剣聖剣奴⑧
エルを背にして、魔力を放出して空中に待機させる。 幾分か余裕があるのは、男の身体から多くの魔力が感じられることから、今までの経験と照らし合わせると、魔力重視の魔法使い型の魔物化を引き起こしていると思われ、腕力や速さはそれほどでもないだろうと予測出来るからだ。
男の目は俺ではなく、背のエルに向かう。 俺がよくする欲情の目ではなく、憎々しいという様子だ。
「聞いているか?」
どうにも自立しているというか、集団できた割には勝手な行動に思える。 指示系統がちゃんとしている団体には見えないことも合わさって、その正体が透けて見える。
「……尾喰」
彼は驚いたような目をせずに俺の方を見る。 知っていて当然という風ではなく、どこかぎこちなく不自然だ。
エルが背にいることを確認したあと、口を適当に開く。
「ああ、久しぶりだな、尾喰。 前に約束したはずだがな、俺達には関わらないと」
「ああ、そんな約束もあったか。 だが、それはもう破棄する」
「そんな約束してねえよ。 初対面だろうが」
尾喰の表情が歪み、エルが俺の言動を聞いて納得したように「あっ」と小さくこぼす。 俺が今までしてきた推理が、一瞬にして伝わったのだろう。 隠すつもりだったが、エルに隠し通せるはずもない。
「舐めた真似を」
怒る仕草を見せて、すぐに肩をすかせて俺を見る。
「……分かっているようだな」
「まぁな。 ……第一に言うと、俺達の目的はお前にどうこうすることではない。 エルと二人で暮らせたらいい」
「散々敵対行動を取っていただろう」
「エルの旧友がお前に使われているからだ。 人質を取って無理に使わせるようなことを放っておけないだろ」
「敵対するつもりか?」
「恨みはない。 対立するとすれば、利害が一致しないときだ」
高まっていた尾喰の……否、何かの魔力が収まっていき、手も攻撃の意思がないとばかりにひらひらと振られる。
「悪くない。 お前達が協力するなら、失敗はなくなるからな」
「……歓迎する。 中に入れ、茶ぐらい淹れてやる」
手仕草で使用人を呼び寄せて、応接間に案内する。 エルが俺の手を出し強く握っているのは、悪と思しき人物と協力しようとしていることへの不快からか、単純な恐怖か。 握り返して、近くに手繰り寄せる。
応接間に入って、何かを座らせる。 彼は狭い部屋に気にした様子もなく、出された紅茶を啜って飲む。
とん、とカップを置く仕草は、口調や行動に反して嫌に優雅なものだった。
「一つずつ質問をし合おう。 どこまで知っている?」
「何も知らない。 女神とも交信していないからな、単に推測を重ねただけだ」
「大したものだ。 おそらくその推測の大半は合っているだろう」
「……名前は」
「ウォルルヅ。 そちらの目的は」
「エルと一緒に過ごす」
ウォルルヅと名乗った男は、推定神は不快そうに眉を顰めて同じことをもう一度尋ねる。
「そちらの目的は」
「……エルとの子供を作る」
「エルとは、女神の通称だったりするか?」
「交互にじゃないのかよ。 いや、そんなどうでもいいやつではなく、ここにいるこの子だ。 俺の妻」
信用が出来ないといった様子のまま、ウォルルヅは俺とエルを見比べる。 こうして見ると、案外紅い目は恐ろしく映るものだと思う。
家族と呼べる人が紅い目だった慣れはあるはずだが、他と比べればやはり妙で、嫌な雰囲気を持っている。 あるいは、紅いからではなく、瘴気の影響かもしれないが。
人間味があり、どうにも超越然とした存在には感じられない。 幾分かの考えの後、尋ねる。
「お前は神か? 神とは力を持った魔物のことか?」
「神ではない。 が、神でもある。 創世者という意味では、それには近いが、特別な存在ではないし、低俗なものでもあるな。
本物の神は見たことがないが、勇者を呼び出す存在を神と呼ぶなら、神と力を持った魔物は別のものだとしか言えん。 幾ら瘴気を集めようとも、俺達と同一の存在にはなれない」
ウォルルヅはエルを見て、呟くように尋ねる。
「あれは勇者か」
「ああ」
「日本人のようだが、日系人か? それとも……」
『僕は、日本人ですよ』
エルが聞き覚えがないが、何故か若干だけ理解出来る言語を口にすると、彼は愉快そうに頷いた。
「別言語の訛りもないか。 ……俺も知らない奴だから、あの女の使徒であることに間違いはなさそうだな」
ブツブツと独り言を言っている男を横目に見ながら、エルに耳打ちされた言葉をそのまま訪ねる。
「今は西暦2014年から見て、どれほど過去になる」
「……すごいな。 あの女が選ぶだけある。 俺はわざわざ数えてもいないから分からないが、氷河期が来た直後ぐらいだ」
「氷河期? ……寒くはなってはいないが」
「正史だと氷河期になるはずだったってだけで、この場合はなってねえの。 ……というか、エルだったか? 自分で聞け」
「お前エルを奪う気か殺すぞ」
剣を引き抜こうとした手をエルに止められる。
「いや、話の展開が訳分からないですよっ! どう解釈したらそうなるんですか!?」
「……エルと話そうとしたから」
「それは絶対僕と話したいからじゃないですから。 安心してください」
