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健やかなる時も⑥

 口を開いて、何も言えずに閉じる。

 ただエルを手放したくないだけの衝動的な行動だった。 何を言えば良いのか、何と言えば許されるのか、分かりもしなかった。


「……その、記憶を失う前も、こんな風だったんですか?」

「……まぁ、そうかもしれない。 俺はいつも、ダメで」

「……ごめんなさい。 僕には、分からないです。 起きたら突然妻とか言われて、連れ去られて……分からないです。 お母さんに、会いたいです。 お母さん、お母さん……」


 ぐすぐすと涙で顔を汚しているエルに手を伸ばし、びくりと震えた彼女を見てその手が止まる。

 触れることも難しく、隣のベッドに横たわった。


 なんでこんなに上手くいかない。 でも、エルは俺の物だ。


「……俺は……エルのことを、死んだ息子の名前で呼ぶような母親よりか、エルを大切にする」

「……お母さんの悪口、言わないで……ください」


 泊まった部屋に窓が一つあることを確認し、立ち上がって窓の作りを見る。 開閉するものではないので、ここから出ようとしたらガラスを割る必要がある。

 扉の前に行き扉を背にして座り込む。 冷たい床と扉が身体を少しだけ冷やす。


 俺の行動を見て、エルは怯えたような眼を向ける。


「……エル、怖がらないでくれ」


 返事はない。 嫌われた、怯えられたのだろう。 でも、近くにいるだけ余程マシだ。 ……でも、エルが嫌がっている。


 扉の前から離れることが出来ない。 情けない。


 ……これからどうやって金を稼ごう。 しばらくは手持ちの金銭があるが、そう長いことは保たないだろう。

 魔物を狩るのはエルに危険が及ぶ。 普通の仕事では見ていない間にエルが逃げる可能性がある。


 今まではエルの言う通りにしていたらどうにでもなっていたが、今は聞ける状況ではない。

 何か翻訳業をするにしても、ただ言葉を訳してもどうにもならないことは知っている。


 エルが疲れた表情で俺を見ていて、とりあえずエルが眠るまでは起きていることにする。


「……なんでそこに、いるんですか?」


 答えにくいが、エルの言葉を無視することは出来ず目を逸らしながら口を開く。


「逃げられないように」

「……逃げない、です。 靴もありませんから」

「……悪い。 明日買いに行こう」

「……本当に、逃げないですよ?」


 きっと嘘ではないだろう。 嘘ではないはずだ。 分かっている。 エルはそんな嘘を吐かない。

 けれど、俺は扉から離れることが出来ないでいる。 理由は、思考よりも前に口から吐き出された。


「嘘、吐いただろう。 一緒にいてくれると、言っていたのに」


 エルは口を噤む。 卑怯だ。 覚えていないことが分かりきっていることで攻めるのは。

 それに、こんな風にエルが泣きそうな顔をして謝ることも分かりきっていた。


「……悪い」

「……いえ、すみません……。 その……あの……」


 卑怯なことをしている。 ただ意味なくエルを傷つけていて、言ったことを後悔する。

 以前ならどうやって謝ったか、慰めたか。

 軽く抱き寄せたら、顔を惚けさせて機嫌を直していた。 今はどうだろうかと思うと、触れば怖がるだけだろう。


 まともな人間関係など築いていないから、謝り方も分からない。


「……エル、好きだ」


 エルは怯えたように頷く。 知らない男に連れ去られて、好きだと言われても恐ろしいだけか。


「あの、なんで……僕なんかを、そんなに……好かれるような人間じゃないのは、分かってます。 卑怯で、性格も悪いです、身体もちんちくりんです」

「……すっかり、騙されていた。 ずっと一緒にいたのに」

「……すみ、ません」

「ごめん、気付いてやれなくて。 近くにいたのに、嘘に気付けなくて……エルを傷つけた。 俺は……守れなかった」

「……分かんない、です。 なんで謝るのか」

「守ると、約束してたから」


 エルは申し訳なさそうに顔を伏せる。


「俺がエルを好きになったのは……分からない。 気がついたときには、片時でも離れるのが、酷く苦痛になっていた」

「……そう、ですか」


 引いているのだろうか。 怯えているのだろうか。 エルはぎゅっと布団を引き寄せて身体を包んだ。


「エルは……嘘を吐いたんだ。

地球、日本に一緒に帰る方法があるから、一緒に頑張ろうと」

「……」

