絵本と襲撃
この図書館はこの都市に幾つかある図書館の中で、尤も敷居が低く基本的に誰でも使うことが出来る。
この図書館にあるルールは基本的に、というのは騒がず汚さず盗まずを守ることが出来る人だけが利用出来るということだけ。 普段から話が騒がしくなることはない俺とエルなら騒がしくなることはなく、汚さないし汚したとしてもエルの浄化があるので問題ない。
利用料金を払うときに、司書がジロジロと見てきたので、フードを少しあげて顔だけ見せて廊下を抜けて本のある場所に向かう。
騒がしくはないが、椅子に座って机に本を置いている人達が発する音は少なくはない。
人が軽く話す声や本のページを捲る音、何かを書き写すペンの音が、そこら中からしていて、静かではないのがこの図書館の特徴だろう。
エルは図書館に置いてある本の種類の分布が書いてある地図を見てから、少し目移りをさせながら進んでいく。
魔法についての本を一冊、魔力についての本を一冊、魔物の図鑑を三冊。 徐々に増えていく本をエルからひったくるように取って、持ってやる。
それから、子供用の御伽噺の本を一冊。
それだけ持って空いている椅子に座った。
それだけの本が一日で読めるのかと不安に思ったが、エルが本を捲るのは早い。 本当に読んでいるのかが疑わしいが、前も一日で俺よりも深い見識を持ったのだし、可能なのだろう。
その横でインクを付けずに真っ直ぐに書く練習をする。
すべてを読み終わったのか、エルは立ち上がった。
それに合わせて俺も立ち上がってついていこうとしたら
「アキさん。 少し、手伝ってください。 この物語の他の本を読んでみたいです」
エルの言葉に頷く。 そうすると、先程の子供用の本を見せられる。
『エリクシルのぼうけん』。
何がおかしくてその絵本を読んでいたのか、表紙を見れば黒い髪と黒い眼をした人が武器を構えていたことで理由が分かる。
容姿からのみの予想だが、勇者の可能性が高いと思われる。
その本を受け取り、それを読む。
万病を癒す薬、世界の端にエリクシルという薬がいた。
世界の端の端にいるエリクシルは誰にも飲まれることがなく、万物を癒すのに何物も癒すことが出来ない無能の薬だった。
エリクシルは考えた。 僕はどうすればいいのか、僕は僕は無能なのではないか。
そんな時に、男がきた。 男によりエリクシルは手が生えて脚が生えて黒い人になった。
エリクシルは世界の端から飛び立つように走り始めた。 人となったエリクシルの血は万物を癒す。 老いた竜を若返らせた。 枯れた木に花を咲かせた。 不治病の男を治した、割れた大地をくっつけて、死の海を生命に溢れさせて、夜だけの空に昼を作った。
エリクシルは血が枯れ果てて老人になってしまった。 枯れ果てた老人は病に伏せた。
エリクシルの血はもうなかった。
老人は世界の笑みとともに、死んでしまった。
読んだ感想だけど、男は勇者かもしれないが、エリクシルは違うだろう。 そもそも、絵本の内容にそんなに深い意味はないだろう。
「絵、上手いな」
「そうですか? 変な構図が多いと思います。
その本、作は違うみたいですけど、絵は新谷 美鈴。
これ、書いたの勇者みたいです。 もしかしたら何かあるかもしれません」
名前が勇者なのか。
エルの言葉に従いその本を探しまわる、エリクシルのぼうけんという本はそれ以外になく、同じ作者の物も見つからなかった。
もうそろそろ帰るかというところで、仕方がなく本を戻しに行く。
「あっ、エルさんそれ上下反対です」
エリクシルのぼうけんを戻そうとすると、エルがそう言う。 見てみると確かに反対だった。
裏表紙には夜に竜とか木とかがパーティみたいなことをしていて元気になった世界が書き込まれているのに、表紙には液体の薬状態のエリクシルだけで地味だから分からなかった。
それを戻そうとして、気がつく。
「反対……。 これ、反対に書かれていないか」
上下反対のままその本の表紙を見る。
