自分が嫌いで貴方が好きで
エルは自分を汚いと罵り、赤く腫れた眼を俺に向ける。
頭が痛くなる。 胃が縮こまってない中身を吐き出そうと動くのが分かった。
「エル」
震えて吐き出そうとする喉から空気だけを絞り出して、愛おしい人の名前を呼んで、逸らしそうになる眼を向け返す。
辛く痛い思いをしている大切な人を見ても、慰められるような何も思い浮かばない。
それでも何か言わないと、何処かに消えてしまうような感覚がして纏まらない頭で言葉を吐き出した。
「好きだ。 君のことが、何よりも大切だから……だから、悪く言わないでほしい」
慰める言葉は、上手く話せなかった。
そんな自分がどうしても、気に入らない。
「ごめん、なさい」
エルが吐き出すように頭を下げて謝り、辛そうに顔を伏せた。 また困らせてしまった、守ると言ったのにすぐにエルには辛い思いをさせてしまう。
自身の情けなさに歯噛みして、手を強く握りしめる。
「ごめん、エル」
でも俺は……と言おうとしたが、俺はの後に続く言葉はない。 強く握った手から血が漏れ出ていることに気がつく。
「俺は、エルが汚いとは、思わないから」
泣いてもいないはずなのに、俺の頬に、雫が一つ垂れた。 汗でもない、頬から這うように顎にまで到達して垂れる。 一つの水滴がエルに向かって落ちていった。
走っていた頃はまだ夕方にもなっていなかったはずだ。 何も話せずにいた時間がそんなに長かったのか、辺りはもう暗く、空の上には嫌な色をした雲が登っていた。
また一つの水滴が降ってきた。 その水滴が落ちてくる間隔はすぐに短くなっていき、幾つもの水が降る。
雨だ。
着ていた上着を脱いで、エルに被せる。
「ここじゃあ、濡れる」
エルが頷いたので、手を伸ばす。 エルが俺の手を掴んだので、手を引いて立つのを手伝う。
「ありがとう、ございます」
エルが俺のことを好きだと言ってくれて、跳ね上がりたいほど嬉しいはずなのに心が晴れることはない。
俺の上着に身体を隠したエルは、腕を伸ばして下から俺の頬を触る。
「哀しいんですか? 僕が、哀しいから」
エルの頬に水が流れる。 エルが泣いているのか、雨が落ちてきたのか。
俺の頬を触れていたエルの柔らかそうな手を掴んで、握りしめる。
「ああ、そうだ」
「嬉しい、です」
泣いているのか笑っているのかが分からないような、複雑な表情を俺に向けて、手を握り返した。
雨が強くなってくる前にロトのところに行こうとするが、少し遠い。 どうやら、俺とエルのために距離を開けてくれていたようだ。
濡れた草にエルの足が取られないようにエルの手を手繰って身体を近くに寄せる。
「雨が降ってきたな。 夜目は聞く方だと思っていたが、星明かりもないとさすがに見えないな」
少し雨に頭を冷やされて、考えてみれば雨を凌げるようなものがない。
馬やロトやケトや俺はいいとしても、エルには風邪などを引かせるわけにもいかない。 立ち止まっている間だけでもと、大きめシールドをエルの頭上に張ってエルを雨から守る。
「どうする。 ここだとそう長い間降り続けるってことはそうそうないだろうが……」
「エルちゃんはそれで大丈夫だろうし、アキは風邪引かなさそうだけど……。 俺もケトも馬も風邪を引くからなあ、ここで寝るとかは無理だな
アキはそのシールドの範囲伸ばせれねえの?」
「出来なくはないが、あと少しだけだな。 それ以上は大きくできない。 それにそんなに長い間を展開し続けられるほど魔力も集中力も足りない」
手詰まりか、俺は風邪を引いたことがないが、流石にこんな状態ならば風邪を引いてしまうかもしれない。
何気ないようだが、実は全滅の危機なのかもしれない。
そんな中で、エルが眼を服の袖で擦りながら口を開いた。
「もしかしたらですけど、どうにか出来るかも、しれません」
