成も決定済み。あとは警備代表として武田殿に現地入りしていただき、向こうの責任者と警備計画を詰めることになっている」
坊主頭の男は大きく頷くと「ならば、鳳明。内政府の状況は」と再度、鳳明へと言葉を向けた。
鳳明は愛用の羽団扇をそっと撫でる。
「内政府におきましては先に申しあげたとおり、北の《伍之都》と帝国との国境通行の緩和、並びに周辺区域の警備強化を継続中です。警備に関しては興晋殿ら軍事府の御力添えもあり窃盗、強姦等の犯罪が激減しております。実に素晴らしい練度です、公安部の者にも見習わせたいものですな」
称賛と受け取るべきだろうそれに、興晋は唇を一瞬だけ強く結んで嫌悪感を露わにする。
鳳明は含んだように目を細めてから頭を振った。
「しかしながら、一つ気がかりがあります。これについては既に黄雪殿、興晋殿のもとへ報告書をお送りしているはずですが」
如何でしょうと、鳳明は二人に目をやった。
いかにもお堅いという顔つき、そんな風格を助長させる皺の数々が刻まれた熟練の大司徒――黄雪。
剃刀のように鋭利な目つきを持つ若き大司馬――興晋。
同格の二名がそれらしき薄い紙束を取り出すと、鳳明は「結構」と頷きつつ続けた。
「皇国北部に隣接する太古の森――《霊妙之森》が生命期に突入してはやひと月、《北壁》沿いの地方行政府や集落にて乙型怪鳥、飛竜種の目撃件数が六件。丙型が四十一件。丁型以下の小物を含めればキリがないという状況になっております。皇国守護結界は依然健在、国内の護りは盤石ですが、いずれ帝国側国境近辺にて襲撃報告があがるだろうと予測されます」
皇国軍事府の規定では、物の怪や妖などは体長に応じて下から丁・丙・乙・甲という等型をつけることになっている。主な対象は、陸においては竜種や怪鳥等の物の怪、海においては魚類や海獣などである。
尻尾から頭までを入れて、丁型が五メートル前後、人がひとりだけ搭乗できるかという体躯。
丙型が十から二十メートル前後、人が複数人搭乗できる体躯。
乙型ともなると、人どころか集落すら乗せて飛び立ててしまうだろう巨躯となる。
甲型に関しては<山脈に相当する体躯>という規定文があるが過去の確認記録は一件のみ、それも霊妙之森の遥か奥地に入ったという皇国建国以前の記録にのみであるため、実質無いに等しい階級であった。
「夏場は仕方あるまい。陽の気が強すぎて彼の地は繁殖期に入り、物の怪は力をつける」
興晋がどこか無関心に言い切ると、続けて黄雪が目を光らせた。
「だからこそ、《霊妙之森》へ皇国、帝国による二国共同探索隊を派遣しておる。我が皇国は例年の倍の人員、常備軍の半数を動員しておるのだぞ」
「ですが、最低限の安全保障域である生命期狩猟目標には到底至っていないのが現状であります。探索隊からの報告書には御二方も目を通しているでしょう。霊妙之森に入ってすぐ、街道沿いにすら丙型の怪鳥、竜種が多数出現しているのですぞ」
鳳明は純白の羽団扇を大きく振り切って不敵な笑みを浮かべた。
「よろしいですか。帝国の建国記念祭典が近づくにつれ、皇国、帝国間の人の移動はますます盛んになるでしょう。むしろそうでなくては困る。故に、戦力を小出しになどせず、<剣豪衆>総勢二百十名全員に討伐要請を出すべきではないでしょうか。場合によっては<三傑>のお歴々にも出ていただく必要があります」
「そのようなこと認められるものか。帝国の軍備をみれば戦力は過剰なほどにある、護りを蔑ろにしてまで我が皇国の最高戦力を動員するべきではない」
