買い物
目が覚めると、隣に置いてあるベッドで寝ている少女を思わず見てしまう。
エル。 彼女が名乗る名前は俺が付けた名前だと思えば、征服欲や独占欲のせいか嫌な悦びが芽生える。
だが、エルのためを思えばそんな独占欲は邪魔にしかならないのは分かりきっている。 他の人間の手を借りてでもエルを守らなければならない。 この愛らしい寝顔を他の人の目に晒すことになるかもしれないと思っただけで、苛立つ。
歯を食いしばる音が聞こえて、それも直さなければならないと思い止める。
エルのため、他の人に嫉妬する俺はいなくなり、エルに欲求を抱く俺を消す。
道具だ、便利な道具であるのが都合がいい。 それも道具になっていることに気がつかれないようにしなければ、エルは申し訳ないと思ってしまう。
エルが寝ているのを確認して、気持ちの悪い溜息を吐き出す。
俺の間違いはエルと出会ったことだ。 出会ってしまえば、この美麗にして性格、器量良しの魅力に心が囚われるのは仕方ないことである。
自身の幸福は満たそうと思えば、満たせるかもしれないのに辛い方に向かってしまうのは惚れた弱みというやつなのだろう。 明らかに、優先順位がおかしくなっている。
それでも、狂っていたとしても共にいたいと思っているのだから、始末に負えない。
立ち上がって外に出る。 また散歩でもしよう。
外に出て適当に歩いていると、幾つか焼け落ちてる家が見える。 時計塔は天辺の部分が壊れていてその役割を果たすことはない。
この苦手だった街を歩くのも、今になっては然程悪いものでもなくなっている。 エルが俺を信頼していると言ってくれたから、自分に価値が見出せるようになった。
魔法が殆ど使えない落ちこぼれだから、無価値であったのは昔のことだ。 魔法が使えるようになって見直された訳でもないが、自信を持って自身の名を大きな声で名乗れるようになれた。
すべて、エルのおかげだ。
夏に近づいて、生温くなった空気が気持ち悪い。 剣でも振り回し身体を動かして、この気分の落ち込みを忘れてしまいたいところだが、生憎その剣がない。
失ってしまったので新しいのが欲しいところだが、今の時間には店なんて開いていないだろう。
しばらくブラブラと歩いていると頭が揺れるような感覚、貧血でよろめいたらしい。 もう戻ることにする。
戻ってエルの顔を見ながら水を飲んだ後、またベッドに寝転んだ。
「おやすみ、エル」
返事はない。 当然なそれに少し寂しさを感じながら目を閉じた。
◆◆◆◆
「んぅ」と可愛らしい声が耳に入り、目を開けて横を見れば、いつものように手を上にあげて伸びをしている少女の姿を見ることが出来た。
「おはよう、ございます」
寝ぼけているのかいつもよりも、ふにゃりと柔らかく軽い笑みを浮かべた。
安心して緊張の欠片もないその姿を見て、反対に緊張してしまう。
「あぁ、おはよう」
返事を適当にしてエルが光っているのを見る。
「アキさんもパパッと浄化しちゃいますね」
エルの柔らかく少し暖かい手が俺の身体をペタペタと触って浄化する。
寝汗で気持ち悪くなっていたためか少し心地よい。
「体調はどうですか?」
「血が足りないな。 傷はだいたい治ってる」
「だいたいですか?」
「息が鉄臭い。 まだ身体の中は治りきってないらしい」
ベッドの上から立ち上がって、身体を適当に解す。
「じゃあ、今日は休憩にしましょう」
「いや、街中を歩く程度なら問題ない。
そう、ゆっくりしている場合でもないだろう」
他の勇者を探す、旅の準備、勇者との交渉、グラウの技を学ぶ、絵本の入手と、やることは多く時間もどれほど残されているのか分からないので休んでいる場合でもない。
こうしている内に、また赤竜のような存在が襲ってくるかもしれないのだ。 俺からしたら、街が荒れようともそれほど気にしないが、エルの意を考えれば急ぐ他ないのは確かだ。
「そうですか。 まず、アキさんの服を買いに行きましょう」
エルに言われて見てみれば、赤竜の吐息やシールドの破片のせいでひどくボロボロだった。
買い直したばかりなのに、勿体無いがまた買う必要がある。 ズボンの方も、靴も買い直さないとダメそうだ。
俺の服はボロボロでも、エルの服には傷も焦げもないことに密かに誇りを抱く。
