番外編:ルト=エンブルク
少女が空を見上げる。 幾つかの雲があって晴天であるとは言い難いが、流麗に並んだその雲もあり晴天よりも清々しい天気だと、一人の少女は感じた。
他の人間ではそうは思わないだろうが、今この時こそがこの世の春であるとも言わんばかりに学園生活を謳歌している少女に取っては、この空ほどに美しい空はなかった。
今にも踊りだそうに手を振りながら、少女は友人の元に駆けて行く。
友人はその子供らしい動きを見て朗らかに笑い、駆け寄ってきた少女の頭を撫でる。
「おはよう」
「おはよう!」
何が楽しいのかと思えるほどご機嫌な少女の姿を見て、少女の友人は笑いながら少女に尋ねた。
「イア、どうしたの?
最近なんか気持ち悪いぐらいご機嫌だけど」
「うぅ、気持ち悪いって酷いなぁ!」
イアと呼ばれた少女は手を上にあげて怒ったような演技をする。 そのあと、少し恥ずかしそうに控えめな笑みを浮かべた。
「私ね、気になる人が出来たんだ!」
イアはその少しだけしか手入れのしていない、元気の良さを感じさせる青い髪を揺らして喜びを表現する。
もう他の友人達は「あの人が格好いい」「あいつが好き」なんて言っていて、名家の同級生に到っては婚約している人までいるのだ。
子供らしさは他の同級生よりもまだ残っているものの、自分ももう思春期であり、そろそろ自身もそう言ったことを気にする年頃であるべきとイアは思っていた。
近日のイアは恋に恋するというよりか、故意に恋するといった様子で、好きな人を頑張って作ろうとしていた。
他の誰の好きな人よりも、格好いい魅力的な好きな人がほしい。 そんな目で同級生や先輩の男の子達を見ていると、格好いい人を一人見つけたのだ。
「へえー、あのイアがねえ。 どんな人?」
イアの友人は浮かれた様子のイアを見ながら特に捻ることもなく、真っ直ぐに聞く。
これが噂の恋バナってやつか、なんて考えながら気になる男の子の特徴を思い浮かべる。
よく知りもしない人なのでおそらくでしかないけれど、一つ年上の先輩。 イアより一つ年上ということは14歳の少年だと思われる。
それ以外は見た目と雰囲気ぐらいしか分からないのが事実だった。
「先輩だね。 一つ年上だと思う」
「ほう、先輩であるか」
この少女達に取っては、恋慕やら愛やらがあってそんな話をしている訳でも、どうにかなりたくて相談事としている訳ではなく、あくまでも娯楽の一つとしての恋バナなので、聞く方も語る方もその表情には軽く笑みを浮かべながら話を続ける。
「格好いい人だよ」
イアはそれほど美醜に詳しい訳でもないけれど、周りの友達がきゃーきゃーと囃し立てるような男の子の顔立ちから格好いいやら不細工やらの判別は付いた。
その気になる人はどこに出しても恥ずかしい思いをすることはない程度の顔立ちをしているのは確かだと、自信を持って格好いいと褒める。
「見た目は……そうだね。 赤黒い髪で、紅い眼をした……」
「赤黒い毛に紅い目……魔物?」
人では少し珍しい特徴で、多くの魔物に見受けられる特徴だったために、そうやってイアを茶化す。
いつもの教室に荷物を置いて、イアは違うよと笑う。
「顔は、綺麗で凛々しい感じだね。
物憂げな眼をしながら、小さく息を吐いてつまらなそうにしてるの。
寡黙で、なんて言うのかな……」
「クール?」
「惜しい! そんな感じなんだけど……」
「あっ、ミステリアスな感じ?」
そうそうと、大きくイアは頷いた。 彼はミステリアスなのであると思う。
溜息を吐き出したあとに眺める、その視線の先に何を見ているのかが分からないのだ。
視線を追っても子供が魔法の練習をして遊んでいるだけだとか、ただ他の何かに見向きもせずに時計塔を眺めていたりと不思議な雰囲気を感じる。
「こうね! 私と同じ物を見てても、何を感じているのかは違うあの感じが、格好いいんだよ」
イアは「彼の視線の先にあるものを見てみたい、なんて乙女チック!」と自分の思考すらも楽しみながら、得意の絵を描いて友人に見せることにする。
「待っててね、ルミ。 私の気になる人を描ききって見せるよ!」
ルミは、はいはいと適当に笑いながら授業の準備を進めた。
授業中に描きまくり、幾つかの失敗作を机の上に重ねながら書き終える。
黒と赤のインクしかないけれど、それでも充分過ぎるほどに描ききることが出来た。 近年稀に見る大作であるという自負がイアにはあった。
犠牲になった紙とインク、そして授業。 その甲斐もあり、休み時間に絵を見せるとルミにも格好いいと褒めていただけた。
気になる人の視線の先を考えることで順調に授業を無駄にし尽くしたイアは、機嫌よく外に出た。
晴天である。 曇り空は空を覆い始めているが、晴天でしかない!
