勇者とは何か
珍しい、黒い髪の毛をしていた。
育ちが良さそうな細く繊細だが艶のある髪は、子供の出自が貧民街でないことを示している。
育ちのいい人間が、飢えて倒れているなんて考えにくいが、遠くの地からやってきた勇者ならば考えられなくはないか。
それでも戦いにきた者が子供というのもおかしな話だから、勇者であると断定は出来ないが。
なんとなく顔を覗き込んで見たら、女の子らしい柔らかそうな顔つきで寝ていた。
そろそろ飯を食わせる必要があると思うが、起きなければ仕方ない。 外で飯を買ってきて、戻ってもまだ寝ていたら起こして食べさせよう。
いつもの屋台で、いつものパンの切れ端を二つ買うともう金がなくなった。 剣を借りることも出来ないが、新しく手に入った剣があるのでゴブリンぐらいならどうにでもなる。
宿に戻り、パンをそのまま机の上に置いて黒髪の少女を揺さぶる。
いくら揺さぶっても目を覚ます様子はないので、起こすことを諦める。 これ以上時間を無駄にすれば今日の分の宿代が払えない。俺一人なら野宿でもいいが、病み上がりの少女にそれをさせるわけにもいかないだろう。
鞘もない剣を握って、とりあえず上着を脱いで剣に巻いておく。 抜き身のまま街中を歩きまわるわけにはいかないだろう。
いつものようにゴブリン退治の依頼を受け、使い物にならない左腕をぶら下げながらゴブリンがいる場所まで向かう。
左腕が使い物にならない分は、切れ味のある剣が補ってくれているので腕が千切れそうな酷い痛み以外には、案外好調と言ってもいいだろう。
昨日気がついた、ゴブリンは血の匂いに寄ってくる性質を活かして、血塗れのゴブリンの死体の前で待っているとあちらからやってきてくれることもあり、いつもより楽なぐらいだ。
昼頃になったぐらいになればいつも狩れてるよりも少し多いぐらいで、宿屋に金を払って少女に飯を買ってやってもまだあまりそうだ。 もう少し狩れば、俺も食うこともできるだろう。
もう丸一日食べていない腹が鳴るが、我慢してゴブリンが来るのを待つ。
いつもの倍は狩れて、これで腹一杯食うことも出来ると喜びながら帰る。
ギルドで金を受け取ってからパンの切れ端をあるだけ買い、宿屋に戻って金を払う。 まだ余っているから、酒場の主人にも返しにいける。
腕が手のつけようがなくなっていることに目を背け、空元気で喜びながら、部屋の扉を開けた。
「あ…………」
目を覚ましたらしい少女がベッドの上に座り込み、怯えた目で俺を見た。
黒髪、それに黒い目。 勇者であるとの確信と共に、強い驚きがあった。
汚れもない白い肌、細い柔らかそうな短めの黒い髪、大きく開かれている黒い目は深いところまで見透かしているよう。
顔色が悪く痩せ細ってこそいるが、黒髪の少女が美しく、思わず一歩後ろに下がってしまう。
「目、覚めたのか?」
そんな間抜けなことを、どう見ても起きている少女に向かって言った。
少女は足を少し動かし、ベッドの上で少しだけ後方に移動する。
机の上を見れば、置いておいたパンの切れ端はそのままある。 けれど、今起きたばかりのようには見えない。
「とりあえず、食っとけ。 病気は治ってるんだ、食っとけば死にはしないだろ」
地べたに座って、手に持っていたパンを齧る。 口の中の水分が取られて、喉の渇きが酷くなる。
少女も喉が渇いているだろうし、水は必要か。
「水貰ってくるから。 身体におかしなところはないか確かめとけ。 完治してなかったら明日にでも治療院に連れてってやる」
痛む腕を抑えそうになるのを我慢しながら、立ち上がる。
宿屋の主人に言って水の入った桶をもらい。 コップを二つ借りる。 安い宿屋なのに色々とサービスがよくてありがたい。 水は井戸があるのでどうにでもなるが、容器がないので助かる。
部屋に戻ると少女は地べたに座っていた。
「なんで床に座ってるんだ。
これ水。 喉渇いてるだろ?」
桶の水をコップに移して少女の前に置く。 流石にパンは床には置けないので、机の上から取って手渡す。