「本当か! 流石エルちゃん!」
ロトが都合のいい笑みを浮かべて、エルの方を見る。
そのエルは俺の方を見る。
「赤竜の時の、アキさんが空から降ってきた時……僕が魔法を使おうとして失敗して、何の性質もない魔力をアキさんの方に飛ばしたら、アキさんがその魔力を使ってシールドを使ったことは、覚えていますか?」
エルが俺に尋ねるが、そんなこともあったような気もするがちさ、どうにも酷い戦いで満身創痍だったせいでうろ覚えだ。
とりあえず頷いておく。
「それで、僕が女神様に尋ねた質問への返答の中で女神様はこんなことを仰っていました。
『魔法は、魔力を元に意思の力で歪めて変質させたものだね。
基本的に自分の意思が強く及ぶ範囲の魔力なら魔法として使えるよ』
と、妙な言い方だったので少し気になっていたんです。 つまり……アキさんは僕の魔力を、僕もアキさんの魔力を、使えるのかもしれません」
「なるほど、のろけか」
エルの言葉をロトが茶化すが試して見る価値はあるかもしれない。
エルは失礼します、と言いながら、エルの上にあるガラス板のような魔法に手を伸ばして触れる。
俺の魔法、魔力に違う力が流れ込んでくる。
魔力に感覚なんてないはずだが、柔らかいと感じる。
シールドに魔力が流入するが、俺の特性はよほど頑固なのかシールドの形は崩れはしない。 だが、明らかに……大きく広がっている。
「おお、すげえ、デカイガラス板になった」
ロトがそう言って上の大きく広がったシールドを触る。
確かに違う魔力が流入して混ざり込んでいるが、その魔力も操ることは出来る。 むしろ、勝手に形や性質が変化する特性がエルの魔力で薄まっていて扱いやすいぐらいだ。
「ん、名前、どうします?」
エルが充血している眼をこちらに向けて尋ねる。
「何でもいい……。 いや、そうだな」
エルは名前というものに少しこだわりがあることを思い出して口を閉じる。 エルとの共同魔法、いや、合体魔法なのだから、それに因んだものがいいかもしれない。
「エルシールド……とか、どうだろうか」
「ないです」
大きなシールドの名前を考えながら、地面の少し上にもシールドを展開し、エルがそれに魔力を込めて大きなものに変える。
そのシールドの上には乗っていれば、足元から雨に濡れるのも少しは防げるだろう。
地面のすぐ上に張った大きなシールドの上にゆっくりと座りながら、頭を悩ませる。
「意外と便利だな……。 デカイ割にはすぐ割れそうな感触だけど。
それに、魔法ってことはお前等は寝ることも出来ないよな」
「んぅ、1人が起きてたら、どうにかなると思います。
あと、多分大きさ以外は普通のシールドと変わらないです」
エルがロトの質問に答える。 下手に暴れたら割れてしまうが、まあ雨宿りに使う程度ならば十分だろう。
「名前、思い浮かばないな」
「はい……変に凝った名前だと、急いで意思疎通する必要があるときには少し問題が出そうですよね。
ビッグシールドとかにしますか? それとも大盾と呼びやすいように」
「なら、大盾にしよう」
「はい。 分かりました。 じゃあこれは、合体魔法:大盾ですね」
エルはそう言ってから微笑む。 無理に元気良く振舞っているように見えるが、それすらも出来なかった先程よりかは心が落ち着いてきたのだろうか。
ロトやケトの手前、ずっと泣くわけにもいかないから表面だけマシになっただけということは分かりきっていることだ。
結局、俺は何もエルを救えていない。 その事実が深くのしかかる。
雨に濡れていて、いつもなら明らかに浄化を行う状態なのにエルはわざとらしく、笑っているだけだ。
先程まで、本気で泣かないでくれと思っていたのに、今は泣いていて欲しいと感じている。 多分俺は、どうしようもない馬鹿だ。




