家造り日記⑤
ぼーっとする頭で咀嚼する。 味がよく分からないがとりあえず食べる。 やはり味が感じられないと食欲が失せていくけれど、残せばエルに心配されることが容易に分かるので無理にでも飲み込む。
その様子に安心したらしいエルは息を吐き出しながら、俺の額に手を伸ばす。
「熱いですね……。 してほしいこととか、ありますか?」
裸を見せてほしいと言えば見せてもらえるのだろうか。 無理だろうな、そう思いながらも若干の期待を持ってエルの身体を見る。
相変わらず小さく細い。 華奢や小柄と言うには年齢を思えば度が過ぎているほどであるぐらいだ。
肉付きは多少……記憶を失った時に比べれば戻ってきたが、やはり細い。 まぁ、旅をしていた時もこれぐらいだったので、エルの普通はこの程度なのだろう。
胸もなく、くびれも尻も薄い、一般的な価値観と違っているのは分かるが、どうしてもその服の中を見たい。
「……? どうしたんですか? ぼーっとして」
可愛らしい高い声に聞き惚れて、不安そうな瞳に見惚れてしまう。
「……少し、頼みたいことを考えていた」
「何をしたらいいですか? 食べたいものがあったりしますか?」
頼みを決めたが、どうにも口に出すのが躊躇われる。 断られることはないと思うが、なんとなく言い出しにくい。 おそらく、喉の不調のせいではないだろう。
不思議そうに首をかしげるエルから目を逸らし、聞かれにくいように……伝えるための言葉なのに、可能な限り聞こえないように小さな声を出す。
「……抱きしめて……くれ」
反応がなく、エルの表情を伺うと、呆気にとられたような顔をして、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「……アキさん」
「なんだ」
「もしかして……恥ずかしがって……ます、か?」
「恥ずかしい?」
「そんな初めて聞いた言葉みたいに……。 って、絶対恥ずかしがってますよね? 耳まで真っ赤ですし」
それは風邪のせいだろう。 抱き締めたり抱き締められたりなどいつものことであり、今更恥ずかしがるようなことではない。
首を横に振って否定すると、エルはクスクスと笑ってから話す。
「じゃあ、もう一回言ってみてください」
「……言う理由はないだろう」
「言われたら、僕が嬉しいですよ?」
「……喉が痛いから言いたくない」
「その言葉の方が文字数多いですね」
言い負かされて、口を閉じてしまう。 恥ずかしがってなどいないと言いたいが、それなのに口は上手く動かず、再び頼むことが出来ない。
どうしたらいいかを無い頭を働かせて考えるが上手い言い訳が思いつかない。
そうしていると、ふわりと鼻の頭に布が触れて、好きな匂いが鼻腔に入り込む。 暖かいと感じるのと共に今の悩みが霧散して、色々と考えていた頭が軽くなるのを感じる。 ポンポンと、後頭部に近い頭が撫でられて、細い腕が首の後ろに回ってきていた。
「意地悪してごめんなさい。 アキさんが恥ずかしがっているのが珍しかったので」
「恥ずかしがってはいない」
「いひひ、そうですね。 でも、恥ずかしがっているからって嫌いになったり、情けないって思ったりはしませんからね」
抱き締められたまま頷くと、エルはくすぐったそうに身をよじる。
「……少し、恥ずかしかった。 理由は……分からない」
「強がってるからですよ。 かっこつけしいで、可愛いです」
「やめてくれ……」
「可愛いは嫌なんですね。やっぱりアキさんも男の子です」
「……うるさい」
エルに対してこんなことを言うのは、自分でも信じられない。 座ったままの体勢で無理にエルの身体を引き寄せて、骨で硬い胸に顔を埋める。
「あの、アキさん……。 流石にそれは僕も……恥ずかしいです……」
「知っている」
「……なら、やめてください」
「硬い」
「怒りますよ! 病気でもっ!」
「……触っていいか?」
「病気なのに、エッチなことばかりしようとしないでくださいっ! 寝ててっ!」
エルが離れていき、忘れていた苦しさが蘇ってくる。
咳を手で覆いながらして、ふと閃く。
「よく考えたら、何かが身体について病気になってるんだろう。 汚れみたいなものが」
「そうですよ」
「全力ではしれば振り抜けるんじゃないか」
「一秒を待たずにありえないと思える発想はやめてください。 ん、食器片してくるので、寝ててください」
「いや、俺も一緒にいく」
「寂しがりやも度が過ぎてます。 素直に寝て待っててくれたら、撫で撫でしてあげますから」
そう言いながらエルは部屋から出て行く。 ……素直に待つか、それともついていくか。
エルを一人にするのは不安だが、ご褒美は欲しい。 気づかれないように着いていけばいいと思い、少ししてから小さく扉を開けると、扉の横にエルが立っていた。