皇国と帝国との国力差は優に五倍はある。帝国軍には軍縮の動きがあるが、それを考慮しても皇国軍との差は国力差相応に歴然。興晋の言い分ももっともであった。
しかしながら鳳明は口元を緩ませて「なにをおっしゃいます」と不気味なほどに柔らかく始めた。
「我らが《蒼の皇国》並びに東の《王国連合》、対するは北の大帝国たる《ジィラーフ》との戦が終結し、六十年もの時が流れました。言うまでも無く、現在の大陸諸国は安寧という均衡状態を保っております。……が、それも過去のものになりつつあります。帝国は表向きの軍縮を見せるのみで、むしろ軍拡傾向にあることが判明したのですから」
「帝国の軍縮が偽り……。真か、鳳明」
「ええ、興晋殿。これは我が直属の情報収集部隊<濡羽>より得た確実な情報です。近いうちに、報告書にまとめて提出いたします」
興晋は椅子の下で足を組んで、瞬間、視線を彷徨わせた。
鳳明は揺さぶりが功を奏したと見るや大きく息を吸い、告げた。
「そこで、考えてもみなさい! 《霊妙之森》と国境を接する我が《蒼の皇国》と隣国《ジィラーフ帝国》。ここで我々が皇国と帝国――両国の安定を望む姿勢を見せるのならば、彼の大帝国といえど今の均衡を突き崩そうなどと思いましょうか。いいや、思いますまい! 帝国現皇帝たるアブラムは計算高い男、自らの利となる存在を無暗に排除するような暴挙にでるはずがありません」
「それは我らが劉鋒皇帝陛下を、実質的に帝国皇帝の下に置くということか、鳳明よ」
「興晋殿、その考えは軽率ですな。あくまで我々は、“皇帝陛下延いては皇国の利益のために動いている”だけなのです。即ち、我が《皇国》並びに《王国連合》における古からの協定、国家間の平和と安定を目指した<ケレス協定>に則った姿勢を帝国にも示し、皇国と帝国、互いに国家としての尊厳を保ちながらの共同平和を築き上げようではないか――そういう主張で臨むべきだと言っているのです」
興晋は小さく唸ると、考え込むように腕を組んだ。
興晋という男は軍略に優れ、機転が利き、現場において手に入れた情報から次の行動をひとつひとつ打ち出していく現実主義者であった。反面、想像力に乏しいために国家の在るべき理想というものに関心がなく、また人心にこの上なく疎いことから魔人とも噂されるほどであった。
齢三十にして軍事府の長、<三公>の一角である大司馬の地位についた<俊秀>ではあるが、鳳明の考える“政治”にとって、興晋の欠点というものは致命的の一言に尽きるほどであった。
それを自覚してだろう、興晋は軍事府の長としての領分を超えた政治的な分野に関しては一歩退き、黄雪や鳳明に判断を委ねる節があった。
鳳明は自らの優位を確信し、柔らかい笑みを浮かべる。
「無論、軍事府の長たる大司馬、興晋殿の懸念は痛いほどにわかります」
東に国境を接する《緋桜の国》――正式名称《オルガ・トゥ王国》――における国内分裂の兆し。《翡翠の国》――正式名称《ヴァナル王国》――との《蒼海》における海域争い。そして《霊妙之森》からの物の怪への対策。
軍事府としては、どの問題に対しても国家防衛の役割を果たせるよう戦力を温存しておきたいだろうことは容易に推察がつく。
「しかしながら、事は急を要するのです。我々《蒼の皇国》は大陸の恒久平和を望んでいる――それを帝国に示し、かつ実現への歩みを進めるには、呉越同舟、例年になく旺盛な生命期という共通の脅威がある今しかないのです」
これに興晋は不満の眼差しを飛ばしてくることはあっても、不平を漏らすことは無かった。
