空へと落ちる日①
久しぶりに見た父親は弱々しいように見えた。
「着いてこい」と言われて従ったのは、以前にあった畏敬の念ではなく、憐れみに近い感情を抱いたからだ。
エルは俺との別れを惜しんでいるが、仕方なく部屋で待っていてもらい、父の執務室(執務はしていないが)に入る。
「……何のようだ。 今更」
「ハクとグラウの話をしようと思う。 お前はハクのことは、知らないだろう」
母親の……か。 グラウについては未だしも、母親には大した興味もなかった。
優しかったと覚えている程度で、あとはグラウの口から聞いた美化塗れの参考にならない話ぐらいだ。 けれど、それ以上知りたいとは思わない。
グラウに強く肩入れしていることもあり、そのことに関してはつまらない慣例で奪った父親や逃げなかった母親は好意的に見ることが出来ない。 その結果産まれたのだとしても、認めたくはない。
父親は酒を瓶のまま飲み、見知った安酒の瓶に顔を顰める。
「……お前がそれを飲んでいるのは、不快だな」
グラウがよく口にしていたものだ。 安く、その割には度数が高いとかそんなつまらない理由だった。
部屋に少し残っている煙の匂いも、グラウの好んでいたものと同様だ。 普段それらを行わない父親がするのは、グラウの影響があってのことだろう。
「……グラウは死んだか」
「ッ……何故」
「あいつはいつも、俺の先を行く」
馬鹿らしい言葉だった。 何の根拠もありはしないけれど、俺が話すわけも、他の人に見られたこともない。 知らないはずのことを当然のように言う父親の言葉には、説得力がある。
頷けば、父親は眉も動かさずに酒を煽る。 品のない飲み方だ。
「お前は……あの娘が他の男を好いたらどうする」
「攫う」
「当たり前だ。 だから私もそうした。 ……駆け落ちに着いていき、私達が逃げられないように居場所を家に伝えながら旅をして、最後には無理矢理婚姻した。
それからほどなくして、お前が産まれた」
舌打ちをしてから椅子に座る。 父親の顔が目の前にくるとその情けなさが際立つようだ。
「懺悔を聞くつもりはない。 年老いてから懺悔し、反省して、何が変わる。 母親もグラウも死んだ。 お前の言葉をまともに聞く奴などもういない」
「お前がいるだろう」
「まともには聞いていない。 気に入らなければ斬る」
非常に不快だ。 俺をグラウの代わりとでも思っているのだろうか。 そんなはずはない、あれは小汚く臭いうえに醜いが、高潔だった。 代われるものではない。
「墓参りに行く前は、いつもこうしている。 つまらない真似だ。 猿真似をしてまで好かれたがっている」
「グラウは煙草と酒の匂いが嫌われるからと抜いていたな」
「……酷いマヌケを晒していた」
好かれるためのグラウの真似が、母親にとって好ましくないものだったとは思わなかったのだろう。 酷く気落ちした様子で椅子にもたれかかった。
「私の本質は魔物だ。 それは魔の力を多く持つからではなく、自身の欲望の充足が一番大切だからだ。
だから欲しければ奪うし攫う。当たり前だ。 お前もそうだろう」
俺が答えず、沈黙が流れる。
父親達の時のようにエルの幸せが別の男に向けば、俺はどうする。 エルの幸せのためだと諦められるのか、エルの喜びを祝福出来るのか。
自分の欲望のために攫って監禁するのではないか。 縛って他の人に会えなくするのではないのだろうか。
目の前の父親と俺に……何の違いがある。
認めたくないが、変わらない。
「……ああ」
「お前は俺によく似ている」
憎しみを込もった父親の目は、写真を見て懐かしむ時と似ていた。
ヤケに静かに時間が流れる。 あまり見たくないのは、父親が状況のみが違う俺のようで、その醜さを見せつけられるようだからだ。
「お前には……愛などない。 あるのは身勝手な欲望と依存心だけだ」
返事はしない。 認めたくはなく、否定することも出来ない。
鏡を見ているような紅い目とその奥を睨み合い、覗き合う。
「お前は人の不幸を願っている。 出来ることは戦うことばかりで、それがなければ人から好かれる方法もなく、人と関わる意味もない。 だからお前は戦う場を求めている。
人が不幸になればお前は戦う場を得る。 それが求めているものだろう」
父親は俺の眼を見つめる。
「お前は一人で生きて、一人で死ね」
誰に向けられた言葉か。 判別は付かない。
揺さぶられる目の中で、エルに会いたいと強く感じる。 喉の奥から、言葉を絞り出す。
「……エルは俺を愛してくれている」
「……そうか」
「グラウも愛してくれていた」
「……そうか」
「お前のことも悪く言わなかった。
勝手に思い込んでいるだけだ。 自分が魔物だなどと」
目を逸らして溜息を吐き出す。 今度は父親の口が動かない。
こうして向かい合って言葉を口にしても、話し合いにはならず、一方的な言葉を聞き合うばかりだ。
「今は欲望と依存ばかりかもしれない。 だが……ちゃんと愛したいと思っている」
「……そうか」
「生きるも死ぬも好きにすればいい。 俺も好きにする」
話すことはそれ以上なく、立ち上がって廊下に出る。
もう死ぬのだろう。 グラウの時とよく似ていた。 レイはどこにいるのだろうか。 ……まぁ、あいつも好きに生きるだろう。
月城には伝えた方がいいのだろうか。 何にせよ、疲れた。 ……エルに会いたい。
父親もグラウも、疲れたのかもしれない。
◇◆◇◆◇◆◇
父親が戦に出て行ってから数時間後、月城の顔が見えた。
「着いていかなかったのか」
「役に立てないから」
「能力は返したのだから、それで役に立つだろ」
「……そうかも」
月城は軽く笑い、溜息を吐き出す。
「多分、着いて行きたくなかったのかな」
月城の気持ちは分からない。 あまりに考え方が違いすぎる。
「そうか」
そう返すと、月城は小さく笑う。
「それ、ヴァイスさんに似てるね」
「……そうかもな」
エルの手を引いて、新しく建てたもう一棟の屋敷に入る。 人が増えたこともあり、早くも生活感のような物が出来ている。
慌ただしく動いている不審者に声をかける。
「軽く仕事の整理をするから、全員に今日の夕方にこちらのホールに集まるように伝えてくれ」
「はい! 分かりました!」
……骨ぐらいは拾いに行ってやるか。




