自身を捨てる覚悟
腹に詰め込むようにミョウガを喰らい、一部、気絶する前に言った言葉と先程のエルの言動のみを記憶喪失にした。
まだ恥ずかしそうに身を捩っているエルの顔を見ると、何処か気まずくなって下に目を逸らす。
エルは俺の視線に気がついたのか、胸の辺りを抑える。
「いや、違うからな。 見てたわけではなく、目を逸らしたらそこがあっただけだ」
「いえ、分かってます。 大丈夫ですよ」
そう言いつつもエルは俺から距離を取る。
無理に近づこうとして避けられると辛いので、この距離のまま会話を初めることにする。
「寝ていたときの状況はだいたい分かったが、どうする。
あの絵本が狙われていると仮定して、このまま放って置くわけにはいかないだろ」
このまま絵本を放置すれば、遅くなく魔物に盗られるだろう。 ここは優秀な魔法使いのいる都市ではあるが、優秀な兵や戦士がいる場所ではない。
あくまでも学術的に優れているだけであり、物的や戦力的に豊かとは言えない土地だ。
「幾つか考えていることはあるんですが。
まずはあの本のレプリカを作ろうと思っています」
「レプリカ……。 まぁ、妥当なところか。
それで、そこからは?
このまま、ここに置いていたら近い内に潰されると思うが」
エルは少し思案してから、ゆっくりと俺の目を見る。
「この世界の地理には詳しくないので、決めかねているんですけど。 魔物から守れるような都市に移したいと考えています。
心当たりはありませんか?」
あまり覚えていない地理や都市の特徴に付いて思い出す。 持っているだけで魔物に襲いかかってこられるような物を持ち運ぶのだから、出来る限り近いところで済まして置きたい。
だが、ある程度の規模と優れた魔法使いが多いここよりも防衛に適した場所はあるだろうか。
「ここ以上となると、首都か、あるいは他国だろうな。
両方とも遠い。 遠ければ遠いほど危険も長くなるからな……。 一月はかかる、その一月を夜も襲ってくる魔物と戦うのはきついな」
出来ることならば、魔物から狙われる本を持って遠くになど行きたくはない。
また赤竜のような化け物が襲いかかってきたら勝てるともエルを守りきれるとも思えない。
「派手に人を雇いますか。 赤竜の討伐はかなりあったので、多分、一月分を五人ぐらいなら……」
「ここにいる奴ら全員で相手してるのを六人では、無理だろ。
それに、強い奴ほど高くなるだろうし。 雇った奴らの飯や馬車やその御者のことを考えれば、一人二人がせいぜいだろう」
「うーん。 やっぱり難しいですね。
スポンサーとかいたら……。 いや、そういうお金で解決出来る問題じゃないですよね」
大口を開けて欠伸をしながらエルの方を見る。 エルを危険から守りたいのに、エルは危険に近づこうとするばかりか、危険を手に入れて持ち運ぼうとしている。
もしかしてエルって頭いいけど馬鹿なんじゃないだろうか。
「まぁ、数を相手にするだけなら金でなんとか出来ないこともないんだが、問題は赤竜クラスの魔物がくるかもしれないことだな」
「そうですね……。 でも、この街の復興とかを考えると置きっ放しにするわけにもいかないですし。
協力者が欲しいですね、ちょっと難しいかもしれないけどグラウさんに協力してもらうとかですかね。 ……あっ」
エルが名案を閃いたらしく、可愛らしく声をあげる。
「勇者、僕以外の勇者にも手伝いをしてもらったらいいんですよ。
勇者なら僕みたいに世界を救うことが目的なのでタダで協力してくれると思います!」
「勇者……か。 でも、経験値? の分散とかあるんだろ?」
それに、俺が知っている勇者はロトと魔力が多いおっさん、それにエルぐらいだ。
おっさんは強そうだが、ロトはそれほど強そうには見えなかった。 エルは、はっきり言ってそこらの子供と変わらない。
赤竜はエルがいなければ倒せなかっただろうけれど、戦力的に期待はあまり出来ない。
「その分、魔物がたくさんくるので問題はないですよ。
あっ、そういえば昨日のでレベルが2つ上がって4になったんでした」
「それは後でいい。
勇者は戦力になるのか?」
