健やかなる時も①
「ごめんなさい、ごめんなさい」
白い光に蝕まれる少女は、大きな目から零れ出すように涙を流していた。
俺と生きるために吐いていた嘘。 それは彼女のことを蝕む毒のようで、エルはそれに犯されていたらしい。
濡れた手で、俺の抱擁をいやいやと駄々こねるように引き離して、エルの身体は光に還るように消えていく。
あるいは、この瞬間に彼女のことを抱き締められたら。 許すと一言でも口に出来たら、結果は違っただろうか。
華奢な身体が白に消えて、悲惨な泣き顔が俺を見ていた。
彼女の真っ赤な目は、大きな瞳は、この世界のどんなものよりも美しく。 呼吸や思考すら奪われるほど、彼女は美しかった。
ああ、美しかった。 どうしようもないほど。
だから、抱き締めることも出来ずに立ち竦んで、彼女が消える姿を見続けてしまった。
◆◆◆◆◆◆
目の前から消えてしまった。
いなくなった、突然。 愛する人が、何者よりも大切な彼女が。
彼女は優しかった。 優しすぎた。 人に優しかった、自分に厳しかった。
嘘なんてどうでもよかったから、ただ俺は君といたかっただけで、君さえいたら後はどうでもよかった。
瑣末なことだ。
本当に小さなことでしかない。 世界も異世界も、勇者も魔王も、人も魔物も、俺だって、エルの大切さに比べれば……ゴミでしかない。
何が彼女を追い詰めた。 俺だ。
俺が彼女を追い詰めた。
彼女に、多くのものを求めた。
愛と共に、色々なことを言った。 可愛い、美しい、優しい、いい子、素晴らしい、女神、天使、美女、清廉、貞淑、勇敢、思いやりがある……。
そんな俺の言葉に、彼女はこう思ったに違いない。
「そんな僕だったら、愛してもらえるのかな」
エルと出会ってすぐの頃。 彼女が母に愛されていないことを知った。 彼女が愛されたいと思っていることはとっくの昔に知っていた。
嘘も吐くはずだ。 彼女に唯一、愛していると言った俺が離れることを考えれば、嘘を吐かずにいられなかったのだろう。
吐き出した吐息は、エルのいない世界に消えていく。
そんなところで、ロトが俺に話しかけた。
「とりあえず、アキレア。 方法はある……と思う」
わざわざ探してくれたのか。 ありがたいな。
そんなことを考えて、ロトに着いて行きながら、ロトに尋ねる。
「なあ、エルって可愛いよな」
「ん、ああ、可愛らしい子だな」
「美しいと思うか?」
「いや……まぁ整ってるとは思うし、人形みたいだとは思うけど」
「勇敢だとは」
「ビビリだろ」
「いい子」
「まぁそうなんじゃね」
「素晴らしい」
「リアナの方がいいよ」
「貞淑」
「なんだかんだ言ってあって一年とかで結婚してるし、日本人的にはスピード婚だな。 あー、でも、ずっと一緒にいるの考えたら時間的には普通なのか?」
「美女」
「美少女とかだろ。 見た目的に」
軽くため息を吐き出してから、頭を壁にぶつける。
「俺は……エルに求めすぎた」
「知らねえけど。 悪いところがあるなら、直せばいいだけだろ」
「ああ、そうだな」
新しく買った家ではなく、エンブルク家の実家に連れられてきて、その一室に通された。
そこには先程もいたような気のする、赤目と赤黒い髪の背の低い女がいて、薄くほほえんでいた。
「……お久しぶりです」
「さっき会ったよな」
微妙そうな表情をした女は、俺の方を見て頬を掻く。
「自分の名前って、分かりますか?」
「ああ、自己紹介がまだだったな。 アキレアだ。 よろしく頼む」
「……そっか。 うん。私はイチカ=ラジーニ。
早速、救出作戦を伝えると……まぁ、方法は一つしかないよね。 同じところに入ってもらうの」
本当に手短だが、今はそれがありがたい。 エルにどれだけ待たせてしまったのだろうか。 早く、早くと焦る心が心臓を鳴らす。
「まぁ、こっちに残ってるエルちゃんの能力の籠った聖石を使うってことだな。 入り方はアキレアの方がよく分かってるだろ?」
エルの神聖浄化は、汚れを消す能力だ。 汚れと判断されるには、エルに嫌われる必要があるが、それが出来るならどうにでもなる。
つまり、汚れと既に判断されている物になるしか方法はない。
「……死んで、瘴気になる?」
「ああ。 すぐにするなら、それしか手はないな。
正確には、生体から瘴気だけを取り出して、薄めてから聖石に取り込ませる。
異空間に繋がる能力とか魔法を探すって手もあるし、そっちの方がよほど身の危険はないだろうな」
「……だいたい分かった」
ロトは首を横に振ってから、エルのエリクシルを懐から取り出して机の上に置いた。
「まず、瘴気になった時点で自我を保っていられるか不明だ。
濃い状態では消されないから薄めないといけないが、薄めたら元に戻れるか不明だ。
中に入れたとして、同一の場所かどうか不明だ。
中に入れたとして、アキレアの瘴気が他のものと混じる可能性は高い。
中に入れたとして、エルちゃんが生きてるか不明だ。
中に入れたとして、エルちゃんを連れて帰れるか不明だ。
ぶっちゃけ、マジで殆んどただの自殺だな」
俺は頷いてロトの顔を見る。
「おーけー。 まぁ分かりきってた答えだ」
ロトは隣にいるイチカという女に微笑みを向けてから、俺の身体に手を当てる
ロトが口にしたのは、結構前に聞いた瘴気魔法の詠唱だった。
「恨めよ。 アキレア。
『咎人共を縛る、愚かなる鎖から解き放て。』 階級漸減」
体から力が抜け落ちて、意識が薄れる。 あ? 俺?だれ?あれ???。
?????あ?。 ??。 ???ん????。???……え????え???る??????……??ぇ???
