治癒魔法
とりあえず、エルの手を引いて外に出る。
昨日食べていないせいで腹を空かせているエルと朝食を食べに出ようとする。 どうやらこの宿でも朝食を食べることは出来るらしいが、提供してくれる時間はきちりと決まっていて朝早いこの時間には用意してもらえないようだ。
そう急ぐわけでもないが、空きっ腹で我慢していろとも言いにくいので慣れない喫茶店のような場所に入って、朝食を頼む。
「魔法って、一言で言ってもいくつも種類があるが、どんなのを覚えるつもりなんだ?」
飯が来るまでの間に話をするのはここ最近の恒例となっていて、いつもは大した用もなく話しかけるのも戸惑っているが、この時ばかりは緊張感もなく話すことが出来る。
「治癒魔法を中心に、補助の類いのものをいくつかと考えています」
エルの言葉に少し首を捻る。
「攻撃魔法じゃないのか? そんな話をしていたと思うが」
「それは……昨日女神様に聞いた話から、攻撃魔法は向いていなさそうなので、覚えやすそうなものから順に覚えていこうかと。 すみません」
「いや、別にそれはいいんだが」
俺としては下手に攻撃魔法を使って魔物に狙われるよりかはありがたい。 攻撃魔法が向いていない、エルの顔を見るとどこかそれを納得する。
まず攻撃をしているイメージを浮かべることすら難しい、虫も殺さぬ顔というやつだ。
「それに、アキさんが怪我をしても治せますから」
不意に言われて照れ隠しに頬を掻く。 出来たら怪我をしないようにしたいんですけどね。 と付け足してからエルも同じように頬を掻いて、控えめに笑みを浮かべる。
「……おう」
朝っぱらから頬を染めた間抜けな面を晒すことになり、退学になったときにも感じなかったような強い羞恥を覚える。
しばらく待ち、やってきた朝食をがっつくように食べてその照れを誤魔化した。
エルが食べ終わるのを適当に待ち、窓から空を見上げてだいたいの時間帯を把握する。 まだ朝早いので、勇者が来るのを待つのはしばらく後になる。
俺が食べる早さに合わせて食べようとしているエルは、俺を待たせまいと頬をリスのように膨らませている。
可愛いとは思うが、同時に急ぎすぎたかと反省する。
「ゆっくり食えばいい。 そう待っているわけでもない」
温くなっている水を飲んで、一息吐き出す。 申し訳なさそうにエルは頭を下げ、エルからすると気の置けない相手といった存在ではないことを自覚して、また一息つく。
仲良くなりたくてなりたくて仕方がないが、エルを守るのには、ある程度の信頼以上には仲の良さの必要がないことは分かっている。
慣れない生活の上に男と二人での暮らしで色々と気苦労の多いであろうエルの心情を慮るならば、下手に接触を増やすのは避ける方がいいだろう。
いつもよりも早く食べ終わったエルに向かって謝罪しようとするが、なんて謝ればいいのかも分からず喉から外に言葉は出なかった。 意味にならない声が漏れでるだけだ。
金銭を支払い、すぐに宿に戻った。
宿に戻り、エルはベッドの上で正座から脚を横にずらして少し崩したような体制で座り魔法の練習をするためか、うんうん唸りながら魔力を放出している。
俺もベッドに腰掛け、高朽刃の成功した時の感覚を思い出す。 何の抵抗も、筋肉や関節、骨といった自身の身体から発生する抵抗すらもない、ただの振り下ろし。
また再現出来ないかと手を振ってみるも、いつもよりかは速いが、あれと比べてしまえばあまりに遅く鈍い。
上手くいっていないのはエルも同じらしく、ため息を吐いている。
「上手くいかないのか?」
「はい、どうにも……。
人を治すときのイメージが、細胞分裂を起こさせるのがいいのか新しく貼り付けるようにすればいいのかが分からなくて」