「そうだな。 行くか」
手を伸ばしているエルの手を取り、金の入れた袋を持って、エルの手を引くように外に出る。
それで安心感を覚えるのが恥ずかしい。
人が見えるところまで手を繋いで歩き、人が見えたところでその手を離す。
しばらく歩いて、また人がいなくなればその手を繋ぐ。
エルは臆病だから、仕方ない。
土地勘のある道を迷わずに歩いて、服屋に辿り着く。 昨日の赤竜のせいで店が焼けていたりはせずに営業していて少し安心する。
「一昨日の、あったらいいですね」
「そうだな」
せっかく気に入っているようだったのに、着ることもなく焼けてしまったのは可哀想だ。
エルの手を離してから店に入って真っ先に一昨日の服を探す。 旅にはあまり向いていそうにない白く染色されている服だったと思い出しながら探す。
この店の自信作だったのか、店内に大きく飾られている下に置かれているサイズ違いのそれを探る。
「あった」
「ありませんでした」
同時に反対の意味の言葉が店内に響く。 エルの声のした方向を見れば明後日の方向を探していて、男性用の場所で女性用のが見つかる訳がない。
「いや、ここにあったぞ?」
エルを呼び寄せて、服を見せる。 ぱっと見ではあるけれど、サイズもおかしくはないだろう。
「えっ、あっ……。 はい、ありがとう、ございます」
照れたようにエルが笑う。
そんなに変なところを探していたのが恥ずかしかったのか。
適当にフードの付いた服とズボンを選び、また買ってすぐに着替える。 靴は売っていないので、他の店に行く必要もある。
「次は靴か。 歩きやすく丈夫なのがいいな」
エルを連れて、靴の売っている店に移動する。
「そうですね……。 そういえば、アキさんは防具みたいなのは着けないんですか?
僕がしていたゲーム……ん、物語みたいなのでは防具を固めてたりしてたんですけど」
そう言われて考えると、戦闘に従事しているのに防具の一つも装備していないことに気がつく。
魔法使いである父でさえ鎧を着込んでいたのに、剣士の俺が防具なしなのはおかしいのではないかと思う。
防具を着ける利点は、避けきれなかった攻撃による怪我を減らすことが出来るということで、欠点は重くて動きにくく嵩張ることだろう。
「今は、いらないな。
いちいち装備を整えてから戦闘に挑めるような状況ではない。 ずっと着ていて疲れてしまえば不利になってしまう」
いつかはあった方がいいだろうが、とりあえずは不要だろう。 そもそも赤竜などの攻撃は防げる気がしないうえに、防具で防げる程度の攻撃しか出来ない魔物ならば容易に避けられると思う。
「そうですね。ただでさえ僕を背負ってるのに、これ以上となると」
エルは自嘲するように笑う。 子供にそんな体力の期待なんてしていないが、それを言うのも悪いか。
「まぁ、エルは軽いから問題はない。 防具と違って四六時中背負っているわけでもないのだから、エルの体重程度なら負担にはならない。
実際、赤竜の時にも飛んで跳ねれた」
そう言えば、あの時エルが無茶をしていたことを思い出した。
俺の背中を蹴り飛んで、俺任せにシールドの地面を走って赤竜の背まで移動する、なんて危険も過ぎる。 つい、恋慕の自覚のせいで有耶無耶になっていたがこれからはそんな無茶をしないようにしなければならないだろう。
「言い忘れていたが、赤竜の戦いの時のことだ。
無茶しすぎだ。 俺がエルの行動に気がつかなければ、エルは死んでいた」
説教というほどではないが、これからはそんな無茶をしないように、言い含めておかなければならないだろう。
「アキさんのこと、信じていましたから」
エルは俺の目を真っ直ぐに見返して、迷った様子もなくそういった。
「赤竜が先にエルを狙っても、死んでいた」
「アキさんのこと、信じていましたから」
エルは俺に言い返す。 赤竜の攻撃から守れるなんて過信もいいところだ。
馬鹿かと怒鳴りつけたい気分になるが、事実として勝利したことと、エルがいなければ勝てなかったこともあり強く怒ることもしにくい。
「……次は、止めてくれ」
結局頼み込むのが限界で、エルが頷いたのを見て心底安心する。 エルには惚れた弱みのせいか、勝てる気がしない。