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不滅の蒼  作者: じゃぎ
第一章 自己喪失編
3/6

血の呪い

 大陸西部に位置するは、現存する大陸最古の国家であり、大陸屈指の大国である《蒼の皇国》。

 冠するあおの名は皇国全土を潤す水の恩恵を象徴してのものであった。


 国土南方はその全てが《蒼海そうかい》といわれる大海に面し、それは雲を生み、皇国にこれ以上ない恵みの雨をもたらしてくれる。

 しかも国土の半分を占めるのは山岳地帯、山頂より流れいずる河川が皇国領全域に張り巡らされており、かつ国土東方ならびに大陸中央側には隣国に国境をまたいで、皇国国土の三分の一に匹敵する湖《ケレス湖》が広がっていた。

 水は土地を豊かにし、草木を育み、生命に繁栄をもたらす。人間とて例外ではない。無尽蔵の水源から、皇国民は常に安定した食を得ることができていた。


 それにとどまらず、水は国土防衛の要でもあった。

 《ケレス湖》を中心にして、皇国国土南側には《蒼海》に挟まれた陸橋、北西には《北壁》に挟まれた狭隘な街道という陸上防衛の二大要所をも生みだし、さらには現存する大陸諸国に先んじて海上貿易に着手していたことから造船技術にも一日の長があり、皇国は大陸随一の水上戦力をも有している。


 皇国の豊富な水源は、歴史に残るだろう大規模な干ばつでもない限り途絶えることはない、まさしく不滅の水源なのである。

 これこそが《蒼の皇国》の由縁であり、彼の地に大国が存続する決定的な要因であった。


『近代大陸史――現代版――』より





 真夏の日差しが照り付ける。

 瓦屋根の建築物は将棋盤上に並べられたように順理成章じゅんりせいしょうとした街並みを形成していた。

 蒼の皇国、皇都《壱之都いちのみやこ》。

 その中央には、重厚にくすんだ銀の鉛瓦なまりがわらを被った、皇国最高権威を象徴する青々とした宮廷きゅうていが山脈のように鎮座していた。蒼の皇国九代目皇帝、劉鋒りゅうほうがその身を置く政治の中心地である。


 この広大な宮廷の最深部に位置する、赤を基調とした、煌びやかながらも厳粛たるおもむきある《竜胆りんどうの間》には、現在、十一名の人間が卓を囲んでいた。

 その中には皇国第四皇女、劉枢りゅうすう――枢姫すうひめの姿もあった。彼女は以前のお忍び用のみすぼらしい格好ではなく、国花である竜胆りんどうの花が刻まれている颯爽とした青の着物を着こみ、上には白の衣を羽織っている。黒い長髪は後頭部で結い上げ、つるんとしたおでこを溌剌はつらつと露出し、前髪の一部だけを垂らしている。

 枢姫は手元の陶器こっぷをいじり、つまらなそうに室内におけるやり取りに目を向けていた。


「お久しぶりです、父上。御体の具合はいかがですか」


 穏やかな印象を含みながら決して軟弱でという印象を与えない微笑みを見せたのは、蒼の皇国第一皇子、劉皐りゅうこうであった。柔和な視線の先には上座に位置する、三方に置かれた竜胆の葉が互いに手を組み、頭を合わせる《頭合わせの三つ葉竜胆》の家紋を背負った老体の姿があった。

 老人は日ごろの正装――重厚な装束や煌びやかな装飾で着飾りはせず、正絹しょうけんの衣の上にもう一枚似たような衣を羽織っただけという軽装であった。削ぎ落ちた頬が、がっしりとした顎を浮き上がらせるが、それも深く刻まれた皺によって弱々しさの象徴へと成り下がっていた。

 窪んだ眼窩がんかから覗く瞳にはみずみずしさなど微塵もない。凝縮された黒だけが劉皐へと向けられた。


こうよ、お前の目にちんはどう映っておる。鬱屈うっくつ耄碌もうろくした、今にも崩れ落ちる死肉にみえるか」


 老体の声には偉大なる皇帝の尊厳が詰まっていた。少なくとも、この時の枢姫にはそう思えた。

 こうは悠々とした態度のまま首を横に振ると「いえ。顔色は良く、生気に満ち満ちているように見えまする」と、微笑みでもって答えた。


「おお、やはりか」と老人は一転し、嬉々として身を乗り出した。「朕の肉体は世の穢れを削ぎ落し、如何ともしがたいごうの重りをも浄化しつつある。物の理法ではなく、魔の理法によって再構成されつつあるのだ。わかるか、この身は新たなことわりを纏いつつあるのだ!」

