狼さん
捕獲されたアキレアは有り合わせの布で縛られて、馬車の中に運ばれる。
縛られながらも暴れるアキレアにエルは不安そうに近寄ると、それに気を使うかのようにアキレアは動きを止める。
「どう、なってるんですか?」
涙を流しそうになるエルはそれを飲み込むように、平静を装い不自然に抑揚の少ない口調で二人に尋ねた。
「どれから話すべきか……。 いや……」
アキレアの意思を考えれば、エルに話すのは少し気が引ける……が、このまま話さずにいるのはエルに対してあまりに非誠実だ。
ロトはグラウに目配せをするも、グラウは努めてロトと目を合わせないようにアキレアを担ぐ。
エルの方に向き直り、少女の濡れて揺れる眼と震える肩を見る。
愛らしいとは、思った。 アキレアが彼女に抱いている感情とは違うが、可愛いとは思う。
子供だからと除け者にする気こそないが、少しは迷いもする。
馬車の中にアキレアを入れて、グラウがアキレアの治療と縛り付けるのをすると言ってロト達を追い出した。
「まず、第一に」
ロトは意を決して、口を開いた。
「アキレアはエルちゃんには知られたくないと思っている。 それで、聞くか?」
「聞き、ます」
部外者は自分の方なのに、こんな風にバラしていいのだろうか。 少し言葉を詰まらせながらロトは続けた。
「アキレアは最近悩みがあった。 知っているな」
「はい、何で悩んでいるのかは……」
エルは顔を伏せながら返す。
自分は知らないのに、教えてもらえなかったのに彼は知っているのかと嫉妬を抱く。 こんな状況でもまだ自分本意な悪感情を抱いて、本当に汚れているとエルは手を強く握る。
「慰めるつもりではないが。 エルちゃんには言えないってのは、信頼とかそういう問題ではないからな。
アキレアは、俺にもグラウにも、おそらくケトにも、そこらへんのおっさんでも誰でも話せただろうが、エルちゃんにだけは言えなかったんだ。 まぁ特別ってことだ」
「特別……です、か」
「おう。 アキレアが悩んでいたことは、あの男のことだ。 同じ色の、魔物だった」
少し前に戦闘を行った男のことを指す。
「自分も魔物なんじゃないかと考えてな。
もし、魔物だった場合は、エルちゃんと結婚出来ないって嘆いてた」
ロトはエルの反応を確かめる前に矢継ぎ早に言葉を並べていく。
「魔物だった。 絶望したような顔をしていたな」
「それで、あんなことに……?」
「いや、多分あれは魔王復活の影響だと思う。 丁度時期だしな」
「じゃあ、落ち着いても……戻らない……です、か」
グラウが縛り終えたのか、馬車の中から出てくる。
「勇者の嬢ちゃんを見て動きが止まったりしてたから、あれはアキレアだな。
とりあえず、ロト、来てくれ」
グラウとロトが馬車の中に入り、エルは地面に座り込む。 なんで、彼ばかり辛い思いをしなければならないのだと嘆く。
自分は人間であろうがなかろうが好きだと伝えたいけれど、今、彼に伝える方法はない。
アキレアの様子を見たロトは少し顔を歪める。 端正な顔立ちで、無表情なことが多かったアキレアの顔が敵意を丸出しにして歯を剥いてこちらを睨んでいる。
「落ち着いたかと思ったが……これは、獣みたいだ」
まるで獣のようだ。 ロトはそう思った。
人という獣、明確な判断能力も力強い意思も、小器用な手も、積み重ねのある体捌きも持っているが、その人の強みを全て獣性に利用されている。
人の動きをして、獣が如く襲いかかってくる。 これまでのどんな敵よりも厄介な相手だった。
「アキ、俺の言葉は分かるか?」
「……」
返事はなく、ただ睨みつけている。 獣のようにしか見えない。
「仕方ない。 エルちゃんに来てもらったら好転するかね」
ロトは馬車から顔だけ出してエルを呼ぶ。 すぐそこに控えていたエルは急いで馬車の中に入り込んだ。
