空へと落ちる日⑤
落ち着きを取り戻した、とエルは自評するけれど、どうにも焦りや切羽詰まった様子は残ったままで、表面上取り繕うことが出来る程度に頭が冷えただけのように見える。
つまり、あまり内心の変化はない。 エルは俺にべったりとくっつきながら、本心を隠した表情に戻る。
「ありがとうございます。 少し安心しました」
「……大丈夫には見えないが」
「大丈夫ですよ」
微笑むエルは俺の目からは不安を隠しているようにしか見えず……。 溜息を吐き出して、エルの身体を抱き締める。
「あまり困らせないでくれ。 説明がなさすぎる酷く意味が分からない」
「……アキさんには……言えないです」
「俺以外なら言えるのか?」
「アキさんに伝わらなければ……」
俺には知られたくないが、他の人なら問題がないか。 普通の悩みであれば、そういうことはないだろう。
考えられるのは、今までのエルの傾向を思うと俺に嫌われないかと不安に思うようなことか。
「……言えないなら、仕方ない。 ただ、あまり気に病む必要はない。 少なくとも、俺はエルを愛していて、何があろうとそれは変わらないから。
もし、エルが俺に嫌われるなどと言うことを不安に思っているのなば、悩みの事柄が何であろうと杞憂だ。 エルが幸福なら、今すぐ俺を刺し殺してくれても構わない」
エルは俺の顔を見て、目を逸らす。
「……例えば……僕が得体のしれない化け物だったら、どうしますか?」
「魔物とかのことか?」
「……もっとおかしな存在です。 アキさんでは理解できないような」
「それが何を指しているのか、理解出来ないが……俺はエルが好きだ。 変わらない」
エルは不安げなまま、頷く。
「……言います。 けど……その、アキさんが逃げられないように縛っていいですか? 逃げようとしなければ、僕はこの部屋から出ませんし……解きますから」
「分かった。 それならいい」
エルが鎖を手に取って、脚をぐるぐると縛ったあと、もうひとつ棚から取り出して上半身を縛る。 ……かなり強く縛られていて、俺でもこのレベルの拘束は抜けられそうにない。
「これで大丈夫か?」
「ん、もう一重しておきます」
「……そうせずとも逃げない」
また縛られて、厳重な様子も話すつもりになったからだと思うと甘んじて受け入れる。 そもそも、もう抵抗も出来ないけれど。
エルは鎖の状態をよく観察してから俺の指先を紐で縛ってから、ベッドの上に転がされている俺の前に座る。
覚悟を決めたように、エルは震えた唇で言葉を発する。
「……僕は、異世界から来ました」
当然の事実から始まり、頷くしかない。 ここからどう話が続くのか不思議に思っていると、話しにくそうにエルが顔を顰め、動けない俺の頭を撫でて少し落ち着いた様子を見せる。
「当然、同じ発生とは限りません。 おそらくタンパク質が主で細胞分裂によって成り立っているのは同一ですが、同じDNAによって情報を保存しているとは限りません。 ましてや染色体の数も全然違う可能性もあります」
「……悪い、よく分からない」
「僕もアキさんも人間ではありますが、別の人間という可能性があります。 ……言ってしまえば、アキさんと僕より、アキさんとそこらへんの動物の方が近い性質の存在かもしれないんです」
エルと俺より、俺とそこらへんの動物の方が近い……。 全く意味が分からない。 エルの言うことだから間違ってはおらずその可能性があるのだろうが、よく分からない。
「……それの何が問題なんだ? もしそうだとしても、問題はなかったように思うが」
「……もしそうであれば……子供が出来ません。 染色体の数が違ったり、同じDNAで出来ていなければ、無理ですから。 もし出来たとしても、人の形にならない肉の塊かもしれないです」
「それが不安だったのか」
「……アキさん、子供欲しがっていましたから……」
抱きしめてやりたいが、縛られていて指一本動かせない。
「もしそれがそうであっても問題ない」
エルを見つめてそう言うと、必死に取り繕っていた表情が崩れて、俺の方を見つめる。
「アキ……さん、アキさん……」
泣き出しそう、いや泣く直前の表情をして、エルは縛られている俺に抱きつく。
「……にゃん太が妊娠したって、考えていたら……。 異世界の猫だから、ちゃんと出来ていないかもって、思って……。もし、にゃん太の赤ちゃんがおかしなことになってたら……。 僕もって思って……」