「ええ、ええ。わかっておりますとも」

 

 こうの肯定に、老人は「そうか、そうか」と口の中で繰り返した。その顔には無邪気な笑みが張り付いている。


「父上も、耄碌したな」


 苛立たしげにそう呟いたのは気鋭に富んだ第三皇子、劉憬りゅうけい。末席に座する枢姫にも聞き取れるものであったが、当の老人には届いていないようで相変わらず第一皇子、こうを前に腹を抱えている。人の皮に荘厳を詰め込んでできた皇帝としての姿からは考えられない光景であった。


 枢姫はいじっていた空の陶器を漆塗りの机へ力一杯に叩きつけた。


 けいの瞳が枢姫を捉える。しかし、それは一瞥にしかならなかった。

 すると第三皇子、憬の対面、彼より上座に座する泰然自若に身を包んだ青年が「憬」と真っ直ぐな視線でもって、悪辣たる呟きを戒めた。


「なんです、兄上」


 憬が敵愾心を込めて応えたのを受けて、第二皇子、劉縁りゅうえんもまた確固たる眼光を返す。


「無暗に口を開くものではない。立場を自覚なさい」

「立場ですか!」と憬は切れ長な目を一層鋭くした。「それは貴方が私より一秒早く生を受けたということですか、それとも功績ですか、それとも病に侵されて頭がどうにかなってしまった皇帝ちちの前で、良き子供を演じろとでもいうのですか」

けいよ、曲解が過ぎやしませんか。えにしは、そのような意図でもって戒めたのではないとおわかりでしょう?」と、劉憬の隣り、やはり上座に座している第一皇女、劉嶺りゅうれいが肉親の微笑みをみせた。


 三人目の母となったばかりのれいのそれは、反抗心の塊と化していた憬にとって苦々しいものにでも思えたのだろう、彼は「失礼しました」と腕を組んでどこやらに視線を投げた。

 えにしもまた事を荒立てる気はなくようで、ふうと熱を吐くと。 

 

「蒼の皇国九代目皇帝、劉鋒りゅうほうはいまだ健在である。まつりごととどこおりなく行われている。子である我々が、この場においてすべき話ではないというだけのことです」


 縁のそれに、この場の十人は肯定の意を示した。

 ただ一人、枢姫だけは艶のあった眉間に皺を刻んで「そうでなくては困る」と目を伏せた。


「ところでかんの奴はどうされたのです、ぜんの兄者が呼びに向かったと伺っておりまするが」


 そう遊びなく告げたのは第五皇子、劉靱りゅうじんであった。日に焼けて生傷の絶えない肌、いかにも堅物というような顔つき。彼は正面に腰掛けている色白の男性に目をやった。


「相変わらず、屋敷に籠りきりです」と肩をすくめたのは第四皇子、劉善りゅうぜん

「あの子は神経質な年頃だ。こういう家族の時間を鬱陶しがるのも仕方はない」と縁。


 枢姫は神経質という気性に共感こそ示さなかったが、劉寛という六つ離れた兄を思えばあれこそがそうなのだろうと頷いた。

 齢十六という青年と少年の中間を生きる第六皇子、劉寛りゅうかん。妹である枢姫とも目を合わせようとせず、まともに会話をしているところなど見たことも無い。それでいて口を開けば自虐的だったり、訳も無く憤慨したり。屋敷に寄った時などは、かんが籠る部屋から昂りきった絶叫なんかが聞こえることもあった。