アキレアの容態が好転したかと問えば、そうでもないが緊迫していた空気はなくなっていた。
「これは、獣みたいだ」
先程とは違う意味で。
アキレアの目線は忙しなく動かしていた先程とは異なり、一人に集中している。
アキレアと買った白い服に、薄いベージュの膝丈のズボン。 その隙間から出ている足や腕、そして顔。
一通り肌色の部分を舐め回すように見ると、エルもその視線に気が付き少し身を捩る。
恥ずかしがっているような場合ではないことは分かっているものの、明確な獣慾に晒され、平静のフリを保てるほど視線に慣れてはいなかった。
捩った小さな身体にも女性らしい柔らかさを感じとったアキレアは、服に包まれていても分かる薄らべったい胸やら尻を凝視して唾を飲み込む。
「アキ、俺の言葉が分かるか?」
アキレアはロトの言葉を無視してエルを凝視し続ける。
「これはダメだな」
思わず溜息が吐き出される。
これは獣だ、というか狼であった。
しばらくアキレアがエルを、とろんとした目で見続け、幾度も喉を鳴らす。
ロトもこの少女は可愛らしいとは思うが、あくまでも子供としてであり、少し呆れてしまう。
エルがやっと情欲の篭った視線に慣れて、アキレアを見詰める。 この様な状態であったとしても、エルがアキレアを慕っていることには代わりなく、恥ずかしいとは思っても不快には感じていなかったためだろう。
「アキさん。 僕の言葉、聞こえていますか?」
エルの言葉を聞き、アキレアは何度も首を縦に振る。
これはこれで可愛らしいとエルは呑気なことを考えながら、アキレアに近づき頭を撫でる。 獣のようだった表情は緩みきり、撫でているエルの手に頭を擦り付けるようにする。
挙動は明らかにおかしいけれど、自身のことは認識してくれていることと、言葉が分かっていることを確信にして、エルは少しだけ落ち着く。
「いつものように、なっていただけませんか?」
アキレアは少し迷ったが、首を横に振る。
迷ったということは、いつものアキレアに戻ることも可能なのだと把握する。
手を引いてから思案する。 いつものアキレアとは違う存在なのか、それとも魔王の復活の影響で表層に出てきただけなのか?
「あなたは、アキさんですか? いえ、んと……いつものアキさんですか?」
首を横に振る。 二重人格というものとは違うだろうが、少なくとも完全な同一人物ではなさそうだ。
エルに対する挙動などを見れば比較的、記憶や感情は近しいものがあることは一目瞭然だ。
言わば、人間のアキレアと、魔物のアキレアと言ったところか。 ロトは、エルとアキレアが仲良くなっていて本当に良かったと思った。
もしも、エルのような存在がいない状態でアキレアの魔物化(仮称)が起こった場合、手のつけようがなかった。 本当に殺すしか止める方法がなかっただろう。
エルはアキレアになんて交渉すれば、いつものアキレアに戻ってくれるのかを考える。
そう思案して、策を練っている間もアキレアがエルの口元を見ているのに気が付き、一つ思い付く。
だが、その言葉を話すのは酷く羞恥を伴い、少なくともロトやグラウの前で言えるような言葉ではない。 けれども、責任感の強い二人に戦闘能力のない自身とアキレアの二人きりにしてくれと言っても首を縦に振ってはくれないだろう。
エルは耳まで真っ赤に染めながら、覚悟を決める。 極力二人を視界に入れないように、アキレアに近づいて口を開いた。
「いつものアキさんに戻っていただければ……。 ちゅ……ちゅーして、あげ……ます、よ?」
アキレアは目を大きく見開いて首を何度も縦に振ってから、突如ガクンと首が下がる。
それからエルと同じように顔を赤くしたアキレアがその赤い顔を上げる。
先程とは違い、人間らしさを見せる顔をエル、ロト、グラウの順に見てから、あまりに強すぎる羞恥に泣きそうな声で呟いた。
「殺してくれ……本当に」