「分からないから大丈夫だとは言わないが……俺がエルを嫌いになることも、離れることもない」
「……本当ですか?」
「当たり前だ」
「……あと少し、こうしていいですか?」
頷いてなされるがままにする。 そもそも一切抵抗出来ない。
しばらく抱き締められていると、足音が廊下に響き、扉が大きく開け広げられる。
「エルたんアキくん! にゃん太が産気づい……って……あ、と……えと、その、邪魔してごめんなさい、その朝からそういうことしてると思ってなくて……。にゃん太が子供産むから! そういうことで!」
月城が顔を赤くして去っていくのを見て、エルは顔を青くする。
「……怖いなら見に行かなくてもいい」
「着いてきて……くれますか?」
「離れるわけがないだろ」
エルは涙を拭ってから、俺を縛っていた鎖や紐を解く。 軽く体を解してから、辛そうなエルの背をさすりながらにゃん太の場所に向かう。 どうやら結局作ったにゃん太用の小屋は使われなかったらしい。
「あ、エルたん。 にゃん太頑張ってるよ」
「……はい。 もしものときに備えて治癒魔法の用意をしますね」
顔を青くしたまま、エルは頷く。
エルを抱き抱えていると、数人の使用人が気になったのかチラチラとにゃん太の様子を伺う。
にゃん太は苦しそうな息をして、落ち着かない様子で床に転がり、身体を擦り付けるように動く。
「大丈夫……でしょうか」
「……多分」
子供を産むところなど見たことがなく、それは二人も同様らしく心配そうに見つめる。 しばらくしてからにゃん太の動きが止まり、股の間から何かが出てくる。
茶色い……何かが膜のようなものに覆われており、半端に出たままにゃん太は身体を動かす。
「これ、大丈夫なのか?」
「だ、駄目なんですか!?」
「いや、分からないから聞いたんだが」
子供は分からないがにゃん太は大丈夫らしく、思ったよりも安定した様子で動いているが、子供らしい膜に覆われたそれはなかなか動くことも出ることもなく……心配になりエルを見ると、青い顔で倒れそうになっていたので慌てて支える。
「う、動いて……ないです」
そう言った直後、子猫らしきものが膜ごと出てきて、膜の中で動き始める。
「動いてます! 生きてます!」
「……よかった」
エルが悲しむところは見たくなかったので、俺も一安心する。 どうやら異世界でも猫は猫らしい。
一匹目が膜を破ったと思うと、にゃん太は茶色い子猫を舐め始めて、またしばらくして二匹目がゆっくりと出てくる。
「に、二匹目だよ! アキくん!」
「そうだな。 猫は同時に複数産むと言ってただろ」
「……なんか私には冷たくない?」
「エルにほど優しくするわけがないだろ」
どうやら何も問題がなかったらしく、にゃん太が子供を産んでは舐めてとしている様子を眺め、泣き始めたエルを抱き締める。
「にゃん太……よかったです」
「ああ、よかった」
「僕も、大丈夫なはずです」
「……怖かったな」
居心地が悪そうにしている月城を他所に抱き締めたり撫でたりとしているうちに、どんどんと子供が生まれ終えて、最終的に五匹の子猫が産まれた。
朝早くだったはずなのに昼近くになっており、なんとなく気疲れしながら、子猫に乳をやっている様子を眺める。
「にゃん太、幸せそうですね」
「そうだな」
乳をやりながらも子猫を守るように脚を丸めているところを見て、母親というものを見た気がする。 必死に乳を飲んでいる子猫はにゃん太の黒と同じのが二匹目に、茶色が三匹いる。 父親は茶色い猫だったのだろうか。
小さい毛むくじゃらが集まっているのは可愛らしく、自然と笑みが出てしまう。
「……いいですね。 こういうの」
「ああ、幸せそうだ」
エルは俺の服の裾を引き、上目で俺を見る。 見返すと照れたように笑って、俺を抱き締める。
「邪魔しても悪いですし、お昼ご飯どころか朝ごはんも食べてないので、食べにいきます?」
「……もう少し、見ていてもいいか?」
月城は気を使ってか、あるいは生活が昼夜逆転しているからか「寝てくる」と小さく言って、自室に向かっていった。
エルと二人で猫達の様子を見て、気疲れしていた心を癒す。
「アキさん……」
「腹が減ったのか?」
「いえ……その、僕も……赤ちゃん、欲しいです」
少し顔を赤くして、エルは小さく言った。