◆◆◆◆◆◆
アキレアの体がばたりと床に伏して、赤黒い髮から色が抜け落ちるように聖石の中に移動していく。
金髪に変わったアキレアの身体……いや、抜け殻と呼んだ方がいいだろう物を持ち上げて、適当に用意しておいたベッドに放り込む。
イチカが保存するために治癒魔法を掛けている間に、開きっぱなしになっている眼を閉じさせる。
「こいつ、元は金髪蒼眼だったんだな」
元の世界ではあり得ない変化に感嘆してから、友人を手に掛けたことを思って、罪悪から息を吐き出す。
まだ、殺したと決まったわけではないが。
「……イチカ、なんか知り合いだったみたいだけど。 もしかしてアキレアが雨夜樹だったりした?」
もしそうなら、イチカではなくアキレアとエルちゃんの味方をするが。 同郷と友人のよしみで。
そん時はイチカを慰めて雨夜樹から寝取ろう。
「いえ、違う人ですよ。 古い知り合いではありましたが」
「あ、そうなのか。 よかった。
実は微妙に心配してた」
……というか、知り合いではあったのか。 アキレアの前世的な奴と。
「……あの、友達だったんですよね」
「ああ、そうだな。 この世界にきて、初めての友人。
色々旅したり、喧嘩したり、戦ったり。 気が合うわけでもねえのに、友達だよ」
イチカはアキレアの抜け殻に軽い治癒魔法を掛けながら、俺に言う。
「こんなの、ただの自殺じゃないですか。 本当に成功するなら、この世の人間に死なんて訪れませんよ」
「そうかもなー。 これで復活出来たら、治癒魔法どころか、蘇生魔法も作れるな」
「何を軽く……!!」
イチカは怒ったように俺を睨んで、失望したような眼を向ける。
「軽く考えているように、見えるのか? 俺が」
握った手から血が滴り落ちて、床を汚す。 冷静になれていないことに気がついて、イチカに治癒魔法を掛けられながら、机に突っ伏した。
突っ伏しながら、話しにくい体勢のままイチカに言う。
「俺は……軽くなんて考えれねえけどよ。 イチカは軽く考えとけよ」
「さっき会ったばかりだからですか? それとも、人ではないから」
ため息を吐き出して、馬鹿にしたように言ってやる。
「似てると思わないか?」
「何が、ですか?」
「瘴気を薄めて聖石の中に入ってから元に戻るのを期待するのと。 瘴気を散らして女神に見つからないようにすんの」
どんな表情をしているのか分からないけど、治癒が終わってないのに治癒魔法が止められて、妙に手の傷がむずかゆい。
「お前は元に戻るのを信じて、雨夜樹を送り出したんだろ?
んなら、同じ状態なら、アキレアも戻ってくる。 な?」
「……でも、千年も、イツキさんは」
「もう戻ってこないのか?」
見なくても分かるほど首を横に振って否定する。
「お前の幸せのカンニングと行こうぜ。
大丈夫だ。 アキレアは戻ってくる。
心配と不安と絶望で頭おかしくなりそうで、ほとんど殺したみたいな罪悪感で押し潰されそうな俺が、絶対って保証してやる」
顔を上げて笑い掛けてやれば、イチカはどうしようもなく、悲惨で泣きそうな顔、そんな顔で笑った。
「えへへ、全然……信用出来ないじゃないですか、それ。 バッカみたいです」
「惚れたか?」
「ケンさん、情けなさすぎて……好きになっちゃいそうですよ」
へらへらと笑って、ベッドにいるアキレアを見る。 死ぬなよ。