事は決した。鳳明は手元の書類に筆を走らせ「それでは<剣豪衆>への要請決定ということで異論はありませんな」と件の報告書兼意見書に“可決”と記した。
「国内の守りを手薄にする前に……。鳳明よ、言うべきことがあるであろう」
すると<三公>が一人、黄雪は鳳明を睨み付けてそう言い放った。
鳳明は筆を置くと、「はて」と黄雪へと捉えどころのない眼光を返した。
黄雪は歯ぎしりの後に口を開く。
「皇国領北部における<北方異変>。この案件の担当は公安部でありながら、貴様の直轄文官団<十杖>が極秘裏の捜査を行っていると聞く。これは一体どうしたことか、何を隠す必要がある!」
これに興晋も控えめに、されど静かなる鬼の形相を浮かべて「然り」と鳳明に向き直った。
「草木を消し去るだけでなく、土地そのものの生命をも消し去ったなどと……。これは国家転覆の危機に繋がる、過去類を見ない異常事態であろう。事の真相究明に至らずとも、ここ、<三公会議>において経過報告をすべきではないのか」
手元の陶器に波紋が立つ。
室内の空気が一気に膨張したような錯覚。駆け引きや暴力を超越した重圧が一人の男に向けられる。
柳に雪折れなし。そのような態度でもって鳳明は「ふむ」と頷いてから口を開いた。
「以前にもお話ししましたが、事の真相究明までは、例え調査状況といえど事の詳細をお話しするわけにはいきません。お二方には、現状公安部より公開されている簡易報告のみでどうか納得していただきたい」
「国家組織たる公安部が主体となって調査しているのならばそれに納得しよう。だが、貴様直属の<十杖>が動いているのなら話は別! しかも劉枢皇女殿下に重要証人を預けたと聞いている!」
黄雪は齢九十とはまるで思えない気概でもって眼前の<謀臣>へと迫った。
「何をそこまで警戒しているのか、何を目的として劉枢皇女殿下を利用しようというのか! 隠し立てするというのなら、貴様といえど容赦はせんぞ、鳳明!」
鳳明は羽団扇を口元へ寄せると目を伏せて、血気盛んな黄雪へ視線を流した。
「そのように声を荒げては、皇帝陛下より頂いた名が泣きますぞ、<至仁>黄雪殿」
黄雪の拳が円卓を揺るがす。置かれていた陶器が跳ね、あるいは倒れ、あるいは床へと落ちていく。
そのどれもが開戦を知らせる銃声の如く鳴り響くが、それは一人の来訪者によって単なる音の羅列にしかならなかった。
「おやめなさい」
明瞭な重低音が《道の間》に響き渡る。鳳明を含む<三公>は、入室してきた一名の老人を仰ぎ見た。
白銀の髭を揺らし、国家を象徴する“蒼”の衣に身を包んだ老練の士。かつての帝国との大戦期――大陸二分時代から皇国政治の総指揮を執ってきた皇国の英傑宰相。
「元叡際殿……」
黄雪はそれまでの鬼気を収めて直立の姿勢を取る。
遅れて興晋、鳳明までもが歩みを進めてくる老将――蒼の皇国<宰相>、毛利元叡斎へと居直った。
元叡斎は深い失望をため息で示すと、眼下の<三公>それぞれに目を配った。
「<三公>ともあろう方々が情けない。国を支える柱がこうも容易に揺らいでなんとするか」
これには場の誰もが膝をついて首を垂れる。
それから元叡斎は「鳳明よ」と、その頭を上げさせた。
「皇帝陛下より<謀臣>の名を頂き、舞い上がっておるようだな。貴公の秘密主義、些か各人への配慮が足りんのではないか」
「宰相閣下の仰る通りにございます」と鳳明は再び首を垂れた。
「黄雪、貴公もだ。《頭合わせの三つ葉竜胆》、この家紋の意味するところを忘れたわけではあるまい」
黄雪は「無論にございまする」と一層深く頭を下げた。
