僕の物
エルが咳き込んだレイを不安そうに見たあと、背中をさすっても良いものか迷っているのか、手が上がり下がりする。
「あぁ、失礼。 兄がそういったことに興味があるとは思っていなくてね。
けして、君が幼いから驚いたとかそういうことではないからね」
少しおかしくなっているレイになんて言い訳をしようかと考えていると、レイが俺をチョイチョイと手招きする。
「兄さん、ちょっとこっちに来てくれる?」
レイが部屋を出て行くので、それに従って俺も外に出る。
エルは少し不安そうな顔をしているので大丈夫だと、やったことのない作り笑顔をしてから扉を閉じる。
レイはそのまま向かいの扉を開けて俺を中に招き入れる。
「兄さん。 なんていうかさ、流石に、ないですよ。
出て行って一月で、何をしていたのかと思ったら……子供を手篭めにしていたって……」
「してない。 無理矢理なんてするわけないだろうが。
それに恋人と言えども、それらしいことなど……」
「恋人らしいこと等はしていない」そう言おうとして、頰にキスをされたことや、普段の飲食、昨夜のことを思い出す。 むしろ、しまくっている。
言葉に詰まったことにレイは不信に思ったらしく、顔を歪める。
「……兄さんのせいでゴタついてるところを僕が必死に頑張ってさ、やっと落ち着いてきたと思ったら、戻ってきて恋人を見せびらかす。 しかもそれが年端もいかない子供……。 これって怒ってもいい案件ですよね?」
「いや、そういうつもりではなくてだな。
父親に用事があってきただけだ」
「父さんに用事?
というかあの子が恋人だったとしても結婚や公表はできませんよ? 何故かまだ兄さんの相手は決まってませんが、いつかは決まるでしょうし」
「ん? いや、俺は死んだことになっているのだから、それはお前の話だろう。 そろそろ縁談があってもおかしくないよな」
レイは「ああ」と納得したような声をあげる。
「死んだことにはまだなっていませんよ。
父さんは兄さんに箔が付いてから戻ってくることを期待していたみたいです。 実際……ソウラレイの英雄ってなってますからね」
「ああ? あの言い草をしていて俺がここに戻ってくるとは、というか……そもそも一生会わないようになったかもしれないだろ」
いや、違う。 実際に俺は父親に会おうとしている。
しかもそれは、俺の思いつきではあるが、そうなることは予想が出来ていたことだ。
俺が自身が魔物であることに気がつけば、間違いなくここに戻って来ようとする。
それは俺の正体を知っている者ならば容易に想像が付くような単純なことだ。
「いや、事実、戻ってきたな」
それが事実だった。
だが、まだ幾つか引っかかることはある。 いつか戻ってくるとは分かっていても、近いうちに戻ってくることが分かっていなければ、その計画も潰れることになる。
つまり、父親は魔王のことを知っていた? 考えても見れば、おかしな話ではないか。
「レイ、最近ここにエルのような黒髪黒目の人間がこなかったか?」
「えっ、ああ、確かに最近そんな女の子が使用人見習いとして働いていますが……」
やはり、勇者がいたか。 おそらく人付きの勇者。
高名な人間をお供としている状態で召喚される勇者というやつだろう。 父親は有名な武人なのだからあったとしてもおかしくはない。 むしろ納得ができる。
「分かった、後で会わせろ」
「もしかして、そういう容姿が好きなんですか? それなら結婚相手にもそんな容姿の女性を……」
「いらない。 俺はエルと結婚するから必要はない」
「……まぁ、僕がとやかく言うことじゃないんで父さんに話してください。 惚れた腫れたなんて僕には分かりませんしね」
レイはそう言ってから溜息を吐き出し、半目で俺を睨んだ。 好き勝手しているのだと思っているのだろう。
「それで、父さんに先に会います? それともその使用人に?」
「父親に先に会う。 時間があればな」
また鎖について聞かれるのは不愉快だ。 それにエルも緊張しているようなので、先に済ませてからゆっくりと話した方がいいだろう。
「そういえば、兄さんが何て呼ばれているか知ってますか?」
「……? 血紅鎧みたいな通り名か?