「嘘だった。 一緒に行くことは出来ない」

「……僕は、なんで……そんな嘘を」

「いつか離れ離れになってしまうと思われたら、離れられると思ったらしい」

「……僕は、また、嘘を吐いていたんです……ね……。 それで、辛くなって」

「幸せだった。 そう言ってくれた」

「幸せ……?」

「俺を思うままに動かせたから、嬉しかったと」

「……ごめんなさい」

「いや、それを聞いて、俺も嬉しかったんだ。 少しでもエルを喜ばせることが出来ていたんだな、と。 エルは苦しんでいたのに」

「……自業自得ですよ」

「気がついてやれていたら、苦しめることはなかった」

「嘘を吐かなかったら、良かったんです」


 エルは俺の方を見て、瞼をパチクリと動かす。 その様子を不思議に思っていたら、服に水滴が落ちた。


「ごめん、なさい……その、泣くほど、嫌なことを言ってしまって……」

「あ……いや、これは……」


 嫌だった訳ではない、むしろーー。


「記憶を失っても、エルはエルだと思ったら、嬉しくなって」

「……変な人です」


 エルは俺の方を見ながら、言葉を続ける。


「誘拐した怖い人なのに、変に優しくて、僕のことに精一杯で」

「……もう寝た方がいい」

「逃げませんよ。 僕は。 こんなに弱ってる人を置いて、どこかに行ったり、出来ないです」

「……相変わらず、弱いと思えば強気だな」


 エルは怯えながらも俺を見る。


「大丈夫だ。 エルが不安なら、夜、俺はエルに近寄らない」

「……はい」


 やはり、怖いことには変わらないだろう。 エルは怖がりだから。

 エルが目を閉じて寝息を立て始めたのを聞いて俺も目を閉じる。 一緒にいれて、幸せだ。


◇◆◇◆◇◆◇


 エルに逃げられる夢を見て目を覚ます。

 吐きそうになりながら息を直し、エルがいることを確認する。


「あの……アキレアさん……大丈夫、ですか?」

「エル……おはよう」

「あ、お、おはよう、ございます」


 頷く。 思ったよりも身体が冷えていないと思ったら、身体に布団が掛けられていた。 エルを見ると申し訳なさそうに頭を下げる。


「ごめんなさい……その、寒そうに見えたので……」

「……いや、ありがとう」


 思えば、なんで布団があるのに初めから掛けていなかったのか。 エルに掛けてもらえることを期待していたのだとしたら、情けない。

 けれど非常に嬉しくて涙を流しそうになる。


「……あの、なんで、僕を攫ったんですか? その、夫婦、だったんですよね……」

「もしもエルが俺を嫌がったら、他の人間がいたら引き剥がされるかもしれない。 だから、攫った」

「……今までの生活とか、あったんじゃないんですか?」

「エルがいたら他はどうでもいい」

「……そんなに好かれている理由、分からないです」


 エルは手を振るって、不思議そうに首を傾げる。


「どうかしたか?」

「あ、いえ、なんで突然手を振ったのか分からなくて。 自分のことなのに……」

「エルはいつも能力と魔法で身嗜みを整えていたから、その癖だろう。 ……記憶がなくても残っているんだな」

「あ、そうか、能力がありました」


 エルはクリーンで自分の身体を浄化する。 見てみれば、エルの髪の毛は長らく切っていないために伸びっぱなしになっていて胸の近くまできていて、少しボサボサとしている。

 それに手足も痩せ細っていて、顔色も悪い。


 あんなところにいたまま、放置されていたのだから当然か。 よく生き残ってくれたぐらいだ。


「……いきなり動くのは身体に悪いだろう。 すぐに追いつかれることはないだろうから、しばらくこの街に滞在しよう。

靴を買ってから食事をする」

「はい。 ……あの、どうやって街中を歩けば……」

「前なら俺が背負っていたが……」


 エルを見ると首を横に振った。


「大きさは合わないだろうが俺の靴を履けばいい」

「アキレアさんのが、なくなります」

「ガラス片ぐらいなら踏んでも怪我をしないから大丈夫だ。 俺が靴を履くのは実利のためではなく、履かないと目立つからだけだ」

「異世界の人って、すごいんですね……」


 少しエルが怖がっていない気がする。 ……先程の手の振り癖もあり、完全に記憶がなくなりきっている訳ではないのだろうかと淡い期待を抱いてしまった。


 馬鹿なやつだと、自嘲する。

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