「……アキさん」
「……おう」
「最近、ちょっとズルくなってきましたよね」
「……悪い」
「大人しく寝ててくださいね」
扉が閉じられて、言われた通り大人しくベッドに行き横になって目を閉じる。 一人で眠れるはずもなく、落ち着かない気分を解消するためにエルの使っている枕に顔を埋めて匂いを嗅ぐ。
そういえば、また雨が降ったときのために木で枠組みを作ったりしないとダメだな。 木を切るための機材がないので、俺が剣で切らないとどうにもならないだろう。
あと、指示はいらないだろうがシシトにも伝えておいた方が……。 ああ、これは月城に任せていたか。
あれ、にゃん太の餌はやっただろうか。 櫛をかけてやったりもしていない。 剣の訓練も最近はあまり出来ていない。
休むのは性に合わないと立ち上がろうと思ったところで、扉が開く。
「あ、ちゃんと寝てましたね。 関心です」
「……ああ」
内心驚きながら、エルの手に撫でられる。 小さな手で頭を撫でられるのは心地よく、眠くないのに目が閉じてしまう。
「大丈夫ですよ。 僕が隣にいてあげますから、安心してください。 何日でも、看病してあげます」
そんな言葉を聞いて、意識が薄れていく。
◇◆◇◆◇◆◇
一度見た夢の映像。 夢だと気がつくのは当然のように早かった。
千年前に魔王を殺した英雄「雨夜樹」の人生が、思い出されるように駆け巡っていく。
しばらくして、気がつく。 始まった場所が、おかしい。 人生の始まりは赤子や幼児ではないのだろうか。
初めて少女と出会ったところから始まり、喪ったことや、暴れまわったこと、消沈しながら魔王を殺したこと。
夢の中で思い浮かぶ──雨夜の泣き顔。 以前にも思い出した、泣き顔。
泣き顔? いや、そもそも何故俺が雨夜樹の顔が分かる。 鏡を見ながら泣いているはずもなく、雨夜樹に雨夜樹の泣き顔など分かるはずがない。
なら、何故俺は雨夜樹の泣き顔を思い出す。 俺が雨夜樹なのではなかったのか? そう予測を付けていたが、前提が崩れていく。
──雨夜樹を見ていた、誰か。
誰だ。 誰だった。 俺は──いつも雨夜樹を見ていた誰か。
辿り着いた答えはあり得ないと繰り返すしかない。 俺ではない俺の記憶。 記憶の始まりは少女との出会い。
死んだはずの少女? あり得ない。 死んだはずだ、その後に偽物は用意されていたが……いや、魔物であれば、瘴気さえあれば……人格を引き継ぐことが出来る……かもしれない。
そもそも、千年前にそんな人間の身体を複製させるような技術があるのはおかしいだろう。 まともな魔法技術は200年ほどだと、俺自身がエルに説明したことでもある。
ならば、これはなんだ。 誰が俺を生み出した。
人はあり得ない。 人智を超える存在? 馬鹿げている。 この記憶が妄想の産物であると考えた方が余程自然だ。
それにしては真に迫って、酷く現実味がある。
人智を超えるナニカが少女を作り出した。 だとすれば……今のそれが俺の中にあることは偶然なのか?
本来は魔物になるはずの瘴気が次々と人に宿り、今に至っては、遥か昔から続く瘴気を受け入れる身体を持ったエンブルク家の俺に宿ったのは。
都合が良すぎる。 あり得ないとはっきり断言出来るほど、小さすぎる可能性。
人智を超えるナニカ……が、エンブルクを作り出した。 その原型となる少女の瘴気を俺に引き継がせた。
何のために、俺は産まれた。
手には糸が見える。 いや、全身に糸が繋がっていて、それが天に伸びている。 真っ白なナニカが、指を動かすように──俺の身体を動かしていた。
◇◆◇◆◇◆◇
「っぁ! うっおわぁあわあ!?」
目が醒める。 目の前には目をパチクリとさせたエルの顔。 身体が酷く冷える。 怖い、寒い。
驚いているエルの身体を無理くりに引っ張り、床に濡れたタオルと水の入ったバケツがひっくり返るように落ちて、絨毯を濡らす。
「あ、アキさん! 大丈夫ですか!? 怖い夢、見たんですか?」
「っ……。 エ、ル……いるよな」
布団を押し退けて、エルの身体を抱き締める。 小さく軽いけれど、暖かいし、どくどくと鼓動の音がする。
動いている。 俺の手にも糸など付いていないし、自分の意思で動かせる。 風邪で気持ち悪いけれど、ちゃんと動く。
「いますよ。 ずっと、アキさんの隣にいます。 大丈夫です、怖くないですよ?」
「……俺が子供の頃は、いなかった」
無茶苦茶なことを言っている。 口に出してから気がつくが、エルはそんな俺に困ったように笑う。
「いてほしかったんですか?」
「……当たり前だ」
「甘えんぼさんにもほどがあります……。 その分、これからも一緒にいるので、我慢してください」
無言で頷いと、エルはまた少し笑って俺の頭を撫でる。
吐きそうなほどの気味悪さは、もう感じられなかった。