「それは、多分……問題ないです。 僕のように戦闘に使えない能力は稀なはずです。 それに、人付きの勇者ならばお供も付いてきますからね」
俺としては、俺より強いのだと裏切られたときにエルを守りきれなくなるので困るのだが、そう言っている場合でもないか。
「じゃあ、また後で探しに行くか。本のレプリカを作るの必要もあるしな」
「そうですね……。 他の勇者がここにいるとも限らないですけど。 あと、グラウさんにもアキさんから声をかけてくれませんか」
頷いて、そのままベッドに横になる。 エルを他の奴に守らせると思えば、何か気分が悪い。
一人で守れるように、グラウとの修行を受け入れたのに……と、グラウに八つ当たりの文句を言いたくなる。
この感情を寝て忘れようと思えば、エルが少し近づいてくる。
「もしかして、アキさん、怒ってます」
「怒ってねーよ」
顔を顰めてしまったかと思い直そうとするも、なかなか不機嫌そうな顰め面を元に戻すことが出来ない。
「アキさん。 僕はアキさんのことを一番信頼してますからね」
「……だから、気にしてない」
そう言うと、エルは少し笑う。 額に寄せてしまっていたシワがなくなっていたようだ。
あまりに単純なのと、それを看破されていたことに羞恥を感じる。
エルが俺の髪を溶くように頭を撫でる。
「アキさんは……僕のこと、どう思って、ますか?
なんで助けて、くれるんですか?」
「どうって……」
守りたい。 それは確かだけれど、なんで……エルのことをどう思っているから守りたいと考えているのかは分からない。
好意的に思っている。 どう、好意的に思っているのだろう。
恋愛感情。 そんな言葉が頭に浮かぶ。
エルの顔を見て、すぐに目を逸らす。
そんなわけがない。 エルは子供だ、年齢は知らないが10歳はいかないぐらいだろう。
少なく見積もっても7つは年下の、場合によっては半分しか生きていないような少女に恋をしているなどあり得ない。 あり得るわけがない。
それに恋愛感情なんて、異性としてエルを見て異性だから守ろうとしているとか、性的な目線でエルを見ているから自分の物だと守りたくなっているとは考えたくない。
それは下衆だ。 下衆の考えだ。
もしも、ここで「エルのことが好きだから」なんて答えてしまえば、俺がエルを守る理由は、エルとそういった関係になるためと思われるだろう。
エルが自分を守ろうとしたら、俺の望みに答えようとするかもしれない。
いや、エルに限ってはそれはないか。
だが、何にしてもエルが俺に何かの報酬を払おうとしたら、一番の報酬はエル自身になる。 それは魅力的……いや、魅力なんて感じていない。 そうなってはいけない。
エルはそんな自分の安売りは絶対にしないが、しなければ、エルは俺に対して一方的に与えられているという立場になってしまう。
エルとは対等でいたい。 あるいはエルが上でいてほしい。
やはり、ダメだ。 俺はエルに恋心は抱いていない。
恋慕の情なんて物を抱いていないことにしなければ、対等とは言い難い。 違う理由を付けないとならない。
「そう、だな」
思いつかない。
馬鹿か俺は、なんで理由もなく危険に突っ込もうとしているんだ。 何かあるだろ、理由ぐらい。
「……成り行きだ。 そう、成り行きだ!」
馬鹿な答えが出た。
エルに問い詰められるのが怖くなり、寝返りを打ってエルには顔が見えないような格好に変えて狸寝入りをする。
死にそうになっても、死んでもいいから守りたい。 そう感じていた自身の意志の根源に、やっと気がつく。
気がついてしまった。
この感情を、この恋慕をエルに伝えることは絶対に出来ない。
エルを自分を守らせるために好き合っているフリをするよう恥知らずにも、守ってもらっているのに知らぬ存ぜぬですまさせる恩知らずにもさせたくはない。
俺の思いに答えられないからと、離れてしまうのは最悪だ。
滅私だ。 エルを守るためにこの想いを失くさないように、エルを守るためにこの慕いを悟られぬように、自身の欲と意志を捨てる。
それがエルを守るのに最良の手。 それを決意して、目を閉じる。