産声
始まりは、ただ一己の命であった。
産湯に生まれ落ち、その身に纏う母体の血を洗い流され、吐き出した呼吸は泣き声と化す。目は見えず、耳も聞こえない小さな生命が、自己と他との境界を手探りで理解していく。その過程において、その者はたったのひとつであった。
<あれ>は<あれ>。
<これ>は<これ>。
<あなた>は<あなた>。
<私>は<私>……。
優しく肌を包み込む温もりが母親のものであることを、その者は無自覚のうちに理解していた。母への甘え方を知るよりも先に、この赤ん坊は<それ>を欲していた。
赤ん坊が、己の抱いたこの<欲する>という感覚を自覚したのは、歪なことに己という獲得した自己を手放した後――実に十年もの月日が流れてからであった。
その間、その子が手にしたものは、数えきれない小さき生命であった。
血液を食料とする羽虫が柔肌にとりつき、極細のくだが赤ん坊に突き立てられたその時のこと。赤ん坊の肌が、その虫を丸ごと取り込んだのだ。<肌>という自己と他とを分かつ境界が、溶けて、他に纏わりつき、そして混じり合う。
抵抗なぞ考えられない、微弱な個体にとりついたはずの蚊は、抗う術もなく赤ん坊へと溶け込んでいった。寝床についたダニや目に見えない微生物も、同じように取り込まれ、姿を消していった……。
首が座り、四足歩行による前進を覚え、行動範囲が増してからは、百足や蜘蛛といった目に映る生命を片っ端から取り込んでいった。赤ん坊は満足を覚えた。
両足での歩行を覚え、両親に連れられ外出するようになってからも同様であった。が、蝉や蝶を追いはするものの、身の丈も足りない、走り方も知らない赤ん坊は、羽を持つ昆虫を捕まえることができなかった。赤ん坊は不満足を覚えた。
その子は身体が成長するにつれ、外に出る頻度が多くなる。これまで苦汁をなめてきた蝉を相手に、道具を持ち出して捕獲した後に、食事に倣って取り込んだ。蝶や蜻蛉相手には、行動原理を学習し、虚をついて掌から取り込んだ。自らに牙をむいてきた蛇でさえ、噛まれた際の痛みごと、お株を奪うかのように皮膚で丸呑みにした。
「はは、バカなやつ」
その子に恐れるものはなかった。
齢が九になり、幼児期の未熟な歯が生え変わりの時期に差し掛かった頃、その子は自身を形成する肉体の特性を知る。
きっかけはひらひら舞う昆虫を追って迷い込んだ森の奥で、野犬に襲われた時のこと。その子と等しい体躯をもつ野犬は、ひ弱な肉体を持つだろう獲物と目が合うや否や、自慢の四足をもって飛びかかったのだ。
その子は飛びかかってきた野犬に対し、蛇を相手にしたのと同様の対応――左腕を差し出し、それを囮に対象を皮膚で包み込んでやった。
しかし、これが思うようにいかない。
自己の境界が溶け、他を覆うまでは容易だが、自己の体積に匹敵する野犬がなかなか自分のものにならない。自己と同一化しないのだ。
その子は頭を悩ませた。
これまでと何が違うのか。何が妨げとなっているのか。――どうすれば、野犬を取り込めるのか。
原因を追求し、障害を発見し、新たな対処法を編み出す。それは不幸にも人間として生まれ落ちてしまったその子が、無自覚にではなく、意識下において<試行錯誤>という術を獲得した瞬間であった。
その子は、“他との同一化”という現象を、既知の出来事――“食事における消化過程”に当てはめることで、答えを得た。
「食べたものが大きいから、うまく飲み込めないんだ」
同化と消化。この二つが同一の過程を経て、同一の工程にあったとしたら……。その子がもつ“他との同化”という現象に抜け落ちていたのは、食事における“噛む”役割、咀嚼である、と。
そして、その子は知る。
自身の肉体、自身の<人>という姿形が、無限に変貌する単なる一つの形状に過ぎないということを――――。
その子は、左腕の皮という袋の中で暴れる野犬を、細かく噛み砕いて、飲み込むための環境を生み出す。すなわち、自身の口内環境を、その一メートル半に満たない体躯の胴体部分にて再現したのだ。
胸から下っ腹までの脂肪を唇に、肋骨のそれぞれに人間の歯と同様の役割を持たせ、筋肉をかき集めて舌をつくりだし、左腕ごと、その大きな口へ放り込む。唾液代わりの血液が、ぼちゃんと跳ねた。
体内から溢れ出るは、抵抗なく肉を裂いていく牙と、骨ごとすり潰していく奥歯との豪快な咀嚼音。負けじと合いの手を入れてくるのは、まさしく野犬のねじ切れるような悲鳴であったが、ものの数分でそれは消え、祭りも佳境に差し掛かるころには、肉片となった野犬が自らの芯に溶け込んでいく終幕の興奮が湧き上がる。
かつて経験したことのない性的興奮に似た快楽が子供の矮躯を満たしていく中で、地に転がるその子は喉を震わせた。
「 」
それは、まるで産声のようで。
雲は霧散して姿を消し、森は暗闇に姿を隠し、大地は二度目の生誕を祝うかのように身を震わせた。
全てが沈黙する。
零れ落ちゆく奇妙な優越感をその身に留めながら、暗鬱に身を潜めていた怪物が立ちあがる……。月光が、ひとりの子供の姿を世に浮かび上がらせた。
二度目の生誕より数か月の後にその子は十の誕生日を迎え、この世に生れ落ち、母に抱かれて初めて抱いた感情の本質を知る。
この本質から目を背けてはいけない。
それは誰もが捨て去ることのできない唯一の感情で、取り替えようのない自分自身を構成する一部であり、取り返しのつかない現実を容易に生み出す具現性をも持ち合わせている。
この無邪気の皮をかぶった悍ましい感情を恐れてはいけない。
それを嫌悪するは自分自身の否定と同義であり、自己否定は自己の存在を揺るがし、揺らいだ自己は確立した自我すらも空虚へと陥れかねない。ややもすれば、自己の存在そのものを亡き者とするだろう……。
この本質から、目を背けることは許されない。