「……いや、間違いなくエルと話して口説こうとしている」
男を睨むと意味が分からないととぼけ始め、再び剣に手を当てる。
「……分かった、お前越しでいい」
「条件だ。 交渉だとかにせよ、エルと接点を持とうとするな。 不快だ」
「……マジなのか? それとも冗談のつもりか……」
「腹芸なんぞするつもりも、不用意に仲良くなるつもりもない」
「マジか……。 まぁいいけどよ。
ズレたな。 女神との接点はあるのか?」
「ほとんどない。 お前の目的は」
男は俺の顔を見る。 不快そうな表情を変えることなく、けれど何の隠す仕草もなく口を開く。
「蓋を作ることだ」
「……蓋?」
「そう、蓋」
不快な笑みから目を逸らすように、エルの方へと振り返ると、彼女は不思議そうに首をかしげる。
「……『エリクシルの冒険』。 と言っても通じないか。 ……本、壊れない、魔物が狙う本のことか」
「驚いたな。 ……頭が悪いと聞いていたが、なかなかどうして……」
「それはどうやっても否定出来ないが、大切なことを覚えておくぐらいの脳はある」
魔王という言葉は、単純な呼称ではない。 会ったこともない女神だが、その行動は適当でいい加減なものではなく、意味があってしていることばかりだ。
「……あの世とこの世を繋ぐ穴を塞ぐことで、人の魂を繋ぎとめて、死者の蘇生を可能とする」
男の言葉は、酷く人間的なワガママのように聞こえる。
「……人の死によって、瘴気が生まれて、それから魔物が生まれる」
「俺を憎むか? 筋違いとは言わない。 それも構わない」
「いや、合点がいっただけだ。 魔法や魔物がないとエルが言っていた世界において、ペン太という魔物化した生物がいたことに説明が付く。『蓋』をしていない世界では、魔物や魔物化が起きにくいだけで、多少は起こっているのか」
「……冷静だな。 いわば、多くの人の敵だが」
「どうでもいいとまでは言わないが、優先順位は低い」
最悪、エル以外の全員が死んでもいいが、エルが傷つくのだけは嫌だ。 この場で短絡的な行動を起こしても解決するとは思い難く、エルを守る行動とは言い難い。
「構わない、と言うのが正しいな。 エルさえ幸せでいれるのならば……人類など滅んでも構わない」
「……お前のことは好きにはなれなさそうだ」
「多くの人を殺す遠因になっておいて、人の味方のつもりか。 気に食わない」
ウォルルヅは舌打ちをしてから、初めて淹れられた紅茶に口を付ける。 温くなっているそれに舌打ちをして、足を大きく開いて威圧するように前に屈み、俺を睨む。
「未来に進むためだ。 3000年の確実な滅びの後、生き返ることで人は未来に進む」
「意味が分からない。 どうでもいい。 つまらない瑣末事に思考をやるつもりもない」
「あの女のように、延々と過去へと戻り、生き長らえるつもりはない」
「勝手にすればいい。 どうだって構わない。 俺はこの時をエルと生きたいだけだ」
遥か遠くの理想など、考えるつもりはない。 俺には理解が出来ない高い理想を掲げる男だが、俺にとっては理解どころか関係のない出来事でしかない。
男にとっても、人類の一人でしかないエルに執着する俺を理解出来ないのだろう。 だからこそ、言える。
「協力は容易だな。 一切の噛み合いがない。 主張がぶつかることはありえない」
男の言葉に頷く。 魔物を生む人類の不幸の元凶ではあるが、俺にとっての敵とは言い難い。
「いいだろう。 街の一角で良ければ空いている。 ……が、一つ聞く。 お前の中に「尾喰」は残っているか」
「……いない。 と答えたらどうなる」
「友人の勇者がいる。 それがお前達に食われていたとすれば、認めがたい」
ウォルルヅは笑いながら立ち上がる。
「確か、星矢だったか? あれは寄越してやるよ」
……今はまだ敵対しない。 だが……将来、いつかは争う可能性が残っている。 女神やらなんやらの細かな問題ではなく、友人の敵討ちで。
ロトを思い、腰の剣に手をやる。
部屋からウォルルヅが去っていき、彼の配下の魔力が屋敷から遠ざかっていくのを感じる。
「エル、旅の支度をするぞ」
「……えっ、なんでですか?」
「友達が、少し危ないらしい。 リアナも連れていく」
勇者は死のうが元の場所に戻る。 だが、尾喰のように魔王、あるいは神に乗っ取られた場合は、死んでもいないので元に戻るわけでもなく……それこそ、本来の死よりも恐ろしい状況だろう。
ロトが負けるはずがない。 魔物が相手でも、他の勇者が相手だとしても。 つまり……神の元である能力を多く集めてしまっている可能性が高い。
星矢のことや、尾喰のことは納得はいかないが片付いた。 大山の好奇心もウォルルヅに合わせれば満たされるだろう。 女神は無視すれば、問題はロトのことだけが残る。
「……ファンタジーなのに、話し合いで解決するんですね」
「言っている意味が分からないが、解決はしていない。 あれが人の敵であることは間違いがなく、それを見逃しただけだ」
負ける可能性が低ければ、間違いなく斬っていた。 ウォルルヅにしてもそうだろう。
結局、二人して傷や痛みを恐れたに過ぎない。
舌打ちをして、頭を掻き毟る。 性に合わない真似をした。
 




