鬼と讃えよ⑤
父親、ヴァイス=エンブルクは特別な存在である。
この国において広く知られる父親は、最強の魔法使いであるということだ。
千より強く、万と並ぶ。 赤い鎧は血の色に染まったからであり、その全ては返り血である。
国外ではもちろんのこと、味方であるはずの国内であっても恐れられるほどの化け物じみた力は、どんなものであっても破壊する。
ただ強い、ひたすらに暴力として優秀。名実共に最強の魔法使いが、俺の父親、ヴァイス=エンブルク。
それが外から見た父親であり、俺がよく目にする父親は、窓際で昔の母の写真をひたすら見ているだけの中年の男だ。
若い時は母とグラウと旅をし、母と結ばれ、俺とレイを息子に持った。 レイが産まれると同時に母が死に、それからというもの、気力も何もなく無為に暮らしているだけ。
母の好いていたグラウと俺が似ていたために俺を嫌い、レイを産んだときに死んだためレイを恨んでいる。
その程度、それぐらいしか……俺は父親のことを知らない。 これまでの人生、俺は父親のことを知ろうとしなかった。
「……アキさん?」
「エル……いや、美佳。 ……すこしだけこのままでいいか」
「別に、エルでもいいですよ。 ……押し付けられたとは、思っていませんから」
「……ああ」
逃げようと引き離される様子はなく、俺の腕の中で緊張したように固まっている。 こういったエルの姿も新鮮で、頰が緩むのを感じる。
懐かしく心地良い暖かさと抱いた感触、身を強張らせるのも愛おしい。
「……父親と、話をしようと思っている」
「……怖いんですか?」
エルの言葉に、気付かされる。 怖がっているのかもしれない。
気にしないようにしていたけれど、思えば……父の言葉に逆らったことがあっただろうか。 学校に行けと言えば頷き、恥だから名を捨てて去れと言われれば旅に出て、今度は勝手に家を継がされて受け入れようとしている。
俺はエルと異世界に行くつもりなのに……それを継げば枷になるのは分かっているというのにだ。
格好悪い。 口説くのに、不適切だ。 そう思いながらも、否定しようとした声は少し掠れる。
「大丈夫ですよ」
「……大丈夫だろうか」
「僕と一緒に逃げたらいいだけですから、最悪でも」
「エルは…………やはりエルだな」
思わず笑ってしまう。 はは、と声に出せば、エルは不満そうに服の裾を掴んで上目で俺を睨む。
誤魔化すように頭を撫でて、もう一度抱き締める。
エルは……きっとダメな人間だ。
彼女の言っていることに偽りはなかった。
保身の為に嘘を吐いて人を騙す、なのに卑怯な人を嫌う二律背反で、臆病で人と関わるのが下手ですぐに逃げる、なのに俺が逃げたらすごく怒ると矛盾していて、人を許すのが下手だ。
母親のことを心配しているというのに、脅しに元の世界での自殺をほのめかしたり……きっと、ダメな人間だ。
俺のことを好きだと言うのに俺が不幸な目に合えば、より自分の物になると大喜びする酷い奴だ。
けれど、俺は知っている。 エルのことを。
怖い人でも、苦手な人でも、どんな人でも救いたいと思える優しい子で。 恐ろしいことでも、痛いことでも、どんなことにでも頑張れる強い子であることを、よく、身に染みるほどに、誰よりも、知っている。
「俺は、姑息で、我儘で、怖がりな君が好きだ。
怖くないから立ち向かえる人よりも、きっと怖くて仕方ないのに人のために立ち向かえる、君の方が勇気がある。
嘘を吐く必要がないほど正直な人よりも、きっと保身のために嘘だらけなのを告白出来る、君の方が誠実だ。
人は否定するかもしれない。 君は頷かないかもしれない。 俺はそう思う」
つらつらと吐き出した言葉。 エルは耳を真っ赤にして、無言で反応もしないように身体を固まらせながら聞いてくれていた。
「だから、エルは俺の憧れで、君のことを尊敬している」
彼女を抱いていた腕を降ろし、手を出し握る。
「……はい」
剣を拾ってから、恥ずかしそうに頷いたエルの手を引いて自室に戻る。
「お楽しみでしたね?」
からかってくる月城にエルは顔を赤らめてブンブンと首を横に振る。
「寝る用意をしていてくれ」
「ん、どうしたの?」
「父親と話をしてくる」
驚いたような表情をした月城を見る。 ぐっと親指を立てて、月城は俺に笑いかけた。
「頑張れ」
「ああ」
短い言葉だけど、充分だ。 扉を出て、ついてこようとしたエルを部屋に戻してから廊下を歩く。 巨大な魔力があることから、父親の居場所はすぐに分かる。
部屋を開けて、母親の写真を見ながら窓辺に立っている父親を見た。 父親も俺に気が付いたことだろうが、こちらに目を向けることもない。
「父親は……母親のことを好いていたんだな」
「……それがどうかしたか」
会話が続かない。 久々の親子の会話だと言うのに、挨拶よりも前に恋だとかの話を振るとは、どうかしていた。
気まずいながら、一歩近づいて父親の顔を見る。 思っているよりも幾分も老けている。 当たり前だ、しっかりと父親の顔を見たのはいつぶりのことだ。
化け物のような人間であっても、相応に歳を重ねる。
「……真面目な、女だった。 ひたむきな性格で。 出来もしない勉学を、延々とし続けていた」
「グラウから聞いた」
「最後まで私の物にはならなかった」
「そうか」
父親の顔が俺の方を向く。 そして、耳を疑うようなことを口走る。
「ルト。 お前の婚姻相手を決めた。 手紙を届けさせたから、近いうちに来るだろう」
「……は?」
婚姻相手? 俺が結婚する相手だと?
そんなことエル以外にあり得るはずがなく、否定しようとするが父親は俺を睨みながら続ける。
「……幼い童女のような女が好みなのだろう。 分家の中で、一番血の濃い女ではないが、お前が気にいる程度には幼いだろう」
「だから……何を言っている。 俺はエルと結婚している。 あいつ以外の女には興味がない」
「あれは、勇者だろう。 異世界の人間だ。 いつかいなくなる存在だ。 子を残さないとならないのに、あれに構っていられないだろう」
「あれと言うな。 斬るぞ。 ……そもそも俺はここを継ぐつもりはない。 レイがいるだろう」
「お前が継がないにせよ、血の濃い子は必要だ。 レイはお前よりも薄いだろう。 分家でもあれより濃いのは多くいる」
感情が冷めていくのを感じる。 ここまで馬鹿馬鹿しい、醜い人間だったのか。
「……あまりふざけるな」
「女を抱くだけだろう。 それが気に入らないなら、何人でも見繕ってやる」
「……不意に殺してしまうかもしれない。 黙れ」
「あれがその役をやれば問題はないがな。 勇者というのは、私達の血に近しいらしい」
一歩前に出る。
「ああ、月城とやらもいたな。 それでもーー」
頭の中の血管が切れる音、父親の後ろの壁を蹴り、打ち抜く。
風通しが良くなり、遅れて壁が地面に落ちる音を聞いた。
「……お前が母親にそうされたからと言って、俺が何故それをしなければならない。
八つ当たりか、正当化かは知らないが、どちらにせよ俺はお前の満足のための道具ではない」
次にふざけたことを抜かせば斬る。 そう言ってから部屋を出る。
まともに話が出来る相手ではない。