 憬はふんと鼻を鳴らす。


「弱い男なんだよ、寛は。部屋に籠って幾何学模様をいじるばかりで、元服を迎えてもまだ社交界に出ようとしない」

「そういうのを研究者気質というのでしょう。それもまた長所、いつかは身の助けになる」


 縁がおおらかに言い切ったのに、憬はおもしろくないとまたも鼻を鳴らす。

 すると第一皇子、皐との談笑を楽しんでいた老人は不意に「その声は、えにしだな。縁……」と、あたりを見回しだした。


此方こなたに控えております」と縁が声を張る。

「そうであった、劉縁りゅうえん、劉縁よ! そうであった、おお、劉縁! お主の活躍はきいておる!」


 老人は両手の骨と皮だけになりつつある指でもって、カツカツと机を楽器のように弾くがそれも直に止み、乾いた笑い共々異様なほどの陽気がぴたりと収まる。老人の瞳に、英知の光が戻った。


「《翡翠ひすい》と《紺碧こんぺき》、両国間の国境紛争に終止符を打ったと聞いている。あの黄雪おうせつが絶賛しておったぞ、互いの妥協点に至るまでの粘り強く繊細な話術は、心の機微をかいし、道理をわきまえ、いにしえの教えを真に理解しておらねばできぬものだと、お主なくしてかの地の安定はなかったと」


 老人――劉鋒は頑丈な椅子に背を預け、縁に静かな称賛を送った。

 縁はなんでもないふうに腰かけたまま礼をする。

 

「評価が過ぎます。両国ともに長年の小競り合いに嫌気がさしていたのです、私は古からの協定に従い、両者が伸ばした手を結び付けたにすぎません」

「何を言うか。あの地における三百年もの確執を僅か三年で取りまとめたのだぞ。これを称賛せず、一体なにを誉めればよいのだ。帝国との関係も上手くいっておるようだの。帝国建国百三十周年記念式典を四か月後に控えているが、特に我が皇国との会談は円滑に進んでおると、彼の国の第三皇子からも評判が良い。やはりえにしに任せて良かったわ」


 劉鋒の理性的な微笑みが縁だけを包むが、縁はそれを「いえ」と遮った。


「父上、私は向こうやってくる事態に対処しているだけにございます、“対応する者”に過ぎません。真に褒められるべきは、劉皐りゅうこうの兄上、それに劉靱りゅうじん劉枢りゅうすうといった“自ら行動を起こす者”でしょう」


 劉鋒は感嘆の声を漏らして「そのゆえや如何に」と頬を緩ませた。

 縁は、偉大なる兄を指して慎ましやかに告げる。


「ご存じの通り、兄上は帝国、王国連合問わず芸術家の作品を募り、<ケレス湖芸術展>を開催しております。そこでは王族、貴族問わず、芸術を通じて心を通わせております。平和の象徴として国家間のつながりを強固なものとするでしょう」

「そこまでの活気を帯びているとまでは知らなんだ。皐よ、安寧の世においてはお主のような男が世を治めるのやも知れんな」


 皐は重く、それでいて滑らかにこうべを垂れた。齢三十にして、彼は言葉にならない皇帝の貫録に似た雰囲気を纏っているようであった。

 次に縁は、強靭な気力を漲らせる自慢の弟を指した。


じんもまた、帝国との《霊妙之森れいみょうのもり》探索にて類稀なる戦果を挙げております。指揮官としておつ型に相当する巨竜種の捕縛に成功し、また戦士としては単独で銀狼に打ち勝つほど腕を挙げております」

「『靱は生まれながらに気脈を知り、武の才覚を備えている』と<三傑さんけつ>より聞いているが……。そうか、そこまで腕を挙げておったのか。いずれは皇軍を指揮するに相応しい剣豪、将軍となるやもしれんな」


 靱は胸の前で、右の拳を左手で包む武官の礼でもって頭を下げた。それはまさしく古の武者が如き実直の体現であった。

 縁は一息ついてから、懐から白い文を取り出す。


「父上。初夏の頭、皇国領内北方において発生したという<北方異変>をご存じでしょうか」


 縁のそれに、我関せずの態度を貫いていた枢姫は陶器をいじる手を止めた。無意識であった。

 遅れて劉鋒が「聞いておる、北方の一帯が山ごと消え去ったという話であろう」と重く頷いたのを確認してから、縁は聡明かつ旺盛な好奇心を備えた愛しき妹を指して微笑んだ。


「彼の地の異変に関わる重要な手掛かりを、あのすうが掴んだのです。これは解決の糸口になると大司空だいしくう鳳明ほうめい殿より賛辞のふみが届いております。ここには<北方異変>の詳細についても記されておりますゆえ」


