空へと落ちる日②
父親はきっと幸せだった。
人に愛されることが出来、人を愛することが出来るのだから。
それは俺に否定出来ることではなく、だからこそ死に向かったことを止めることも出来ない。
とうの昔に死にたかったはずだ。 なら、何故今まで生きてきたのか……考えても遅いことで、思っても遠いことだ。
魔物との対話を記した本を閉じて、重しのようにグラウの石剣を置く。
幸福を祈る必要も、願う意味もない。 小さく頭を下げる。
ありがとう……小さく思いを込めて。
◇◆◇◆◇◆◇
関わる人が増えてはいるが、大山やロム、あるいは不審者のおかげもありそれらに費やす時間は減った。
以前まで適当に済ませていた仕事内容や勤務している人員、時間を整備したこともあるだろう。
晴れて働く必要がなくなり、エルと二人で屋敷の内で静かに過ごしたり、適当に剣を振り回したり、エルを口説いてみたり、サイスに文字を教えたり、と多少静かになった屋敷で暮らせている。
エルがにゃん太を抱っこして、その様子を横目に眺めながら窓から外を見る。
随分と以前から様変わりした景色だ。 俺もエルに抱きしめられたい。
「にゃん太……太りましたね」
「そうだな。 月城が幾らでも、食わせるからな」
「僕も太ってないですか?」
「痩せきっていたのがもどっただけだろう。 そもそも俺の半分も食べてないだろ」
「ん、身体も半分もないので当然です」
エルはもう少し食べたほうがいいと思うが……少し不安だ。 大山の言っていたエルの故郷に近い食べ物を輸入でもした方がいいだろうか。
ほとんど話さないが、人質が解放されたことを知って新しくやってきた勇者が言うには食べ物が変わるのはストレスというものになるらしい。
とは言えど、もう醤油はなく、どういうものがいいのか分からない。 流石にそこまで金があるわけでもないので情報がなければ、手当たり次第というわけにもいかない。
「そういえば、そろそろエルの誕生日か」
「まだ遠いと思いますけど……。 えと、18歳……じゃなくて19歳ですね。 一年記憶が抜けてるので」
「見た目はあまり変わらないのにな」
「変わってます! 髪も伸びてますし、大人っぽくなってますっ!」
拗ねたような表情をしたエルを撫でる。 可愛いと癒やされる。 永遠撫でていたい。
「何かほしいものとか、してほしいことはあるか?」
「……アキさんを一日中貸し切りとか……?」
「それは別に誕生日じゃなくともするだろう」
「お洋服買ったりとかですか?」
「誕生日じゃなくとも買う」
「むしろ、誕生日以外でもなんでもしてくれるので……頼みようがないと言いますか」
祝い事でもないと嫌なことか……。 色々と考えるが、だいたい許容出来ることとどうしても嫌なことの二極で、ギリギリ許容出来るというのは難しい。
「……一日キスを我慢するとか?」
「……なんで誕生日に罰ゲーム受けないとダメなのでしょうか」
「特別なことと考えると。 エルも嫌がっているときもあるから」
「嫌がってはないです……。 少し、恥ずかしいだけで」
顔を赤くしながら、エルはにゃん太の前でボールを転がしてみる。 あれでせめてもの運動をさせたいらしいけれど、にゃん太は興味なさそうに丸まっていたり、エルが手を伸ばすと威嚇したりと忙しない。
「野生を感じられない……。 まだアキさんの方が野生的です」
「……襲うぞ」
「襲わないで飼いならされてください」
見れば結構太っている。 手をのばせば気が立っているのか懐いていたと思っていた俺にも威嚇し……身体を重そうにしながら去ろうとする。
少し気になったので捕まえると太っている……というか大きくなっているのは胴体部分だけだ。
もっと言えば乳房と腹が膨らんでいて……。
「こいつ、妊娠してるな」
