斬り裂く刃はあまりに遅く
エルと抱き合うのを終了して、離れて前を向く。
ニヤニヤとした笑みを浮かべるグラウがいた。
「いや、流石に……うわ、引くわー」
「笑いながら何言ってんだ!」
「まぁ、俺のことはないもんだと思って続きしていいぞ?」
「続きってなんだよ!」
このおっさんはあまりに鬱陶しく、怒鳴って喉が痛くなる。
グラウは唇をタコのようにして目を閉じて話し出す。
「そりゃ、愛のキッスに決まってるだろ」
「するわけねえだろ!
んな馬鹿なことより、赤竜を倒すのを手伝え。 何かないか」
何か間違いなく勘違いしているグラウに、赤竜を倒す算段があるかを尋ねる。
少し迷ったようにグラウは口を開く。
「剣が届く範囲にきたら、負けはしないが……。
あそこまで高く飛んでたらどうしようもねえな」
「俺のようにシールドを足場にするのは? 風とかの魔法で飛ぶとか」
「無理無理、あんな高速で魔法を出せる奴いねえよ。 頑張っても一秒はかかる。
風もほとんど使えねえしな。 そもそも、魔力はお前の治癒に使いきった」
俺の魔力もほとんどない。 これではどうしようもないか。 魔法を撃たれながら戦っている赤竜を見上げながら考える。
何かいい方法はないか。 そう思っていたところでエルが口を開いた。
「近くにいけば、剣が届く場所に、そこまで近寄れば……勝てるんです、よね?」
エルが強い意志を感じさせる眼で、黒い宝玉のような目を向ける。
「トカゲぐらい、楽勝だな」
グラウの返事を聞いてエルは頷いた。
ーーええい、鬱陶しい! 全て焼き払ってから……!!
赤竜が暴れる声を聞く。 急がなければと、エルは動き始める。
「今、確信しました。
走りながら、作戦を伝えます」
エルは頭に、先程渡した俺の服を被せて黒い髪を隠す。
そのエルを捕まえるように背負い、グラウと共にエルの指差す方向へと走って向かう。
「時計塔の方へ、向かってください」
焼け焦げた地面を蹴り、息を切らせながらエルに作戦を尋ねる。
「どうするつもりだ。今ならシールドは数回なら使えるが、グラウを上空まで運べるほどはない。
いや、魔力が限界まであったとしても、重いから運べはしないが」
時計塔が近くなる。 それと同時に心臓が暴れるように動く。
「グラウさんは、時計塔の下で待機してもらい。 僕達は登ります」
エルの言葉にグラウは少しだけ走りを遅くする。 グラウがエルのことを信頼していないのは分かりきっている。
信頼出来ないのならば、命の危険のあるところに行く気が起こらないのだろう。
「いや、確かに時計塔の高さがあれば、赤竜の高度まではいけるが……近くにくるとは限らないだろ」
グラウは否定する。
空を飛翔して火を撒き散らす赤竜のいる場所を見て、軽く頷く。
「いいから走れ、早く」
グラウは俺の顔を驚いたように見てから、元の速度に戻す。
「お前、本当に父親に似ているな」
声を発するのさえ息苦しく、頷きも否定もしない。
赤竜が起こした火事の熱気に当てられながら、気分が悪くなる時計塔を睨む。
無駄な時間の、辛かった過去を想起させるそれに負けてたまるかと睨みつける。
不意に、背中にいるエルが強く俺を持った。
「大丈夫です」
心が軽くなる感覚。 小さく頷く。
「赤竜の言っていたことを覚えています。
僕のことを「ついでに」と、つまり本来の目的は違うところにあります」
「そりゃ分かるが、時計塔のところとは限らないんじゃ」
「赤竜は何度か「街を焼き払ってから」と言いました。
目的物は、焼き払ってから探せる物です」
その言葉に思い出したのは、先程、図書館で見た本。 タイトルは確か。
「エリクシルのぼうけん」
エルの高く柔らかい声が、強い確信を持って発せられた。
「エリクシルのぼうけん?」
「先程見た絵本です。
エリクシルのぼうけんという絵本に偽装されていて、魔王らしき者と勇者らしき者が出ていた絵本で、壊れないという効果を持った魔道具でした。
偽装、魔王、勇者、壊れない。 出来過ぎなぐらい、赤竜が狙っている物であると予想が付きます。
図書館を狙ってくるとすれば、間違いなくこの時計塔の近くに……」
時計塔が目の前に迫る。 恐怖はない。
グラウが立ち止まって、木剣を強く握りしめたのを見る。
扉を開けるのも時間が勿体無く、時計塔の扉を蹴破って中に入り込む。
木製ではなく、レンガで造られているこの時計塔に避難してきたらしい人達を一瞥して、登るための階段へと走る。
その時、避難している人達の中から懐かしい声が聞こえ、振り返る。
「ルト……なんでここに」
名前も覚えていない元級友の男。 しまったと思うが、非常事態の時にこんなことを気にしている余裕はなかった。
彼を無視して、近くにいた戦士らしき男の剣を引ったくって奪い、階段を駆け上る。
ひたすら飛ぶように駆けて、えづいて口から血を吐き出しながら塔の頂まで登る。
「これからどうしたらいい」
時計塔の屋根まで登りきり、エルを背から降ろそうとするがエルは俺の背を強く掴んで降りようとはしない。
想起遠くないところにいる赤竜の大声が皮膚をピリピリと揺らす感覚がする。 炎の熱気がここまで上がってきているのか、やけに熱い。
風がエルの黒い髪を揺らして俺の頬を擽る。
「赤竜を落とします。 アキさんと、僕で」
少し走っただけで息を切らすような子供が大真面目に言い放ったのは、端から見れば珍妙な言動だろうが、俺にとっては何よりも心強い。
「なるほど。 分かりやすい」
一層強い風が吹く。 熱量を含んだ空気が近づき、エルが強く俺の肩を持つ。
「……跳んでください」
時計塔の天辺から、跳躍。 飛び降り自殺のような行動から、シールドを足元に展開して、中空でもう一度跳躍。
ーー貴様は、さきほどの。 我が目を潰しやがったぁぁあ!!