元叡際は<道の間>の壁一面に刻まれた、三方に置かれた竜胆の葉が互いに手を組み、頭を合わせる《頭合わせの三つ葉竜胆》を指した。
「各人が手を取り、知恵を交え、天に頂く皇帝陛下を御助けすることが貴公らの務めであろう。頭を合わせる三方の葉は貴公ら<三公>そのものであるぞ! 然らば、鳳明。貴公が抱える秘密とやらもここ、<三公会議>においては公然たるものにすべきであろう」
齢二百とも三百とも言われる元叡際の眼光にはまさしく年月の重みと、重責を担うに足る衰えなき強靭な意志があった。
鳳明は彼の瞳に正面から相対して、小さく頭を下げる。
「元叡斎宰相閣下の仰ること、まさしく正道というに相応しいものにございます。しかしながら古の教えには『君子は貞にして諒ならず』とあります。君子とは教養ある者、貞は大正義、諒は小正義を指します。故に私は、皇帝陛下延いては国家のために、この場での情報公開は拒否させていただきます」
元叡斎は微動だにせず「どういうことか、鳳明」と、ただ一言の問いを発した。
すると鳳明は頭を上げた。瞳には不退転の眼光が見え隠れする。
「この案件、容易に吹聴できぬ高度な政治性を持っているやもしれないのです。――その証拠をお見せしよう」
鳳明は、羽団扇を皇家の家紋、《頭合わせの三つ葉竜胆》の装飾へと振り切った。
それを合図に、一条の光が壁面に刻まれた家紋へと突き刺さり、家紋の窪みより一つの影が飛び出る。それは黒い帯を引くほどの跳躍でもって、すぐさま天井へと消えていった。
「何奴!」
黄雪の言葉に呼応してだろうか、室内の四方より出現した複数の影が天井へと吸い込まれるように飛び上がると、そのうちの一つが鳳明のもとへと降り立った。
小柄な影。鼻は胡瓜のように細長く、赤い顔色の厳めしい仮面を被り、その背にはとってつけたような小さな白い羽があった。装束が黒であることとは別に、異様に希薄な気配としてその場に膝をついていた。
「その出で立ち、天狗族の者か」
山岳地帯に住む、皇国の古き一族のひとつ。素顔を隠し、隠形の技に優れ、曲芸を好み、武術に秀で、軍事府においては情報収集や工作の場面にて重用しているいわば影の一族。
鳳明は大きく頷いて肯定を示す。
「その通り。我が直属実動部隊<一刀>が一人にございます」
「ならば、今の影はどういうことか」
「そのようなこと言うまでもないでしょう、賊ですよ。現在確認している賊は一名。それを我が<一刀>の構成員六名が追跡中です」
黄雪は拭いきれない疑念の瞳を光らせるが、すぐに鳳明から視線を切り、宮廷警備に精通しているだろう興晋へ向き直った。
「中央行政府が最深部、《道の間》にまで賊が侵入するなどと……。そのようなことがあり得るのか」
「俄かには受け入れ難いが、事実としてある以上、あり得ると言わざるを得ない」
興晋は口元に苦渋の皺を垣間見せた。
「侵入経路こそ不明だが、それを許した原因とあらば三つ考えられる。宮廷の守護結界の術式を看破したか、結界が感知不可能な術を扱える実力者か、はたまた内なる敵による手引きか。いずれもか細い可能性ではあるが……」
なんにしても至急調査が必要だ。そう締めくくった興晋の歯切れは悪い。
元叡斎は厳めしい面持ちのまま、現状に最も精通しているだろう人物――鳳明に問うた。
「鳳明よ。その賊、如何な所に属する者か。心当たりはあるか」
鳳明は首を横に振ったが「ですが一つだけ、賊の正体に通ずるだろう確信があります」と羽団扇を口元に寄せる。
元叡斎の眉が一度だけ動く。以降、老将は無情のまなざしで「申してみよ」鳳明のもとへ歩みを進めてくる。
