どうしようもない屑だと、自覚している。
アキさんの身体が浮き上がり、そのまま重力に引き摺られるように地面に倒れ込もうとする。
なんとか地面にぶつかる前に身体をアキさんと地面の間に滑り込ませることが出来たが、意識を失っているのか一切の遠慮もなく人一人分の体重がのしかかり、そのまま一緒に倒れた。
背中と頭を打ち、痛い。 その上にアキさんの身体が乗っていて動けなくて重くて辛い。
それでも顔と目線を動かして何が起こったのかを確認すると、何故か振り切られているような体勢のグラウさんと、それと倒れた僕達を見て驚いた顔をしている二人。
「どういうつもりだ!」
ロトさんが怒鳴り、中空からソードブレイカーを引き抜くのと共にリアナさんが後ろに飛び退き、警戒を表すように身構える。
グラウさんは何でもないような顔をして、僕達を指差す。
「怪我はさせてないからギリギリセーフ?」
「んな訳あるか!」
二人が話をしている間に、動けない身体を捩って脱出を試みるもそう上手くはいかない。
「まぁ、お前も気がついてたと思うが、こいつら問題ありまくりだからな。 とりあえず表層に出てきたからなんとかしようとした……まぁ親心だ。 三割がた親ではないけど」
「親子……じゃないよな、どう見ても。
それに問題って、今回のはどうにでもなる事態だ。 ぶん殴って気絶させるとか、何を考えている」
語気を強めるロトさんだが、その眼は揺れていてその強い言葉がハッタリであることを如実に示している。
それとは対照的に、グラウさんは一切の揺れもなく真っ直ぐとロトさんを見ていて、そこには敵意も害意も感じられないが、威圧されているような気がする。
ロトさんは溜息を吐いてソードブレイカーを中空に突き刺すようにしまい、揺れのなくなった瞳でグラウさんを睨み付ける。
「リアナ、いい。 下がっていろ」
無手ではあるが構えていたリアナさんの手に触れ、それを下ろさせる。
「こいつらが問題あるのは分かっている。
どう見ても正常には見えないし、言い訳しようともおかしな部分はあるだろう。
だが、殴ってどうにかなる問題でも、ない。 お前とアキの関係は知らないが、もし親だとしても当人で解決すべきだ」
酷い言われようだった。
僕は自分でも間違っていることぐらい理解していたし、それを解決する気も一切なかったのも事実で、それを否定するだけの語は持っていなかった。
「解決って、何がどう転んだら解決するんだ。
アキレアは我を持たずにひたすら人の意思を持って、この勇者の嬢ちゃんはそれを喜んでいる始末だ」
否定が、出来ない。 薄い胸にアキさんの身体がのしかかり、肺を動かすことが難しいだけではなく、それを認めないだけの語を持っていなかった。
「自己解決は望めない上に、こんな局面だ。
走って村に行って解決してくる……って、本気でお前は思っているのか?」
「アキの実力なら、充分に可能だろう」
「そりゃ、買い被りだな。
こいつはほとんど何も出来ないぞ。 口下手というか、言葉足らずというか……。 とりあえず、アキレアが出張ってもその襲撃者の仲間と思われるんじゃないか? 似てるみたいだし。 よほど単純に襲撃者を倒してってだけならどうにかなっても、それ以上は無理だ。
そもそも勘違いされても、それを否定さえするか分からない」
ロトさんはそれに歯噛みし、それでも納得はいかないと怒鳴る。
「だとしても、だ。 お前にどうにか出来ることなのか?