 縁は取りだした文を卓上に置くと、劉鋒は「うむ、後で目を通しておこう」と頷いた。それから感情を感じさせない皇帝の気質でもって枢姫に目を向けた。


すうよ。事の真相は鳳明が究明するであろう。この案件、これ以上の詮索は無用ぞ」


 枢姫は「なるほどの」と誰に告げるでもなく口の中で呟いて、掴んでいた陶器から手を離した。すると父親である劉鋒を強く睨み付け「先にお暇させていただきまする」と勢いよく席を立ち、《竜胆の間》より退出していった。開かれた扉が締め切られるまで、室内の空気が震えることはなかった……。





 皇国宮廷内を激情に身を任せるが如き足音が轟き行く、とでもいうべきなのだろうが、小柄な身の丈に相当する重みしかない少女が行っていることだ、怪獣のつもりで歩いている微笑ましいものに見えなくもない。

 この場においては、そんなふうに感じた者が大多数を占めていたのは疑い様がないだろう。廊下に敷かれた絨毯の上をゆく少女に対して、侍女、文官らが柔らかい眼差しで少女を眺めているのだから。

 見当違いも甚だしい。清正はため息を吐いてから、文官らの脇を抜けて枢姫の後ろについた。


「ぺったらぺったら、どうされたんです。そんな歩き方では足を痛めますよ」

「黙っておれ、清正」


 苛立ちの原因については、なんとなく見当がついていた。《蒼の皇国》皇帝であり、枢姫の父親である劉鋒についてだろうと。清正はかいた手汗を不潔にも服で拭ってから、あらかじめ決めていた一文を引き出す。


「皇帝陛下も、殿下の身を案じているからこそ調査をやめるようにとおっしゃたのですよ」


 劉鋒一族の家族会合が始まる直前までの枢姫の浮かれようが、<北方異変>における功績――まだそれと決したわけではないが――を陛下への手土産にしたからだということは清正も感づいていた。

 となれば、家族会合後の枢姫の落ち込み具合を見ればその理由すらも察することができる。皇帝陛下の口から調査への介入を差し止められ、自身の功績を一笑に付されたとでも受け取ったのだろう、と。

 枢姫は気遣い無用というふうに首を横に振った。


「違うな、清正。父上は自身の都合でしか物事を見れぬ男ぞ、大かた貢物みつぎものに傷がつかないようにとでも危惧したのだろうさ」

「親子のというものは、そのような利害関係で語れるものではないでしょう」


 枢姫は「どうだろうな」と不機嫌に呟くだけで、清正もこれ以上は耳障りだろうと意識を切り替えた。


 荒い歩調のまま枢姫は足を止めない。

 行き先に控えているのはだだっ広い渡り廊下。人影はまばらで、脇に飾られた優美な調度品の数々は虚しく腰かけているばかりであるかのようにおもわれたが、その閑散とした物寂しさを補って余りある強烈な光景が清正の胸を沸きあがらせた。


「 」


 清正は廊下の両側の壁面いっぱいに描かれた巨大な絵に目を奪われ、声にならない空気が漏れた。


 右方には、竜の壁画。蛇のような長躯は鱗で覆われ、翼も持たない竜が跨り天空を駆ける。竜の背には青く気高い衣に身を包んだ人影があり、その顔は頭巾フードによって覆い隠されている。

 左方には、古の祭壇だろうか、石造りの祭壇の頂上にて、胸の前に光の玉を携えた人影。その背後からは後光が差しており、祭壇下には衆人が万歳と称えているような構図。


 にかわの絵具で描かれたそれらは淡白な色調でありながら、現実の重みというものを表現しきっていて。一応の教養教育を受けた程度の清正でさえ、心が沸き立つような得体の知れない感銘に打ち震えた。

