父親
エルと二人でのんびりと過ごしていると、どうしても先の会話から父親のことを思い出す。
思い出すと言っても、俺は殆ど父親のことを知りはしないのだが。
名はヴァイス。 年齢は幾つだったか、誕生日はいつ、好きな物は、嫌いな物は。 興味や関心はなく、ただ単に父親というのは畏敬の象徴だった。
「エルは父親のことを覚えているか?」
確かエルの父親はもう亡くなっていたという話だった。 実の母も、祖父母もだったはずだ。
「ん、どうしたんですか。 突然。
もう十年も前のことですからね、僕も子供でしたし」
今も子供だろうと茶化す気にはなれず、エルの言葉に耳を傾ける。
「少しだったら、覚えていますよ。 優しい人でした。 真面目な人でした。
……だから、可哀想な人でした」
そう言ってからエルは小さくため息を吐き出す。 人に話すようなことではないのだろうが、それでも俺に話してくれるのは信頼の故か。
「僕が父の人生を喰い潰したと言っても過言ではないので、凄く負い目は感じていますよ。
せっかく、僕の実母と結婚して子供を設けようとしたら、僕が産まれたせいで実母は亡くなってしまいましたし、それからは僕の世話と働くことで忙しいだけの日々、僕に優しくしてくれそうな人と再婚して、若い内に病気に罹り、僕が産まれてからは辛い思いだけしてってなっていますから」
「エルのせいでは、ないだろう」
「いえ、僕のせいですよ。
僕がいなければ母は生きていますし、無理して働く必要もありませんでした。 無理して働かなければ、そんなに早死にすることはないです」
泣き言を言うのではなく、淀みなくエルは語る。 全く悲壮感を感じさせないその姿が痛々しい。 隠せるような器用な性格ではないので、その言葉は事実だと思われていて、何度も何度も泣いた故にそのことに涙が流れなくなったといったところだろう。
もう答えの決まっているエルを慰めるのは、お門違いかと考えて黙り込む。
「僕が鮮明に覚えているのは、祖母が亡くなって薄ら笑う父の顔と、病気になった時の疲れきった顔だけですから」
「そうか、辛い思いをしたのか」
そう言って、ベッドに倒れ込む。
エルの自分を語る言葉は、目を背けたくなる。
常に自分が悪いからと思っていて、それを前提にして話を成り立てるからひたすらに自分を傷付ける。 聞けばそれを否定したくなるが、定まっていた考えを思いを掘り起こして泣かせる勇気は俺にはなかった。
「いえ、もっと不幸な人はいっぱいいます。 それに僕は今が幸せですから」
「より不幸な人がいたら、不幸ではなくなる訳じゃないだろ」
吐き捨てるように言うと、エルが不安そうに俺の名前を呼んだ。
「エル、甘い物を食べに行こう」
エルの言葉は、常に刃先を自分へと向けている。 「もっと不幸な人がいるから甘えるな」なんて暗に言っているようで、エルのことが好きで堪らない俺にしてみれば、もっと自分に優しくしてやってほしくなる。
エルの代わりにエルをめいいっぱい優しく可愛がってやろうとして思いついたのが、そんなことだった。
「甘い物、ですか?」
「甘い物は好きじゃなかったか?」
「いえ、好きです。 すごく」
ならば話は早いと立ち上がる。
「そういえばアキさんはこの街のこと、少し詳しいんですよね。 オススメのお菓子とかあるんですか?」
言われてみれば、甘い物は特に好いていないので殆ど甘味についての知識はなかった。 一応そういった専門店の場所は幾つか知っているものの、入ったことはなかった。
なのに何故そんな発想が出たのかを考えてみると、父親とのやり取りを思い出した。 色々なことが出来るようになり、発育もよかった俺は同年代の子供より優れていて、それで父に下手に褒められるのが嬉しくて色々と努力をしていた。
「甘い物を食べに行こう」。 父親は時々、俺を褒めたり、慰めた後にそんな言葉を続けた。