アキからは多少信頼されているようには見えるが、お前の言葉とエル、どちらを優先するかは見たらすぐに分かるだろう」
「だから、アキレアを眠らせたんだろ」
「眠らせたってか……。 つっても、俺は寄ってたかって一人に向かい多数で交渉ってのも、おっさんに任せっぱなしなのも気に入らない。
そもそも、別に悪いことでもないだろう。 そりゃ好きな奴を優先したくなるのも、ここまで極端ではないにしろ、誰でも多少はある」
言い合いはとまらないが、喧嘩、いや戦闘の気配は遠くに退き少しだけ安心する。 身を捩って脱出してから、念のためにアキさんの全身に治癒魔法をかける。
二人の言い合いを聞きながら、気絶しているアキさんを見守りながら、胸中ではどうしてこうなってしまったのかと後悔が渦巻く。
グラウさんの懸念も、僕とアキさんの間違いも気がついていたことだ。 やろうと思えば正すことも出来た。 それでも間違い続けた。
何故かなんて、考えるまでもなく気がついていた。
好きだから。 彼のことを好いていて、それでも好きな人がただチヤホヤと接してくれるのが嬉しくて、胸の内にある焦燥を埋めてくれるようで……馬鹿なことをしていたと理解している。
それでも、今日は帰りたくなくて。
「アキレアの問題は直したい。
俺は俺で、こいつを助けたいとは思ってるんだよ。 縁があるからな」
「……気に入らない」
「分かった。 悪いな」
そう言ってから、グラウさんはアキさんを持ち上げて僕の顔を見る。
「……ごめん、なさい」
「いや、アキレアに問題があるだけで、勇者の嬢ちゃんが悪いって話ではないからな」
アキさんの身体を地面に寝かして恐がらせないようにか距離を取りながら言う。
「ごめん、なさい」
責めてももらえないのは、僕に対して何も感じていないからだ。
分かっている。 グラウさんはアキさんに着いてきただけで、ロトさんも同様でリアナさんはロトさんにで、僕を見てくれているのはアキさんだけだ。
だから、問題があっても、間違っていても、いいじゃないか。 良いってことにしてほしい。
誰からもまともに認識されないのは、もう嫌だ。 嫌だ、嫌だ、絶対に。
「だから、とりあえずアキレアが嬢ちゃんに依存しているのをなんとかするってだけで……」
「ごめん、なさい」
謝りたおす僕に、呆れたような表情を向ける。 手が震える、喉が引きつって、目から涙が出そうになる。
「嫌、です。 僕は……グラウさんに、協力は、しま、せん」
またごめんなさいと謝って、僕は逃げるようにアキさんの身体を抱き締めた。
涙を拭って、鼻をすすって、アキさんの胸に顔を埋める。 後ろを振り向いてグラウさんの表情を、心中を考えるだけの勇気はなかった。
卑怯だ。 臆病だ。 自分勝手で、好きな人の事すら考えることが出来ていない。
でも、それでも僕はアキさんに「エル」と何度も呼ばれるのが堪らなく嬉しくて、他にどんなに辛いことがあろうともそれを手放すのだけは耐えられなかった。
「いや、なんだ……悪いようにしようって訳では……」
「分かって、ます。 アキさんのためでも、僕のためでもあることは。 ……でも、ごめん、なさい」
初めての幸福だった。 うろ朧げでしかない、子供の頃の、樹とは呼ばれていなかった、義理ではない父母から名前を呼ばれていた頃を除けば。 幸福であると、自身で認識出来るような歳になってから、初めてのことだった。
僕は樹じゃない。 だから、今日は、今日だけは帰りたくない。
この僕のアキさんへの好意は、手を繋がれたときに感じるのは思春期らしい恋愛で、頭を撫でられたときは子供らしい保護者に対する親愛で、話をするときは友愛で、名前を呼ばれたときには幼児のような愛着で、手を繋いであげたときには慈愛で、優しく抱き締められるときには愛欲を感じてしまう。
好きなのだ。 あらゆる意味で。
「僕は。 今のままが、今のままで……いたい、です」
咽び泣くような声が出る。 左手の古傷が痛むような気がする。
駄目だ、間違っていると分かっていても、僕は手放せない。
抱き締めて、身体を強く強く、痛いぐらいに強く寝ているアキさんに押し付けた。