踵が擦れる足音の合間に、鳳明の耳に衣擦れのそれが入ってくる。黄雪、興晋も共に、鳳明に耳を傾けている証拠であった。
鳳明は三方に目配せをしてから、足を止めた元叡斎に居直って口を開く。
「この度の賊は、その所属する勢力は定かではありませんが、<北方異変>の真相に通ずる一派であると断言いたしましょう」
「その故は」と元叡斎が問う。
「それをこの場でお話しするわけにはいきません。先の賊でさえ、興晋殿ですら看破できぬほどの隠形の術に長けており、我が<一刀>の者によれば仙術を扱えるとのこと……。監視の目が途切れたと断じるのは早計でしょう」
心は天と通じ、体は地の気を纏う――。
仙術とは大いなる自然と一体と化す理を扱う術であり、術者の技量次第ではその身を空とすることも可能であると伝えられている。
仙術を扱う為には修験の道にて研鑽を積まねばならぬのだが、無論、この場の四名には縁も所縁もない世界のこと。<剣豪衆>であれば研鑽を積んだ修験者もいようが、普段は山に籠り、《壱之都》を訪れることは滅多にない。
中央行政府へと侵入を許している現状は予断ならぬと、元叡斎は「それで納得すると思うてか、鳳明よ」と追及を継続。
鳳明はしばし目を伏せたが、懐より、掌に収まる程度の水晶を取り出して円卓に転がした。水晶中心部には“録”の文字が、神代文字と共に刻まれていた。
「であれば、私から公開できるのはこちらの映像のみとなります」
すると水晶は無機なる身に意志を宿して、円卓の中央へと真っ直ぐに転がり行く。静止して間もなく、透き通る輝きでもって中空に光の像を映し出した。
「これは“風の記憶”。北壁にまで流された風の記憶を読み取ることが叶いまして、こうして水晶映像として記録しました」
それは一つの静止画であった。映像には霧のようなもや、雷のような乱れがあるが、観る分には取り立てて支障にならない。
像として再現されたのは雲から地上を見下ろしたような俯瞰の構図、後光指す人影と巨大な肉塊の対峙であった。
時刻はおそらく夜だろう、純白の光と夜の闇との判然たる陰影から推測できる。
嫌でも目を惹く粘膜の照りをもつ肉塊には、その有機的な凹凸を強調する鮮烈な影ができていた。人影より指す後光によるものだ。
その人影は姿形こそまるで判別できないが、雰囲気といべきか、<魔の理法>に則った神秘の輝きから連想できる存在は一つだけ。
「ご覧の通り。後光指す彼の影が纏う、清浄なる神秘は<仙人>の力の具現。片や妖艶とも言うべき光沢を放ち、醜悪な魔の具現たる肉塊は見紛うことなく <魔物>……。<仙人>と<魔物>――この構図、覚えがあるはずです」
息を呑んだのは、誰であっただろうか。
直後、水晶の映像を強制的に閉ざしたのは<至仁>の名をもつ黄雪であった。
「鳳明よ。貴様は、己が何を言おうとしているか……。わかっておるのか」
鳳明は、黄雪の手より水晶を受け取り、この場の最高責任者たる元叡斎へと笑みを向けた。
「無論、承知の上でございます。皇国の古き記録に記されている古の戦い、そしてかつての戦争の真実が、信に足るものであるならば――」
「そのような不確かな情報を盲信するとは。鳳明、貴様のそれは憶測にすぎぬ」
興晋はただひとつの、己の矜持でもって鳳明に立ち向かうが、それは相手にもならぬと言うような不気味みな高笑いによって、まさしく一笑に付された。
「ならば、確固たる証拠があるとしたら――いかがいたしますか、興晋殿」
鳳明は、興晋を一瞥はしたが、その真の矛先は元叡斎へと向けられていた。
それから、元叡斎の発した問いを受けて、鳳明は羽団扇の裏で静かに微笑んだ。