鬼と讃えよ④
父親が立ち去る音を聞きながら、剣を振るう。
家督を継げということだろうか。 レイではなく俺に言ったのは、たまたまレイがこの場にいないからだろうか。
いくつもの魔力の反応が頭上に現れる。 次の瞬間に俺へと降り注ぐ。
父親の得意としていた、無属性の槍を大量に降らせる魔法であることにほんの少しの安堵を覚えながら、絞るように剣を握り込む。
身体を半歩下げ、下から上へと振り上げて一つ目の槍を破壊する。
同時に腕を捻り、身体を捩る。 グラウの教えてくれた技は、このような場であっても十分に有効だ。
高みへと朽ちゆく刃 二式 三式 変合 界破
俺に向かってきた槍は全て砕け、地面にガラスの破片のようにキラキラと落ちる。 ガラス片に似ているけれど、俺のそれとは違い、一つ一つが金剛石のような硬度を誇っている。 相変わらず化け物じみた魔力だ。
舌打ちの音が聞こえたように感じるが気のせいだろう。
続けて剣を振るい、剣の冴えを取り戻していく。
後ろから小さな足音が聞こえて、少しだけ荒れた息に聞き耳を立てる。
エルが後ろにいる。 振り向いて、彼女の愛おしい顔を見る。
いつか遠くに行ってしまうのではないか、いつも恐れていた。 俺の恐れがあるから、彼女は俺に嘘を言って安心させようとした。
大丈夫だ。 勝手にどこかに行くことはない。 彼女ほど優しく、義理を通そうとする人間なんてそうはいない。
「……エル、名前を教えてくれ」
ずっと言えなかった言葉が、自然と口に出た。
エルのことは知りたくて仕方ないのに、それだけは口に出来なかった。 聞けば、どこかに行ってしまわないか、不安で。
緊張はなかった。 淡い期待と、ただ彼女のことをよく知りたいだけだ。
彼女は驚いたような表情と、辛そうな表情をないまぜにしたような顔をして、困った風に口を開いた。
空気を伝わり、撫でるように聞こえる高い声。
「美佳です。 雨夜……美佳。 呼ばれたのなんて、十年以上前のことですけど」
思い出したように「あの時は、雨夜ではなくて海辺って苗字でしたけど」なんて、微笑みながら付け足す。
簡単なことだった。 ただ、知ればいいだけで、一言聞けばいい。 それだけのことがどうしても恐ろしく、辛く苦しいと思っていた。
「いい名前だな」
「……そうですか?」
「ああ、綺麗な名前だ。 君にぴったりで」
「……お母さんが、付けてくれたらしいです。 そっちのお母さんには会ったこと、ないですけど」
泣きそうな表情。 俺を見て、フラフラと歩き、俺に身体を預けるように傾ける。
俺は彼女の小さな身体を抱いて受け止める。 彼女の軽い身体、小さな肢体のどこに……これほど辛い思いが入りきるのか。 どうして耐えていれたのか、不思議で仕方ない。
こんなにも小さいのに、まだ幼いぐらいなのに。
「月並みだけれど、愛していたのだろう。 そう思う」
「……アキさんがそう言うと、本当にそうだっんじゃないかなって、気がします。 嘘、吐けなさそうですから」
暖かいけれど、やはり心細くなるほど、か弱い身体だ。 飛んで行きそうなほどだけれど、やっぱり大丈夫だと思う。
こんなにも暖かい。
俺の服の袖を縋るように掴んで、喘ぐようなくぐもった声を薄く漏らす。
「僕、そっちのお母さんのこと、知らないんです。 愛されたのかもしれないけど、知らないんです。 お父さんのこともほとんど覚えてないんです。 おばあちゃんのことも、ぜんぶ、ぜんせん、覚えてるなくて、もらいっぱなしです」
「……愛を与えると言うけれど、そんな表現は間違っていると思う。 大切だと思っている、そう思えるだけで幸せだ。 上手く言えないけれど、人を愛することは、愛したいと思わしてもらっているってことでーーーーああ、上手く言えない」
彼女の華奢な肩を抱き寄せて、慣れない理屈を吐き散らす。
「嫌いだったら。 自分の代わりに産み落とすなんてあり得ない。
ほとんど覚えていないけれど……レイのときもそうだった。 それは、与えているのではなく。 上手く言えないけれど……」
分かる。 分かっていても言葉になりきらない。 溢れるばかりの感情だけが先走る。
エルが俺の身体に手を回して、ぐずるように涙声を出す。
「もらいっぱなしで、いつも、いつも。 なのに……僕はなのに、それが嬉しくて……」
「違うんだ。 与えるとかではなくて……」
彼女の涙が服を湿らせて、俺の肌に触れる。
「愛させてくれて、ありがとう。 君を好きになれたことが、幸せだ」
えづくように、彼女はぐすぐすと泣く。
「……騙していました。 お母さんに好かれたくて」
「聞いた。 でも、君が愛されていたわけではなかった」
「……あなたを、騙そうとしてます。 気に入られたくて」
「気がついている。 君が好きだ」
「嘘吐きで、卑怯で、気が小さくて、気が短くて、胸もないし、身長もないし、ちんちくりんですし、ズルいですし、女の子っぽくないですし、好かれるところ、ないです。 あなたとの思い出も、ないんです」
「全部知っている。 変わらない」
彼女は頭を俺に擦り付けて、泣きながら言葉を紡ぐ。
「本物が帰ってきたら、僕は、お母さんからしたらいらない子なんです。 アキさんだって、僕よりいい子がいたら、いたら、いらないんです」
「君よりいい子は、君じゃない」
「……そんなに僕のことが好きなんですか?」
頷く代わりに抱き締める。 彼女も俺の背中に手をまわす。
「……酷いこと言ったから、怒ったのかと、思ったんです。 嫌われたかもって」
「酷いこと?」
「……戦争を止めるって言っておいて、それはだめだとか……。 好きじゃないとか……」
悔いるような言葉を聞いて、彼女の目を見る。
「美佳って、呼んでいいか?」
「……いいんですか?」
エルじゃなくても、そう続く言葉に頷く。
「呼び方はなんでもいい。 君が、辛くならなければ」
「……口説くの、上手ですね」
「愛してるといえば喜ぶぐらい簡単なだけだ」
「……嘘なら、喜ばないです。 軽くても」
美佳。 と、彼女の名前を呼ぶ。 嬉しそうに充血させた目を俺に向けて、はい。 と彼女は答えた。
……何となく、一つの時期が終わったのだと感じる。
子供ではないけれど、大人にもなりきれていなかった時期は、もう終わった。
剣を握りしめて、彼女の身体を支えて、地面にしっかりと立つ。
父親と、話をしよう。