赤竜の暴風のような叫びと共に炎弾が吐き出される。 またシールドを蹴り割って急加速。
後ろで時計塔の天辺が崩落していくのを感じながら赤竜に近づく。
「僕が、赤竜の動きを鈍らせます。
アキさん、信じてます」
エルが俺の背中を蹴ってほんの少しだけ浮く。 急いでエルの足元にシールドを設置し、エルが赤竜の背まで走れる道を生み出す。
弱小な存在であるエルは赤竜から無視され、赤竜は俺に向かって炎を吐き出した。
また蹴り割って上空へと跳び、回避する。
エルが赤竜の背中に乗って、風で飛ばされそうになっているところをシールドを設置して防ぐ。
先程、俺が鱗を剥がし、軽く肉を抉ったところに手を当てた。
「確か、
『身体中の皮膚の中に蛆虫が巣食って神経を撫でながら動き回るような……』
でしたよね」
エルの魔力が、赤竜の傷口から赤竜の身体を犯さんと浸入する。
ーーこの、程度がぁぁああ!!
赤竜は意味がないと叫ぶが、ほんの一瞬だけ風が弱まり、赤竜の動きが緩慢になる。
またシールドを張り、そして蹴り割って赤竜へと進む。
戦士から奪った剣を握りしめる。 狙うのは強靭な翼。 赤い翼膜を張っている翼の根元。
迫り行きながら、集中する。 行うのは、必殺の刃。
魔物の群れも相手にならず、悪意からエルを守ることが出来る技。
集中する。 一度だけ見て、理屈を聞いただけの技。
全くのブレが存在しない剣を振るうだけの、完全にして単純な一振り。
アキさん、信じています。
エルの言葉が耳の中で反響するように聞こえ続ける。 エルが信じていることが、失敗するわけがない。
剣を上段に振り上げる。 息を吐く。
振り下ろす。 ……そう思った時には剣は既に振り切られていて、俺は剣を手放してエルへと手を伸ばす。
エルの手を掴む。無理矢理に引き寄せて抱き締める。
背中の近くにいる俺達を殺そうと赤竜が身体を動かす、赤竜の身体は動いたが、赤竜の片翼だけはその動きについていけなかったように動かなかった。
赤竜がそれに気が付かずに炎を吐き出す。 すぐにシールドを蹴り割って、回避する。
そしてまた方向を変えようとして赤竜の体勢が崩れる。
ーーあ?
訳が分からないといった声を挙げて、赤竜が中空に浮いている翼を見る。 加速度的に落下の速度をあげていることに気がつく。
次の瞬間に、地面に激突することを知る。
俺はエル身体を覆うように抱き締めて、衝撃とシールドの破片から守る。 幾枚ものシールドを設置して割りながら落ちて速度を緩めていく。
そして、赤竜が地面に激突して土煙を上げるのを見る。
シールドのおかげで減速した俺たちは遅れて地面にぶつかる。
ーーこの、虫ケラ共がぁああああ!!!!
殺す!絶対に食い殺して焼き殺す!!!!
全身から血を吹き出した赤竜が吠える。 吠えて火炎と怒りを撒き散らす。
そんなところに、酒瓶を持ってふらふらと千鳥足になりながら近づく男が一人。
白髪混じりの赤髪の男が愉快そうに笑った。
「気がつかなかったが、あっちのガキはハクに似てんな。 懐かしい思いだ」
知人に世間話をするように赤竜に近づいたかと思えば、切れ味なんてないはずの木剣を振り上げる。
気がつけば木剣は振り切られた後。
遅れて、竜の首が落ち、残った翼が斬られ、尾が断たれていた。
「あとで、ヴァイスんところに説教でもしにいくか。 墓参りのついでだ」
グラウは血すらついていない木剣を元の場所に戻し、愉快そうに瓶に口を付けて傾けて、酒を煽った。