「ありがとう、ございます」
少女は鈴のような声で礼を言うが、パンや水に口を付けようとしない。
少し気にしながらだが、俺も喉が渇いて腹が減っているので水を飲んで、パサパサなパンを齧る。
少女がよほどの大食いでなければ二人とも満足出来るほどはあるので、特に気にせずに食べ続けていると少女も口を付けた。
少し咀嚼して、嚥下したところを見届けたところで、少女のことを知ろうと口を開く。
「黒髪、黒目。 もしかしてだが、勇者ってやつか?」
少女は少し目をこちらに向けてから小さく頷いた。
ロトの話によれば、魔王というすごいのを倒すための傭兵とのことだが、この少女にはそれが成せるとは思えない。
ロトはまだ分かる、若いが何か得体の知れなさがあった。 名前も分からない男も、強い魔力を持っていた。
目の前の少女は、俺がたまたま踏まなければそのままのたれ死んでいただろう。 魔王がどれほどの存在なのかは分からないが、ノミやらダニにすら負けそうなこの少女が勝てる相手ではないことは確かだろう。
勇者とは、何だ。
俺の疑心を他所に、少女は口を開く。
「僕は……付きなしの勇者だから。 多分思ってるのとは違う……違います」
付きなし? 聞きなれない言葉、また訳の分からない言葉に頭を捻っていると少女がそれに気がついたらしく補足する。
「勇者には、位があるんです。
僕みたいな、ただ能力を渡された勇者」
パンを齧りながら頷く。
「現地の高名な人が協力してくれる人付きの勇者、国が協力してくれる国付きの勇者、神様が直々に助言してくれる神付きの勇者。
つまり、僕は勇者でも……勇者とは言えないようなーーです」
国が協力してくれる。 ロトや男の話でも薄々感じていたが、勇者とは……とんでもない存在なのか。
そして、国が協力して倒すような存在が魔王。
薄々感じていたが、少女の言葉で実感と、それと共に信じられないと思えるようになってしまう。
「本当に国が動くようなものなのか?」
「はい、たぶん。
一カ月……あと三週間後には、大々的に発表されると思い、ます。 そう聞きました」
どこか信憑性の薄い少女の言葉。
嘘だとは思わないが、そんな存在が俺を勧誘してきたのが不思議でならない。
「聞いたって、誰にだ? ロトか?」
「ロト? いえ、信じられないかもしれませんが」
少女は伏せた顔から目だけをこちらに向けて、俺の機嫌や表情を伺ってから続きを話す。
「神様、です」
少女の表情は俺の表情を確かめるためのもので、少なくとも嘘を吐いているようには見えない。
嘘を吐いていなくとも、少女が神を名乗る者に騙されている可能性は充分にある。
「神様……ねえ」
そういえばロトも女神とか言っていた。 確か、東方の国に龍などの強い生物を神と呼び信仰する宗教があったはずだ。
神がそれだとすると、ある程度は納得が出来る。
「はい。 え、と……証拠になるかは分かりませんが、神様から能力を貰いました。 勇者は全員」
少女は手を、俺が血で汚した床につける。
「神聖浄化」
少女の口から言葉が発せられ、魔力も何もなく手から光が放たれた。
そして、少女の触っていた辺りか血どころか埃や小さなゴミすらなくなったように綺麗になっていた。
「魔法……じゃない。 どうやったんだ。 手から光? 魔力がないけど魔法か?」
しばらく混乱したあと、理解出来ないことが理解出来た。
明らかにこの世の理から離れたような異質な技を、年端もいかない少女が持っていた。
そのおかしな能力は、少女の言葉を信じさせるのに充分で、勇者について知る必要があることに気がつく。
俺はパンを置いて、少女に質問を始める。
勇者の位的には
神付き(能力+神の協力してもらえる勇者)
国付き(能力+国の協力してもらえる勇者)
人付き(能力+高名な人に協力してもらえる勇者)
付きなし(能力のみ)
の順になっている。
どの勇者になるかは純粋な戦闘力だけでなく、魔王を倒せる可能性の高さによって優遇あるいは不遇かが決まる。
少女の場合は付きなし(ほぼ見込みなし)の勇者。