エルの相変わらず意味のない言葉に首を捻る。
「よく分からんが、普通に治すイメージでいいんじゃないか?」
「その普通に治すイメージが、とういか……。 こっちじゃあ細胞とかが一般的じゃないんですかね」
「少なくとも俺には分からないな」
その言葉を聞いて、エルはブツブツと独り言を発しながら自分の世界へと入り込んでいった。
「具体的な仕組みが分からなくても、回復は可能。
イメージしてるのは細胞ではなく別の何か……。 抽象的な……。 あっ、もしかして」
そしてエルは魔力を変質させることに成功させる。
視認が出来ない魔力から、淡い光を放つ魔力に代わり部屋を明るくさせる。
「出来たのか?」
「はい、多分。 試してみないと分からないですけど」
俺は適当に指を噛んで出血させて、エルに差し出す。
「はいこれ」
「な、何やってるんですか! 止めてください、怪我をわざとするなんで、自分でやりますから!」
耳に響く、怒鳴り声に近い大声をエルが出し、その喧噪に驚く。 エルが初めて見せた怒りの表情とその態度にびくりと身体を動かしてしまえば、その勢いが瞬時に冷めて頭を下げた。
「す、すみません。 突然怒ってしまって……。でも、本当に、わざと傷つけるのは、ダメです」
エルは顔を俯かせて、頼み込むように怒る。
何で怒ったのか分からない、と思ったがとりあえず頷いておく。
また頭を下げ合って、とりあえずこの分の傷だけでも治してもらおうと手をエルに出すと、エルはその傷に触れないぐらいのところから魔法を放った。
淡く、光量はあるのに目が痛くなることはないそれが俺の怪我をした箇所に張り付くように動き、すぐに消える。
手を上げて見てみれば、血はまだ付きっぱなしなのに傷は消えていて元通りの皮膚がある。
「おお、すげえ」
俺が幾ら練習しても出来なかったものが、すぐに出来たというのは少し悔しさもあるが誇らしさも感じる。
魔法を使おうとしてまだ数日なのに、特に難しいはずの治癒魔法を覚えるとは、エルは天才の類いなのかもしれない。
「イメージすべきは、治癒魔法自体だったみたいです。 治癒魔法を扱うためには治癒魔法をイメージするという訳の分からないことをしたらやりやすいなんて、変な感じです」
エルは感想を挙げてから、俺の手に残っている血を浄化する。
体液を少し失った以外は完全に元通りになり、エルの有用さがまた一段上がったことを感じる。
エルも魔法を覚えた、まだ完全に合流はしていないが他の仲間も入った。 このままいけば、お払い箱……となるかもしれない。 早く高朽刃を安定して使えるようにならないと、と焦りを覚えて、そこらにあった棒状のもので素振りをする。 これ、なんか硬いパンだ。
素振りをするごとに徐々に剣の鋭さが増していくが、高朽刃の速さには到達せずに、昼近くまで経った。
「駄目だ。 高朽刃が出来ない」
情けないが少し愚痴を漏らして溜息を吐く。 汗が服に張り付き少し気持ち悪くなっているところにエルの手がポンと置かれて、すぐにさっぱりとした状態に戻る。
エルの控えめな笑みと共に水を渡されてそれに口を付ける。
冷たい水が乾燥した唇を撫でてから喉を潤し、熱くなっていた腹を少しだけ冷ます。
「大丈夫です。 アキさんなら出来ますよ」
エルはそう言って、ベッドの上に立って、手を伸ばして俺の頭を撫でる。 髪を溶くような、俺がいつもエルにしている撫で方で、意趣返しをされたように感じて苦笑する。
エルの信頼は少しだけ俺には重たいが、その重みがヤケに心地よい。 出来る、とエルが言ったのだから、理屈も何も抜きで出来るような気がして、もう一度振ってみた。
気がついたときには振り切られている体勢。 自身ですらその速さを認識出来ない。
出来た。