傲慢な誇り
血の混じった胃液を吐き散らしながら、ゴブリンを斬り伏せる。
ゴブリンのような魔物の持っていた剣は魔剣の類なのか、ゴブリンを何匹切っても切れ味が鈍る気配がない。
いつも使っている鈍器のような剣では、街に着く前に死んでしまっていたかもしれない。
ある程度、街に近寄った頃にはゴブリンの影はなくなり、思わず安堵の息が漏れ出てしまう。
大量に抜け出た血のせいか、ゴブリンの血のせいか、たくさんのゴブリンがやってきたせいで死ぬかと思った。 もう魔力も残っていない。 死に体で、まさに満身創痍だ。
街に入り、真っ先にギルドに向かう。
他の地域に比べて治安が悪く人気が少ないのは、今はありがたい。 血塗れな身体を引きずりながらギルドの扉を開けて中に入る。
受け付け嬢は顔色を青く変えながら、駆け寄ってくるが手で制して借りていた剣を突き返す。
「だ、大丈夫ですかナインさん!」
「はん、半分は、返り血だ。 問題ない。
金を受け取れば治療院に行く」
その言葉を言ってから受け付け嬢を通り越して、魔石を全てカウンターの上に置く。
「は、はい、分かりました。 えっと……依頼達成かどうかのために人を送る……時間はないか。
嘘ではないでしょうし、依頼達成を認めて報酬と、あれ。 これはゴブリンのじゃない……ホブゴブリン? えっ、あっ、と、ホブゴブリンと余剰のゴブリンの魔石は依頼とは別で買取りで上乗せして……はいっ、出ました! 今はケチったりしてないので早く行ってください!」
いつも報酬をケチっているのは認めるのかよ。 何時もの十倍どころか、二十倍はありそうな金を受け取り。 ポケットに突っ込んで外に出る。
早く行かないと、そろそろ日が暮れてしまう。 近道をしようと路地裏に入ると、柔らかい何かに躓いて転ける。
「ってぇ、マジで死ぬ……」
そこを見れば……子供が転がっていた。 踏んだのに声もあげなかったために死体かと思ったが、痛みを訴える代わりのように、小さく咳き込んだ。 意識はないようだ。
まだ十歳になっていないようにも見える子供は、明らかに衰弱していて頰は痩せこけて顔からは生気がなかった。
その子供の手には幾つもの黄色い斑点がある。 見たことがある病気だった。昔、弟がかかっていたのをよく覚えている。 親父の魔法でパッと治ったんだ。 それで治療魔法の練習をして……。
そんなにひどい病気でもないが、こんなところで転がっていたら今日の夜にでも力尽きるだろう。
今すぐにでも死にそうな子供。 持ち物には、治療出来るだけの金。 俺は身体中に怪我をしていて、左手と左腕、肋骨が折れていて、左腕は膿んでいる。
このまま、無視するしかなかった。
◆◆◆◆
「ふざけんな、ふざけんな。 くそが」
舌打ちを何度もする。 あの糞オヤジのせいだ。
俺の口にパンを無理やり突っ込んだ酒場の主人の顔を思い出しながら悪態を吐く。 緊張が切れてきたのか、身体中の痛みがはっきりと伝わってくる。
あの糞オヤジは、俺に恵みやがった。 だからだ。
あの糞オヤジのせいで「他人だから助ける必要がない」という常識は、俺の中で常識ではなくなった。
他人でも助ける奴はいる。 それも見返りも必要なく、自分が損をしてもだ。
俺は、落ちこぼれではない。 絶対に。
だから、あの糞オヤジのせいで、子供を放っておくことは出来なかった。
見た目よりも軽い子供を背負い、壁に折れた左腕をつけて転ばないようにしながら治療院に向かう。
治療院は大通りにあり、そのせいで血塗れな俺はいやに目立つがそのおかげで人が避けてくれて通りやすい。
中に入って見回す。 もう閉まる直前の時間のおかげか他に患者はいなかった。
受け付けの男は俺を見て驚いた様子だが、いちいち説明していられない。
先ほど受け取った金を全て机の上に叩き置いて言う。