 清正がこの壁画を見たのは二度目、初めて宮廷を訪れた頃には感じなかったたかぶりであった。


「ちょうど、あの頃でしたね。僕がここを訪れたのは……」


 清正は記憶の奥底に沈みゆく、出会いという運命の岐路を思い起こす。まだ齢にして五かどうかという自我の芽生えも定かではない少女に手を惹かれた時のことを――。


「僕が、殿下の付き人になったのも」


 清正という小さな人形に、人間の魂を込めてくれたあの鮮烈なる少女との思い出を、清正は思い起こしていた。

 こぼれそうになる涙を堪え、感謝の情に溢れる視線を彼の主たる劉枢に送る――――が。


「なにかね、お嬢さん。そんな熱っぽい視線で」


 彼の視線の先にいたのは、書物を抱えている年老いた文官であった。何を勘違いしているのか「照れますなぁ」と頭を掻いている。

 清正は赤い顔で周囲を見回すが、廊下に意中の人影は無い。


「殿下?」


 すれ違う文官武官らが懐疑の視線を向けてくるさなか、彼はただ一人その場に立ち呆けるばかりであった。



 



 枢姫は青汁を含んだように顔を歪めて、目的の扉の前に立つ。

 扉の脇には軽装の衛兵が二名、腰に刀を携えて直立していた。そのうちの一方が枢姫の前に出る。


「この場は大司空様の執務室。劉枢皇女殿下といえど、無礼とは存じまするが」

退け」


 枢姫は行く手を遮る衛兵を容赦なく退け、その固く閉ざされた扉を蹴破る勢いで開け放った。

 視界に飛び込んできたのは山積みの書類の数々、されど手前の応接用の机は片付いており、とりあえず広々とした空間であるとは認識できる。


鳳明ほうめいるか」


 枢姫が声をあげると、最奥にある執務用の机だろうか、その上に盛り上がった紙束の間から瞳が覗き、安閑あんかんと立ち上がった人影が姿を現した。


「これはこれは、劉枢皇女殿下」


 裾の長い、道士服に似たゆとりある衣を纏い、太極図の装飾をあしらえた羽団扇を携えている。その姿は白を基調としており清楚な印象を受けた。されど声には人を惑わす老獪な調子があり、目の前の男こそ部屋の主に相違ないと、枢姫は眉をしかめる。


「二年ぶりの家族会合はもうお開きですか、お早い解散ですな」


 前髪共々、黒い髪を後ろで一括りにし、遮るもののない視線は捉えどころのない光をちらつかせる。枢姫は、この初老に差し掛かろうかという男――<謀臣ぼうしん>の名を冠する大司空、鳳明という男が苦手であった。

 後ずさりたくなる思いの枢姫に対して、鳳明は応接用の椅子を羽団扇で指して「どうぞ、おかけください。御飲み物は用意しておりませんが」と自身も椅子の脇へ行く。


「長話をする気はないのでな、このままでよい」


 枢姫は不快を隠しもせずそう告げると、鳳明は政治に携わる者特有の笑みを浮かべ「そう邪険になさらずに」と残念がる様子など微塵も無く、立ったまま枢姫に向かい合った。


「さて、その剣幕な御様子、如何なされましたか」

「異変の地における生存者を余のもとへ預けよ。この案件、余自らが解決してくれるわ」


 枢姫の威圧的な物言いは、大司空としての鳳明へと突きつけられた。


 皇国のまつりごとは<皇帝>を頂点として、時点に<宰相さいしょう>、その下に<三公さんこう>と呼ばれる三つの主要機関――軍事府、内政府、外交府――の長が置かれている。それこそが大司馬だいしば大司徒だいしと大司空だいしくうの三つである。大司馬が軍事の、大司徒が外交の、大司空が内政の総責任者である。

 そして異変の地に派遣されたのが、内政府管轄下の公安部であったために、枢姫はその長である鳳明のもとを訪れたのであった。


 鳳明はおおらかながら陰のある笑みを浮かべる。


「殿下自らがですか。これは心強い。何故なにゆえ、そのようにお考えになられたのかは答えてはくださらないのでしょう。ですが心中を察するに――――いえ、言う必要はありませんな」

