時計塔の街
街に入れば、日が暮れていて暗い街中でも多少の灯りがそこらかしこから漏れ出ている。
灯りはそこらにあるって、それは灯りは点いていない建造物なのに、それでも尚目立つ、天に聳えるように高く建つその時計塔。
仰々しいその姿を見上げ、いつかの記憶よりも人気が少ない道端で、静寂を乱すように大きく溜息を吐き出す。
来てしまった。
覚悟はしていたものの、気分が悪くなる。
この時計塔が正確に刻む時を見る度に焦燥し、魔法をひたすらに学んでいた。
そんな昔の話でもないが、エルが横にいるのに……嫌な思い出が薄れていないことが情けない。
「……エル」
手を横に伸ばしてエルの服を握る。
高い時計塔を見上げいたエルは少し不思議そうに俺の顔を見る。
怯えがバレてしまうかもしれないと思うが、出会った時からそれを気にするほど格好良く振る舞えてはいない。
何かに怯えた幼子が母を求めるようだと自嘲する、その握った手を離すことは出来ない。
エルが俺の手を握り返してくれ、いつの間にか荒れていた心臓が少しだけ落ち着く。
そんな時に遠くにいる人がこちらを眺めていることに気がつく。 酔っ払っているのか千鳥足でこちらに向かい、ある程度まで近くに来たかと思えば背を壁に押し付けて体制を崩しながらこちらを向く。
白髪混じりの赤髪、整えられていない口髭からは酒らしき液体が滴り落ちてみすぼらしさを強調する。
「この街は、初めてか」
エルは老人に差し掛かったほどの男の姿を目視して、気がつかれないように半歩だけずらして後ろに下がり、俺は一歩前に踏み出してエルを後ろにやる。
土汚れに食べカスや付けた服、それを軽く見ながら頷く。
「あの時計塔は、立派だろう。
だが、高くなればなるほど先細りで、高いなればなるほどみすぼらしく、高くなればなるほど朽ちゆくようだ」
初老の男は崩れ落ちるように壁にもたれ掛かりながら、座り込んだ。
ただの酔っ払いか。 そのまま寝始めた。
「風邪とか、大丈夫ですかね?」
エルは心配そうに男の顔を覗き込む。
「もう夏も近い。 酒飲み散らかしたりする金もあるみたいだし、ほっといても大丈夫だろう」
多分、と付け加えると、エルが俺が持っている荷物から自分の毛布を取り出して、浄化してから男に掛ける。
無駄使いではないかと少し思うが、まぁ仕方ないか。 それほど高いものでもないのでまた買い直せばいい。
先ほど怯えてエルの服を握っていたせいか、毛布を掛け終わるとエルは俺の手を握ってくれる。
柔らかいエルの手を握り返して、よく見知っている道を歩いて知る中で一番安い宿に向かう。
程なくして見つけたそこに入る。
入るともう夜なのに軽快な声が聞こえ、若い娘の受け付けが案内をしてくれる。
「いらっしゃーせー! お二人ですか?」
その言葉に頷く。
「じゃあ、二部屋にします? 一部屋にします? 一部屋ならダブルとツインがありますよ」
「ツインで、ベッドが二つある方でお願いします」
エルが即答し、俺が提示された金額を取り出して娘に渡す。
金に余裕があるというのは素晴らしいことだ。 このままだとあと数日の食費と宿代でなくなるけれど。
教えられた部屋に入り、エルと手を離して早速ベッドに倒れこむ。
何か嫌な匂いがして顔を顰める。
「エル、ベッド浄化してくれ」
立ち上がってエルの浄化を待ち、暗い部屋の中でピカピカ光ってるエルを見る。
一通り浄化し終えてから、エルが俺の方を見る。
「アキさん、この街で何かあったんですか?」
何で気がついた……なんて分からない訳がない。 俺の様子は明らかにおかしかったのだから。
吐き出せば楽になるだろうしエルが慰めてくれるのは分かっているが、隠すのは俺のすべきことだ。
「悪い。 言えないんだ」
エルは口を開こうとして、半端に開いた口を閉じて少し目を伏せる。
体制を寝るような形に変えて、暗い部屋の天井を眺める。
「アキさん。 ありがとう、ございます。
言えないってことを、言ってくれて」
ああ、言えないって言ってしまえば、簡単な予想を幾つか立てれるか。