当時から甘い物が好物でもなく、今も昔もどちらかと言えば苦手だった。 父親も食べながら顔を顰めていたので、俺と同じく苦手だったのだろう。
それでも、嬉しかったという想い出がある。
「いや、店の場所ぐらいは覚えているだけだ」
「行きましょうか。 いひひ」
エルが嬉しそうに立ち上がる。
もしかしたら、エルが人助けを積極的に行うのは、ただ人がいいだけではなく実の両親への負い目があるからだろうか。
共に宿を出て、ここから遠くない甘味の置いてある店に向かう。
しばらく歩いてエルの方を見る。
エルの浄化が自身にも作用するようになったのは、自分が汚いと思うようになったから。 いや、それが表在化したからか。 元々エルの神聖浄化は自分を中心に発生する、言い方を変えれば自身の浄化を基本として他の物も浄化出来る形だった。
エルは好きな人が僕のために傷つくのが嬉しい自分が嫌いだからと説明していた。
好きな人は俺のことで、それもまさかの恋愛感情だったが、本質は変わらないだろう。
「エルは……自分が嫌いなのか」
口から漏れ出た言葉にエルは小さく頷いた。
「はい。 好きでは、ないです」
「好きになれ」と言いたいところだが、俺も自分のことを好いてはいないので言えるような人間ではない。
エルの代わりに俺がエルのことが好きで、俺の代わりにエルが俺のことを好きならば、それで自己肯定が出来そうなので、それはそれでいいかもしれない。
「俺はエルのことが好きだ」
「僕もアキさんのこと、大好きです」
エルを崇め奉るような目で見ないように、等身大の臆病なるところもあるエルを見ても、エルへの好意は変わらない。 他の物に執着しない俺にとって、人間である証左はエルの存在に帰結するような感覚がする。
エルがいなければ、あの脳内に響いた命令に一切逆らうこともなく従ったかもしれない。
「エルこそが、俺の全てなのかもしれない」
「えっ、あの。 はい、どうも、です」
エルが顔を赤くしながら、小さく笑う。
少し歩いて、甘味の置いてある店の中に入り込む。
甘ったるい匂いが鼻腔の中に入ってきて、少し尻込む。
「この世界に来てから、初めてです。
どれが美味しいですか?」
エルに言われて陳列されている食品を眺めてみるが、知った物がない。 元々ほとんど知らないのだから当然だけれど、何しにやってきたんだと思われないか不安に思う。
何か知っているものがないかと鎖をジャラジャラと鳴らしながら見回して、一つ知っている物を見つける。
「これは、食べたことがあるな。 随分昔に」
小麦粉を練り焼いた生地に甘い果物や何かよく分からないクリームらしきものを置いて巻いたもの。
「クレープみたいな物ですかね、いや、どっちかと言うとパンケーキ?
これにしてみましょうか」
特に迷うこともなくそれを二つ買い、袋に入れてもらい宿に戻る。
店の中にある椅子や机のある場所で買い食いするのが一般的のようだったが、若い女性に囲まれながらエルに食べさせてもらう勇気はなかった。 あの店で鎖をジャラジャラ鳴らしながら歩いていたのも相当目立っていたが。
出来ることならば、早く外したい。 無理ならば一生エルにお世話されるのか、それはそれで魅力的ではある。
「こうやってゆっくりしているのも、悪くないですね」
言われてみれば、なんだかんだと忙しい毎日が続いていたのは事実だ。 エルと出会って数日間は必死に魔物を狩り金策をして、ここに移動してからはすぐに赤竜と戦闘を行い、絵本のことで動きまわって、そして俺の魔物疑惑と魔王の復活。
ここまでくるのにまだ一ヶ月程というのが信じられないぐらい忙しない毎日だった。
「俺のことがなんとかなったら、力を蓄えるためにも、少しゆっくり過ごそう」
「んぅ、いいんでしょうか……?」
「いいだろ。 結局まともに修行も訓練もしていないんだ」
エルに魔王を倒すためだと嘯いて丸め込む。 頑張って金を集めて何処かに小さい家でも買おうか、楽しみだ。