知らないが、別に知りたくもないな」
何だかんだで目立つことをしたのでそういったこともあるか。 グラウの場合は木剣だったか。
確かに武人としては、箔が付いたらしい。
「そうですか。 とりあえずもう分かってるでしょうが、父さんに連絡してきます。
少しあちらの部屋で戻っていてくださいね」
「分かった」
先に出ていったレイを少し見てから、俺も扉を開けてエルの元に戻る。
「あっ、アキさん。 あの、弟さんは?」
「ああ、父親に用事があると言ったら、話を通してくれるらしい。 まぁ、そう待つこともなく会えるだろう」
エルも緊張していて、少し身体の動きがカクカクとしている。 グラウも久しぶりなのだから楽しみなのではないだろうかと思い、グラウの座っていた場所を見る。
いない。
「……グラウは?」
「あの、その……先にお義父さんに会っておくと言って出ていってしまいました」
何を勝手なことをしているんだ。 少し苛立つが、何故そのことに苛立ったのかが分からずに乱雑に座る。
グラウの勝手な行動は怒るようなことではないだろう。 その前に気に入らないことがあったから苛立ちをグラウにぶつけているだけか。
手のひらの上に置かれていたこと、ではないか。
「エル。 エルには悪いが、挨拶とか恋人とかの話は一切せずに戻るぞ」
「えっ、な、な……なんでですか。 その、僕、その駄目でしたか? その、悪いところ、あったら直しますから。 その、捨てないで、ください」
エルが俺に詰め寄るようにしがみつきながら纏まらない言葉を言う。
「いや、エルが悪いとかそういう話ではなくてな。
俺はまだ死んだ扱いにはなっていないらしくて」
「だから、アキさんは違う人とってこと、ですか?」
「そういうことをレイが言っていたから……」
言葉を話し終える前に、ジャラ、と鎖が鳴る音が聞こえて椅子から転げ落ちた。 いや、エルに落とされた。
目が据わっている。 ひたすら俺の顔を見て、真っ直ぐに見詰める。
いつか誰かに聞いたことがある。 人間は真っ直ぐに人の目を見ることはあまりしない。 獣が獲物を見詰めるのと同じだから、普通の人間は真っ直ぐに人の目を見続けるなんてことはしないと。
事実として、俺も敵意を持っている者に対しては真っ直ぐに睨むが、他の人には顔を見詰めるなんてことはあまりしない。 反対に真っ直ぐに見詰められると少しだけ居心地が悪い。
あえて言うならば、エルの目はそれに近かった。 敵意ではないだろう。
だが、獲物を見る目とでも言うべきなのか、圧力を感じる目。
「エ、ル……」
危機感を覚えるせいか上手く声が出ない。 楽しく談笑などと言えるような空気ではなかった。
エルが俺の頭を撫でて、鎖を引っ張る。
「他の方が、僕のアキさんを奪うつもりなんですか?」
普段のエルとは似ても似つかないような、明確な敵意を込めた声。 幼いながらも端正な顔から放たれるそれはいやに圧力がある。
その上に「僕の」という言葉。 口調や声こそがエルの物だけれどもどこか違うように聞こえる。
「僕のですよね? 僕だけのですよね?」
おかしな様子に困惑しているだけではなく、その迫力に押されて上手く反応が出来ない。
そうだと頷くだけ頷くと、エルが鎖を話して転んでいる俺に抱きつく。
「アキさん、目を、閉じてください」
こくりと頷き目を閉じると、頰に柔らかく温かく、少しだけ湿ったような感触。
何をされたのかに気が付き、照れと嬉しさに気恥ずかしさが押し寄せてくる。
そんなとき、扉が開いた。