「……? えっ、にゃん太が? 他の人がですか?」
「猫が」
「……にゃん太、メスだったんですね」
オスだったら抱っこなど許すはずがない。
にゃん太を下ろし、好きにさせる。
「……というか、三ヶ月ぐらいずっとお屋敷にいたのに、いつの間になんでしょうか」
「サイスが連れ回してたから、その時だろうな」
「……どうしたらいいんでしょうか。 その、猫の妊娠のお世話とかしたことないです……」
「野良で繁殖しているのだからほっとけばいいだろう。 気になるなら……ロム辺りなら知っているだろうな」
後で聞きにいけばいいだろう。 まぁ実際に知っているのはよく分からない魔石の方だが、それはどうでもいい。
にゃん太と遊ぶために作ったボールを握ったエルを手で寄せる。 大山とロムは基本的に街の方にいるので、定期的に……週に二日ほどくるときに聞けばいいだろう。
「んぅ……あまり構うのも良くないって聞きますし……」
「適当に毛布でも放ってたらそこで産むんじゃないか? 構わない方がいいだろう」
月城は闇雲に餌を与えていたのかと思っていたが、もしかしたらもっと前から妊娠に気がついていたのかもしれない。
「……なんとなく緊張しますね。 あの、どれぐらいおなか膨らんでました?」
「分からない。 ……実際見たのは初めてなのだから分かるわけないだろ」
「それはそうですけど……。 ミルクとか用意した方が……あっ、ダメだったっけ……。 んぅ……」
「ロムなら分かるだろう。 可愛がっていたから気になるのは分かるが、放っておけ」
「アキさんはクールです……」
昼間で暑い。 流石に農作業や剣の修練をするだけの気力はなく、今日は大人しくエルと部屋に閉じ籠ろうと思う。 最近、物を部屋に大量に置けば狭くなりエルトの距離も縮まりやすくなることに気がついたため幾分か物の多くなった部屋に入り、ベッドの上に座る。
以前は椅子に座ることが多かったが、ベッドの方が触れ合いやすいと気がついてからは普段からベッドの上に座ることが増えた。
エルが膝の上に座り、ふうと小さく溜息を吐き出す。 俺はエルを抱き抱えながら頷いた。
「暑いですね」
「暑いな」
ベタベタとした汗が出る。 以前ならエルの魔法などがあったが、今はないのでどうしても部屋の温度は高く、エルを抱きしめているのだから尚のことである。
どうすればこの暑さから逃れられるのか、膝の上でべったりと倒れているエルに尋ねる。
「風通しが悪いので、窓と扉を開けたら……でも、窓を開けたら虫が……。 網戸とかあったらいいんですけど」
「冷たい物でも飲むか?」
「……水にかかる圧力を下げて揮発させたら……もう普通に魔法で温度下げた方が早いですね。 ああ、いや、水を集めて湿度を下げる魔法なら……体感温度としては」
そう言いながらエルは魔法を発動させる。若干暑さが和らいだような、和らいでいないような。
魔法でコップに集まった水は飲まないようにと注意を受けて、暑さで顔が赤らんでいるエルを見る。 幼いかんばせが赤く汗ばんでいて、なんとなく色っぽい。
我慢が緩みエルの身体を強く抱き締めると、エルは恥ずかしそうな表情をする。 エルの服は汗で身体に張り付いていて、体の線を示しているようだ。
思わず唾を飲み込むと、エルはぷいとそっぽを向く。
「アキさんのえっち」
「仕方ないだろ」
エルと俺の汗が混ざり合った服が、エルが膝の上で向き合うような姿勢に変えたことで少しの間だけ外気に触れて涼しくなるが、すぐにエルが付いたことで元の温度に戻る。
俺の服を濡らしていた汗がエルの服の前面にも滲んでいき、計らずも匂いを付けあったみたいになる。 鼻を鳴らせばエルの汗の匂いが強くして思わずうっとりとしてしまう。
暑さに対抗する解決策は見つからない。