イアはせっかくなので、他の女の子のように観察から始めることに決める。
「私も一緒に行くよ。 見てみたいし、それにイアって誤魔化すの下手だしね」
嘘が上手いルミが着いてきてくれると百人力である。 イアは元気よく目的の少年の元に走った。
気になる人はすぐに見つかった。 赤黒い髪は目立つ上に、一匹狼なのか一人で窓辺に立って、雨が降り出した空を見上げていたからだ。
あの綺麗な眼は何を見ているのか、釣られて空を見上げて見てもおかしな何かはない。
見ている世界が違うのだと、イアは手を振り回して興奮する。
「まぁ、うんにゃ。 格好いいね。 見た目は」
普段から男の子にヤケに厳しい恋愛マスター(自称)も頷いてそう言った。 勝った、勝利したとイアは頷いて少年を見る。
少年は廊下の窓辺から離れて教室に入る。 それを追ってイアとルミは教室を覗けるところに移動して人目も憚らず少年を観察した、
少年は鞄から二冊の本を取り出す。 一冊は他国の本で、もう一冊は翻訳のための辞書らしい。
「すごいね、あれ、分厚いよ!」
分厚さが基準かとルミは笑って、イアが読めもしないそのまるったい文字を模写していくのを見る。
「何してるの?」
「ん、本のタイトルぐらいは知っていたくてね。 後で調べて見ようと。
どこの国の言葉だろ?」
ルミは見覚えのある文字を見て首を捻る。 見た覚えはあるが、具体的な国の名前は分からないのだ。
「ああ、思い出した。 あれはエルフの文字だ」
それが分かれば、またそこから不思議が湧き出してくる。
百年も昔ならば強いや賢いやら、気高いとチヤホヤされていた種族ではあるが、今日日のエルフは衰退しきっている種族だ。
その理由は単純に人が強くなったからだ。
魔力が多い者がかかる病がある。 昔は致死率が100%なんて言われていた病気ではあるが、治療法が発見されたのが二百年前、新暦0年のことだ。
魔力が多い人は死んでいたのに、それが生き残り始めて強い力を発揮し始めたのが新暦20年。 そこからしばらくして、エルフのみに使うことが出来ていた魔法を人族でも扱うことが出来るようになったのだ。
魔力が強い者がよく子孫を残すようになってから何代かした新暦150年辺りになれば、人族とエルフの魔力量には差がなくなり、魔法の技術も追いついた。 そこから10年もすれば、魔力量も技術も逆転してエルフよりも強くなった。
それからもう40年。 爺婆の世代でさえエルフ程度と侮っているような種族の本を何故読んでいるのか不思議でならないのだ。
暇つぶしに読むにしては辞書まで引いていて、目も真剣そのもの。 おかしな人だと、ミステリアスだと思った。
イアは後日その本のタイトルを調べてみたら『新魔法則』という新とついているのに遅れまくっているエルフの本であることを知った。 こんな無意味な本をあんなに頑張って読んでいたとは、謎だ。
イアは、また尾け回してみようと、天気がいい日に尾行を決行した。
これまでに分かったことは、彼の名前だけだった。 ルト=エンブルクというらしい。 友人らしき人がいないせいで、好きな物や嫌いな物も分からない。 ミステリアスだ。
イアはそのルト先輩の謎を突き止めて解明しようと乗り出しだ。 まずルトは学校から出てから、貧民街の方に向かって歩いていった。 まさかのちょい悪系かと思えば、一冊の本を買っただけだった。
本なら図書館に幾らでもあるだろうと思えば、また外国の本だ。 見覚えのある、敵国の字だった。 確かにこれは正規の方法では手に入らないなとイアは頷く。
とりあえずは、と持っている手帳に文字を書き写しながら着いていく。
ルトは路地裏で酔い倒れている男の人の上を平気で歩いて、どこか血の匂いのする場所に移動していく。
途中、室内に入ってしまったのでどうにも中の様子が分からないと、イアは扉に耳を当てて中の話し声を聞く。
「だから……無理……」
「なら……魔法……だったら……」
半端に聞こえる話し声が、イアの妄想を掻き立てる。 きっとルト先輩は魔法を研究している凄い人なのだと。 どうにも気になったのでバレるのを覚悟して中を覗き込めば、ルトと血塗れの男が話し込んでいて、バラバラになった魔物が横たわっていた。 嫌な汗が額に浮かぶのと同時に、期待が広がっていく。
イアは、ルトのことを悪の天才魔法使いなのだろうと思い込んだ。
そんな妄想の日々は簡単に終わった。
「そういえば、イアが好きなルト先輩。 魔法が全然使えないらしいね」
「えっ? でも、色々と魔法の研究してたよ?」
そんな会話をして、ミステリアスな先輩のことをもっとよく調べてみると、確かにシールドという超初級の魔法しな使えないらしかった。
イアは、美化しきっていたルトの姿を見失った。
魔法の練習をしている子供を見ていたのは羨ましがっていただけで、エルフの魔法書や、色々な研究は凄い研究などではなく魔法を使うためだけだったらしい。
ミステリアス、といった印象は徐々に崩れた。 友人がいないのも、ヤケに時計塔を見て溜息を吐くのも早く魔法を覚えなければとの焦燥で、憂いている顔は落ちこぼれている自分への絶望だった。
イアは気がついた。 結局、自分はルトに恋をしていたのではなく都合のいい妄想の相手を好いていただけなのだと。
ミステリアスで、見えない部分が多かったから、勝手に見えない部分を美化していただけだったのだ。
情けない。 ミステリアスだと思っていた部分が落ちこぼれと知ってしまえば、ただの根暗で友達もいない奴でしかなかった。
「イア、今日はルト先輩を見に行かなくていいの?」
「うん、いいんだ」




