救いたいと思うことをやめたくはない⑥
エルは小さく頭を下げて、俺の顔を伺う。
「……どうした?」
「いえ……このお家のことが少し気になって……」
周りを見ているエルは、幾度か見て頷く。
「……僕と一緒に家具とか揃えたんですか?」
「いや、一人だな。 一応。 どうしたんだ?」
エルは俺から目を逸らしてペタペタと色々な場所を触る。 同じ場所からは見えないような場所も見て回って、不思議そうに俺の顔を見つめる。
「……僕のお家と、似た間取りと家具の配置だなって。 電化製品はないですけど」
「ああ、それを参考にしているからな。 一緒に暮らすなら、エルの使いやすい配置の方がいいかと思って。 畳? は用意出来なかったが」
「なんか、居心地が良くて気持ち悪いです」
「じゃあ撤去する」
「しなくていいです。 ……その、アキレアさんの心遣いはありがたいのですが、甘やかされると変な気持ちになるというか。
嬉しいですけど、慣れていませんし、申し訳ないですから」
途中から目を逸らして、視線を合わさないようにしてそう言った。 好きでしていることだから気にするなと言っても本当に気にしなくなるはずもない。
肩の近くまで伸びているエルの髪が窓から差し込む光に照らされる。 まるで黒い宝石のように煌びやかに輝いている。
「この少女のためになりたい」そんな思いだけが先走っていることは理解していたけれど、抑えるのも一苦労かかるものだ。
「悪い」
「謝られることではないんですけど。 すみません、その、素直に受け取れなくて」
「いや、俺も分かっていたはずだが、以前と同じ感覚でしていた」
「……すみません。 忘れてしまって」
違う。 そこまでさせたのは俺だ。
そんな気持ちを知ってか知らずか、エルは俺の手を出し取って、ペタペタと触りながら俺の顔を見る。
「……その、そういう変に気を使うのも、直していきますから」
「無理にとは言わない」
「いえ、その……」
エルは頰を薄らと赤くしながら、脚を擦り合わせるようにしてもじもじと身体をよじる。 照れを隠すためのような行動だけれど、それを強調しているようになっていた。
「……お嫁さん願望みたいなのは、すごくあって……。 アキレアさんは優しいですし、本当に嫌ではなくて」
エルの言葉に、想いを受け入れられたと感じ、抱きしめようとし、避けられる。
「……べたべたされるのは苦手です。 僕のことは知っているのではないんですか?」
「いや、初耳だ。むしろエルの方から触ってきていたが……」
「……記憶にない僕は僕であって僕ではない、偽エルです」
「どちらも似たような性格だったが」
「……以前からシンデレラコンプレックスを拗らせてたので、割と納得出来たりもするんですけど。 理解は出来ても、心が付いていかないです」
言葉の意味が分からずに首を傾げるとエルが補足を入れてくれる。
「シンデレラコンプレックスは、お姫様願望みたいなのです。 いつか素敵な王子様が現状を変えてくれて、守ってもらえるみたいな……」
「……王子様ではないが、貴族ではある」
「そういう意味ではないです。 王子様は比喩みたいなものです。
その、話を聞いていたら、僕の願望をそのまま叶えているみたいな感じなんですけど。 ……記憶がなくなったせいか、圧倒的に唐突で訳わからないです。
王子様を待ってたら、王子様が転移してきて既に結婚していたのさ、みたいな……」
「かなりの強者だな」
「アキレアさんのことです」
エルはじっとりとした半目で俺を見る。 なんだろうと思いながら見つめ返すと照れたように目を背けられる。
「……覚えていないから、役割を果たさないってつもりはないですから。 安心してくださいって、ことです」
「それはエルにとってーー」
エルにとって、望んでいることではないだろう。
俺が話そうとした途中、家の扉が開いた。
「まだか? あ、もう掃除してないのか。 呼べよ。
そういや、雨夜の横のそいつは結局なんなんだ?」
「あ、すみません。 ……アキさんは、僕の夫です」
「ああ、夫か……夫?」
星矢はピッ、と指を伸ばし、空中を切るように指を動かす。
「夫」と文字を空中に書くようにして首を傾げる。
エルはそれに頷いた。
「マジか……。 いや、そりゃ一年もいればあることか。 なんかハーレム作ってた奴もいたしな。 にしても……雨夜が結婚……。 案外大人しいやつのほうが結婚早いパターンか」
エルがそう言ってくれたことは嬉しいけれど、どうにも腑に落ちない。 いや、腑に落ちないのではなく、納得しきれていない。
彼女は気にした様子もなく、たどたどしい言葉で俺の紹介をし、星矢は俺を見上げるようにして値踏みをする目を向けた。
「はー、なんかすげえな。 こっちに永住するつもりなのか? 俺も死に帰りするつもりはないけど、そういうのは作ってねえや」
「……まあ、そうですね」
エルに尋ねたいが、星矢がいる状況で話すことでもないだろう。
「……とりあえず、情報交換をするにしても他の勇者がいた方がいいよな」
「ん、近くに別のもいるのか? アキレア」
「ああ、月城とロトがいるはずだ。 確か、月城は知り合いだろう」
「月城って、あいつ? マジか。 今日は同じ学校のによく会うな」
星矢は口元を緩ませて、分かりやすい笑みを浮かべる。
「懐かしいな。 あいつのペンギンのせいで引き込まれてな」
「ああ、ペンギンって鳴く謎の鳥か」
「普通はペンギンとは鳴かないけどな。マジかー、近くにいるのか?」
「俺の実家だ。 今から行く予定だった」
「んじゃ、俺も行くか。 つか、掃除は後にしとけよ」
「エルが歩き疲れてるから、休んでからな」
「ん、大丈夫ですよ」
ほとんど休めていないだろう。 そう思ったが、星矢が急かす上にエルも立ち上がって行く用意を始めてしまったので、仕方なく続いて立ち上がる。
「無理はするなよ? しんどければすぐに背負うからな」
「子供みたいなんで嫌です」
エルは軽く口元を尖らせながら首を振る。 それを見て星矢が茶化すように笑う。
「背が低かったり童顔なやつって子供扱いとかに敏感だよな」
「……」
エルはムッと顔を顰めるけれど、気が弱く口には出来ないらしく、俺の後ろに隠れる。
こういう時に隠れるのは以前と同じようだが、どうにも喜ぶに喜べない。
家を出て、エルは俺の斜め後ろを歩く。 ……エルの妻イメージがこうなのだろうか。 目を離すと攫われるかもしれないので、どうしても不安で落ち着かない。
三人無言で歩く。 気の弱いエルは勿論、星矢もよく知らない二人と仲良く話すこともないのだろう。 俺にしても話しかけられるなりしなければ話そうとも思わない。
エルに聞きたいことはあるが、人のいるところで聞くことではない。
ーーーーエルが言った「妻の役割を果たす」。それはエルが母親の望んだ「雨夜 樹」をしていたのと同じように、俺が望む「エル=エンブルク」を演じるということなのではないのか。
俺の理想を押し付けて、同じように苦しめてしまうのではないのか。
いや、もう現状……エルにエルを押し付けてしまい、苦しめているのかもしれない。
思えばーー俺は、エルの昔の名前を知らない。