タイトルこそないがしっくりとくる。 昼が出来たのに、夜に踊っていたのでは少しおかしいが、ひっくり返してみれば、黒い地に明るい空の昼に楽しそうにしている。
本を開き、ページを捲る。
地面に横たわって、頭を下に向けた状態で死にそうになっていた構図が、老人が空からゆっくりと降ってくるよう構図に変わる。
三つの月の様な曲線で表現されていた笑顔の顔は、ひっくり返ると泣いているか、怒っている顔だ。
本を捲る。老人は昼を夜だけにして、海を死の海に、大地を枯れさせ、男を病にして、木を枯らして、竜の血を抜き、まだ走る。
その男は勇者と出会う。
勇者の手によって男の身体が朽ちていく。
世界の端から勇者が去っていく。
そして、エリクシルが残った。
字こそないが、絵のみを見ればそれが分かる。
「エル。 今からやることは見なかったことにしろ」
「えっ? どうしたんですーー」
エリクシルのぼうけんの端をつまみ、破ろうとする。 が、破れない。
「何やって……って、あれ?」
勢いよく破ろうとするが、破ることは出来ない。
「この本魔道具だ。 破れないらしい」
破れないではなく壊れないか。 折り曲げてみるが、折り目はつかない。
試しに文字を擦ってみれば、文字のインクのみが剥がれる。
「この本。 何かあるな。
……盗むか?」
「いえ、それは止めておきましょう。
内容は、表も裏も覚えましたから、多少絵は雑になりますが後で写本することも出来ます」
その言葉に頷いて外に出る。 少し暗くなってきているぐらいなのに、慌ただしく人が街の中心部に集まっていっているようだ。
「ーーアキさんっ!」
「宿に武器を取りに行く」
人の流れとは逆に走る。 宿の近くに付いた頃に叫び声が上がる。 前を向いて見るが、魔物の姿はない。
「違います! 上です!」
エルが叫んだ。
空に見える、赤色の竜。 口から漏れ出す紅い炎からは強い魔力を感じる。
勝てるか? いや、この街には沢山の魔法使いがいる。 飛んでいる竜を落とすのは俺がする必要はない。
彼方此方から赤竜に向かって魔法が飛ぶ。 大部分は外れているものの。
ーー鬱陶しい。
空が大風で唸っているような、声が聞こえる。
「アキさん、あれは赤竜です。
魔物の中でも高位に位置していて、体は固くて力は強く、何よりその口から出る魔法の炎がーー」
ーー黒い髪。 まぁ、ついでか。
竜の声が聞こえる。
エルの口を塞ぎ黙らせる。 近くの路地裏に飛び込み、エルの身体に抱きつくように小さな身体を俺の身体で覆う。
「目を塞いで黙ってろ。 喉が焼けるぞ」
地面に押し倒して、俺とエルを守るように出来る限り大きく丈夫なシールドを張る。
目を閉じて、背中に迫る熱を感じる。守っていたシールドが溶解して背中に降り注ぐ。
シールドをもう一枚張り、もう一枚張り、また一枚張る。
風が吹き、熱された空気が頬を撫でる。 一旦は収まったらしい。
「アキ、さん……背中、背中が……」
「エル。 怪我はないか。 ないな。 とりあえず、逃げるぞ」
肉の焼ける異臭がする。 周辺の木で作られていた建物は全て焼け落ちている。 宿の中にあった剣も使い物にならなくなっているだろう。
周りは俺のように防いだのか、まだ生きている人が殆どだが、生きている人間で動けそうな奴は殆どいない。
エルを無理矢理背負い、焼けた背中に痛みが走る。
それに背を押されるように走る。
「アキさん……」
「黙ってろ。 俺はお前を……」
守ると言う前に、エルが暴れて飛び降りた。
「一人で、逃げてください」
「戦えないくせに立ち向かう気か! 馬鹿か!」
「違います。 あれには、勝てません。 僕も、一人で逃げます」
頭が沸騰するように血が駆け上る。 気がつけば怒鳴っていた。 獣のような声でエルに向かって、言葉にならない声で怒鳴って吠えて、威圧して黙らせる。
俺の怒鳴り声で萎縮してより小さく縮こまった身体を無理矢理に抱き上げる。
「逃げるぞ」
エルからの返事はない。




