剣聖剣奴⑩
水が跳ねる音。 「んっ」とエルがお湯の暖かさに驚く声に惑わされながら、目隠しで見えないままひたすら手を動かす。
もしゃもしゃと泡立つ感覚に集中してエルのことを忘れようとするが、今、すぐ近くにエルが薄着でいるのに気にしないでいれるはずもなく、手の感覚の方が疎かになってしまう。
「……アキレア」
「なんだ、サイス」
「……せっかくのエルちゃんとお風呂なのに、何故私は目隠しをした上に、お前に洗われているんだ」
「覗くだろ、お前」
「……少し見るぐらいいいだろう。 女同士だ」
「欲情する時点でダメに決まっている。 むしろ、女だからここまで許してやっているんだろ」
「……私も女なのに、お前に身体を触られているんだが」
「俺と似たような顔のやつには反応しない」
エルと体型が似ているので、触り心地が似ていて案外洗っていて心地がいい。 少しエルよりも肉付きがいいぐらいか。
「……二人とも、目隠し外したらダメですからね」
「……ああ」
吐瀉物がかかったので早急に洗う必要があったが、エルの魔力が治癒魔法で失われていたので、魔法ではなく普通の洗い方をする必要がある。 エルを後回しにするのはもちろんあり得ないが、サイスも放っておくとそのまま行動をする可能性があった。
だが、風呂が広いとは言えど、サイスをエルと一緒に入れれば襲いかねない。 そもそも、エルの裸をサイスに見せるのは癪に触る。
よってサイスを目隠しして、俺が同席。 しかし、俺がいるとエルが恥ずかしすぎて死ぬらしいので、俺も目隠しをされて、目隠しをしている状態では洗えないらしいサイスの世話焼きである。
「……サイスちゃんなら、一緒に入ってもいいと思うんですけどね。 月城さんが作ってた水着着てますし」
「脱がされるぞ」
「脱がされませんよ」
「脱がせる狙い目があるなら脱がす」
「やっぱりアキさん同席してください」
薄いとは言え衣服を着ているなら見てもいいだろうと思うが、エルは恥ずかしいらしく、目が見えない状態で動くしかない。
「……よく考えたら、私だけ裸じゃないか?」
「よく考えなくとも、そうだな」
エルからして俺がサイスに触れるのはいいのだろうか。 そう思ったが、エルの感覚では親族は大丈夫のようだ。 わしゃわしゃと少女の身体を洗い終えると、サイスが急かすように身体を揺するが、洗い流すことは出来ない。
「アキレア、お湯をかけて……」
「いや、俺が魔道具を使うとシールドの破片が混じるからな。 ガラス片が飛んでくるシャワーで良ければするが」
「……お姫様扱いのようで、気分が良かったのに」
「目隠しされてる姫がいるか」
身体を洗い終えたので、今度は髪を洗う。 洗うのは面倒だが、長い髪の先に吐瀉物がついていたので仕方ないだろう。
「んぅ……少し、羨ましいです」
「エルもしようか!?」
「勢いが怖いです」
「……わ、た、し、に、ま、か、せ、ろ」
「ゆっくり言っても関係ないです」
サイスの長い髪を洗い終わり、彼女が流し終えてから立ち上がる。 吐瀉物は流し終えたのだから出ればいいと思うが、そのまま風呂に入るつもりらしい。
彼女の手を取って、湯船のところにまで案内して、ゆっくりと浸からせる。
「アキさん、本当に見えてないんですよね?」
「ああ。 作りは覚えている。 それに、水の流れる音が物反射されるから、目を閉じていても簡単に分かるな」
「……すごいですね」
「エルほどではない」
ふぅー、とサイスが息を吐き出してバタバタとしたあと、エルがゆっくりと湯船の方に入る。
「……目隠しと水着でも、男の人の前だと……恥ずかしいです」
近くに風呂に入っているエルがいるのに、見ることも出来ない歯痒さを誤魔化すために、頭を何度か掻く。
「……エルちゃん、私の対面に座っているよな」
「そうですね。 どうかしましたか?」
「私は裸なわけだ」
「んぅ、そうですね」
「エルちゃんからしたら丸見えなわけだ。 非常に恥ずかしいと今になって気がついたけど、目隠しをされているからどこを見られているかも分からない……」
エルと同じ湯船に浸かっているのは羨ましい。 俺も入りたいが、普通に服を着ているので入ることは出来ない。
サイスはお湯から出て、脚を浸けたまま風呂の淵に腰を下ろす。
「……エルちゃんに見られるの、すごく恥ずかしいけど……。 こう、なんていうか、変な気分になって、ドキドキする」
「……アキさん、この子変です」
「そうだな」
エルを見たいのは分かるが、エルに見られたいというのは理解出来ない。
しばらくゆっくりとしてから、サイスが逆上せはじめたとエルが言ったので、サイスを連れて脱衣所に行き、サイスを着替えさせてから、エルを置いて外に出る。
「……熱い」
「妙なことを考えるからだ」
顔を赤くしているサイスを見て、こんな変態に似ていると思われているのか、思わず溜息を吐き出してウルウルとした目になっているサイスの頭を拭いてやる。
「……私、女として大切な何かを失った気がするんだ」
「気のせいだ。 元々持っていない」
エルが出てくるのを、開いた窓の前で涼みながら待ちながら、サイスに話しかける。
「……吐くまで遊んでいたが、楽しかったか?」
「まさか、私は大人だぞ」
楽しかったと顔に書いてあるようで、少し笑う。
「勉強も嫌いなのに、文字も少しは覚えてきたな」
「まぁ……エルちゃんがしろと言うから」
「飯も、よく食うようになったな」
「成長するからな」
サイスに愛用の短剣を押し付けると、彼女は不思議そうな顔で俺を見て、首を傾げた。
「お前、もう帰れ。 俺達は旅に出ることになった。 お前が帰る道中の危険も減ったから、ここに置いておく理由もない」
サイスを帰すことが難しい理由が失われた。 そう伝えると、彼女は眉を顰めて俺を見つめる。
「着いていく。 私は強いから、足手まといにはならない」
「足手まといだ。 子守はしていられない」
「……私は強い。 お前には勝てないかもしれないが」
「弱いから、この家に置いてやっていたんだ。 本当に強いなら、適当に放り出して終わりだった。
俺達が旅に出たら、帰れ、もう十分に楽しんだだろう」
サイスは俺を睨んでいた目を離し、目尻に雫を溜めながら走ってどこかに行く。 ……あとは、シシト達、元人質や、勇者達にも好きに出ればいいと伝える必要があるか。 エルが寝た後に、あちらの館で説明するとしよう。
溜息を吐いている自分に気がつく。 ……思ったより、サイスの涙が応えているのかもしれない。
自分のことが、よく分からなくなる。
「……あれ、アキさんだけですか?」
「サイスはまだ遊び足りないらしい」
手を何度か開閉する。 大切なものが少ない方が強い……多くの剣奴がそのように、あるいは、俺の師であるグラウの理屈にも通じているかもしれない。
弱くなった。 少なくとも、簡単に人を斬ることは出来なくなってしまったのは間違いない。
俺が剣聖のように強くあろうと、剣奴にすら劣る弱さかもしれない。 ……強さという弱さも、弱さという強さも存在する。
認める他ない。 ……俺には、多くを守る強さはない、と。 だから──強く、なりたい。