「分かったふうに言うでないわ。お前はただ『うん』と頷けばよい」


 《蒼の皇国》が皇国という国号を取る以上、皇族の言葉は絶対である、と。誤解する文官武官も少なからずいるがそれは大きな誤りであった。

 鳳明は首を横に振る。  


「それはできない相談です。聡明な貴方ならばお分かりでしょう。我々とて今は情報が欲しいのです。残念ですが、殿下には諦めていただく他にありませんな」


 <宰相>や<三公>を筆頭として組織人は、あくまで皇帝の意向を具現する者であり、いかに皇子や皇女であれ、<三公>が最善とした決定を捻じ曲げることはできない。それは皇国皇家の者であれば、誰もが初めに学ぶべき国政の基本。

 枢姫は沸きあがる感情の後押しから喉を震わせる。


聴取ちょうしゅを取るだけであろう。お前の配下の者を余の館に派遣すればよい、それだけではないか」


 このような幼稚な意見が通るはずもないと、枢姫は口走ってから気づくが訂正する気にはなれなかった。

 しかしながら、鳳明は「なるほど、仰る通りでございますな」と子供のわがままに頷いた。

 鳳明は情にほだされる男ではない。それは鳳明という男の性質の、最も根幹に位置するだろう真実。そこに至って、枢姫は感情の猛りが鎮まるのを自覚し、鳳明の言葉を待った。


「であれば、私からのお願いを聞いてはいただけますか。なに、簡単なことです」

 

 枢姫は怪訝に思いながらも、背中を押す強迫観念じみた感情から頷いた。


「大司空殿のお願いとなれば、事は容易ではないだろうが……。良いだろう、申してみよ」


 鳳明は複数ある机の内、最も整頓がなされている机から赤黒い書物を手に取る。


「ここに、一冊の魔導書があります。こいつを宮廷地下、<智者の墓場>へと収めてきていただきたい」

「あの薄気味悪い図書の間か」


 枢姫は一度しか足を踏み入れなかった、肺に穢れが溜まる彼の地の空気を思い起こし眉を顰めるが、逡巡の後に「良いだろう」と頷いた。

 鳳明は枢姫に魔導書を手渡す際に「本当に、よろしいのですかな」と一言確認するが、枢姫が構わないと書物をぶんどる。鳳明は羽団扇で口元を覆い隠して「宮廷地下には“出る”らしいですぞ……」と意味深に告げた。


「何の話か」


 枢姫はカビ臭い書物を脇にしまい込んで、鳳明を睨み付けた。


「ふふ、噂ぐらいは耳にしておいででしょう。霊なるモノですよ、幽霊。宮廷地下、かつて大魔導士として名を馳せた第一代皇帝、魔道の道半ばで倒れた怨念が人の形を成して漂っているとのこと……」

「何を言うかと思えば」と枢姫はため息交じりに言った。「余とて巫女の端くれ、そのようなもの恐るるに足らんわ」

 

 枢姫が踵を返して扉に手をかけると、鳳明はそういえばと声をあげて、棚からもう一冊の書物をとりだして枢姫に渡す。


「ついでです、この書物を差し上げましょう。最後に殿下の勉学をみてさしあげたのが三年前、そろそろ歴史の復習をされておくと良いでしょう」


 『近代大陸史――現代版――』という厚紙の表紙、上製本ハードカバーというものであった。見た目の重厚さに反して、いざ本を開いてみれば比較的大きめの文字が目に優しい間隔で配置されている。それは、枢姫がかつて教科書として使用していたものと同じ物のように思えた。

 枢姫は口を尖らせるが、差し出された書物を素直に脇へしまって扉より踏み出る。

 鳳明はうんと頷いた。


「書物を収める場は、地下書庫へ行けばお分かりになるでしょう。薄暗いので足元に気をつけてくだされ、特に黄泉の穴へと誘われないよう、心を強く持たれよ」

たわけが過ぎるわ」


 枢姫は、扉をにっくき鳳明へ叩きつけるつもりで閉めてから、衛兵より距離を取る。周辺に人影がみえなくなってから「おい、清正! 清正はおるか!」と大声を上げたのは、鳳明には聞こえていないはずであろう。きっと。

 

 念のため記しておきます。

 三公、すなわち大司馬、大司徒、大司空は古代中国における官名から拝借していますが、この小説においては、その意味するところとは全く異なりますのでよろしくおねがいします。

 

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