そういうつもりはなかったが、エルなら詮索することはないだろう。
「もう寝る。エルも、早く寝ろよ」
「はい。 おやすみなさい」
目を閉じてみるが、何分経っても一向に寝れる気配がない。 軽く起きてエルの方を見てみると、もう寝ているように見える。
聞き耳を立てて息遣いを聞けば、寝息を吐いているのが分かる。
「エル、起きているか?」
エルからの返事はない。 暇つぶしに外の景色でも眺めてみようと思ったが、安宿のせいで窓はないのでエルを起こさないように足音を立てないように歩く。
黒装束の少女の歩き方は大したものだ。 あの少女ほどではないが、少ない足音で外に出る。
誰もいない廊下を歩き、受け付けをしている娘が眠そうに舟を漕いでいるのが見える。
宿から出て、散歩がてら懐かしいこの街を歩くことにする。
夜だからか、街の端だからか、あるいはいつ魔物が襲いかかってくるかも分からないという現状からか、俺以外に人影は見えず、流れる涙を止める必要も歪む表情を正す意味もない。
なのに、涙を流さず歪みそうになる表情を無理に直して前を向いて歩く。
俺が欲しかったものが溢れかえるほどある場所で、俺が欲しかったものが一つも手に入らなかった場所だ。
気がつくと、酔っ払いの男が寝ているところにきていた。 どうやら時計塔に背を向けて逃げるように歩いてきていたらしい。
男が寝返りを打とうとして壁に支えられていた頭がずり落ちて額を地面にぶつけた。
「ってぇ……」
目を覚ましたらしい男は、手で額を抑えながら倒れ切っていた体制を変えて座りこむ。
そこで自らにかかっていた毛布を足元へと退けながら、手を上に伸ばして身体を解す。
しばらくしてから俺に気がついたらしく、おっさんのくせに小首を傾げながら毛布を摘む。
「これ、お前がか?」
酔いは醒めているらしく、気狂いのような言動はなくなっている。
小さく横に首を横に振って男の言葉を否定する。
「いや、俺ではなく、俺の仲間が」
「あぁ、あの勇者の嬢ちゃんか」
何でもないようにおっさんは言う。 勇者はもうそこらで知られているのか。
それとも、このおっさんが特別なのか。
「……あぁ」
幾つか迷うが、知られているならば無駄に嘘を吐くより頷いた方がいいだろう。
「この街には、今日来たんだったな。 こんなところに……。 勇気があることだ。
素晴らしい、高みへと朽ちゆくことが出来る魂だ」
意味の分からない言葉を呟く。 「高みへと」「高みへと」。
まともかと思ったが、狂人であるらしい。 そう判断して踵を返して歩こうとすると、引き止められる。
「なぁ小僧。 名前は?」
振り向けば、おっさんは壁に寄りかかりながら立っていた。
名乗るべきかを考えるが、無視するのも気が引ける、
「アキレアだが」
エルから貰った名を名乗れば、おっさんは少し驚いた顔をしながら馬鹿にしたように笑う。
「あいつ、そんな名前付けたのか。 似合わねえ、似合わねえな。
だが、いい名だ、いい眼だ、いい心だ。 高みへと、朽ちゆける魂だ。 アキレア=エンブルク、お前は高みへと朽ちゆける」
一瞬、考える。 名乗ったか。 エンブルクという家名を。
名乗る訳がない。 名乗ることはありえない。
「お前、なんで……」
睨み付けるではなく、見据える。 敵であると判断して、先程のように男の眼を見るのではない。 身体全体を見通して、右足を半歩後ろに下げて、今すぐにでも戦えるように身体を動かす。
「あれ? なんか喧嘩腰?」
本当に不思議そうな顔をしている顔と、構えても構えない男の姿に毒気を抜かれる。
「あいつの息子だよな。 血紅鎧の」
父親、いや元父親の渾名が出され、確信していた訳ではないような口振り。
「お前は、何者だ?」
「あいつの、血紅鎧の……友達だな。 生き写しのように似てるから息子だと思ったが……。
あいつがそんな名前付ける訳もないか?」
ああ、そういうパターンでバレることもあるのか。 小さく息を吐く、父親の友人ならばまだなんとかなるだろう。
まだなんとかなるだろう。