「この子の治療を頼む。 俺はいい」
疲れが膝にきたらしく、少し震えて曲がり、膝を付きながら子供を男に渡す。 そのまま倒れ込みそうになるが、倒れるわけにもいかず、這って壁を背に座る。
どうやら治療してくれているらしく、バタバタと音が聞こえる。
魔法による治療で済む病気でよかった。 投薬やら手術やらだと、回復するより先に子供が死んでいただろう。
眠りそうになりながら、気力のみで目を開けていると、三十分後ぐらいに、少し血色のよくなった様子の子供が背負われてきた。
「病気の治療と体力の回復をしましたが、まだ衰弱しているので暖かいところで寝かせて、消化にいいご飯を食べさせてあげてください」
男の説明に頷き、お釣りを受け取りポケットに突っ込む。
残りはいつもの安い宿の一泊分と飯を二食ぐらいか。
「床、汚して済まない。 あと、助かった」
安い宿に向かうまでにもてばいいが。
倒れそうになりながら子供を宿まで運ぶ。 もう暗くなっているが、まだ空いていて助かった。
金を払い、いつもの部屋に入る。 ベッドの上に子供を置き、布団を掛けて……意識を失った。
◆◆◆◆
いくら疲れていても、死にそうになっていたとしても一度付いた習慣は治らないのか、目が覚めたのは朝日が昇る前だった。
体を起こそうとすると、床に垂れて固まった血がこべりついていて皮膚に痛みを感じる。
べりべりと、人が目覚めた時に発されるとは思えないような音を部屋に響かせながら、俺は寝転がった体制を壁を背にして座る体制へと変えた。
酷い痛みが全身を襲うが、どうやらまだ生き残っているらしい。
あの糞オヤジが飯を食べさせてくれたからかもしれない。
子供がまだ寝ていることと息をしていることを確認してから、宿屋の主人に水を貰いにいく。
血に弱いらしい宿屋の主人は俺から目を逸らす。
「裏の場所を使っていいから、早く流してくれ」
桶に入れられた水を右手だけで宿屋の裏まで持っていき、まずは口に付けて飲む。
冷たい水は、傷付いた胃に痛みを与えるが、それでも美味い。 それでも一気に飲むのも辛く、水はまたもらうことにして血を落とすことにする。
服を脱いで、まずは膿んでいる左腕を洗う。 そろそろ取り返しがつかなくなりそうだが、仕方ないだろう。
俺が死にそうになったら、子供は……元弟に預けれるだろう。 あいつはいい奴だ、面倒を見てくれる孤児院でも見つけてくれるはずだ。
あまりの痛みに吐きそうになりながら血と膿を落とし、次は髪からほんの少しの水を被り、固まった血を溶かしていく。 全身からダラダラと赤黒い液体が流れ落ちていき、足元の土を赤く染めていく。
傷が開かないように擦って血を溶かしきれば、また水を被り血を落とす。
まだ全身から血の匂いがするが、これ以上は傷が開きそうなので諦めることにする。
いつもの服もそこら中が切れて穴が空いてしまっているが仕方ない。 桶の中に浸ければ、桶の中の水が血に変わる。 服がこれ以上破けない程度に洗い、桶の中の水を捨てれば殺人現場のような場所が完成した。
濡れた服を着て、主人に桶を返しに行ったが、まだ身体中が血だらけらしくもう一回浴びてこいと桶を渡された。
適当に洗い流してから桶を返す。
黒い上着はそれほど目立たないが、真っ白だった中の服は明らかに血のせいで変色していた。
治療出来る金もないので当然のように買い換える金もない、諦めるか。
子供もそろそろ起きるかもしれないので、濡れた服のままだが戻ることにする。
昔泊まったことのある高い宿と違い、多少汚しても問題ないのは今の俺にはありがたい。
部屋に入って、また倒れ込むように座って子供を見る。 色々と精一杯だったから、まともに見ていなかった、というか全くというほど見ていなかったが。
「……黒い」
子供は黒髪をしていた。