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雨は降り続いている⑥

 少女の小さな身体は冷え切っている。 その身体を出来る限り温めようと抱き締めるも、俺の身体も冷えていた。

 寝息が不規則に聞こえる。 随分と辛そうだが、目を開けることもない。

 それほどに疲れ切っているのか。


 手を強く握り締める。 手の中に血が滲み出すが、気にもならずに頭を掻き毟る。

 俺は何をしているんだ。

 また、エルに辛い思いをさせてしまった。 ずっとだ。


 愛しているから許してくれ、なんて言う資格はないだろう。 俺はエルを愛するだけの資格があるのだろうか。

 結局のところ、独り善がりばかりで、あまりに愚かしい限りだ。


 エルと日本に向かうまで、あとどれほどの魔物を倒せばいいのだろうか。 妙に水捌けの悪い地面に手を当てる。


「こんなに雨が振る場所なのに、木は生えていないのか」


 少しだけ不思議に思う。 多少海に近い場所にあるのも確かだが、潮風にやられるほどの距離でもない。

 濡れた草とぬかるんだ地面の下に、何か違和を覚えて地面に剣を突き刺してみるが、普通に土だ。

 もっと奥に何かがあるのだろうか。 例えば、平たくデカい岩がすぐ下にあれば、水捌けは悪いだろうし、木も生え育ちにくいだろう。


 そんなことを思いながら、息を吐き出す。 エルの魔力が回復してきたのを感じた頃に、エルは薄らと目を開けて、トントン、と俺とエルの服を摘んで魔法を発動させた。

 服が乾いていき、エルは息を吐き出してから目を閉じた。 乾いた上着を寝ているエルの上に掛ける。


 エルの身体も暖かくなったころに、俺も目を閉じる。 少し、寝よう。



◆◆◆◆◆



 目が覚めた時。 俺は赤黒い髪と、赤い目をしていた。

 水面に映った顔付きは雨夜 樹のものとも、ルト=エンブルクのものとも違って、少し不思議に思った。


 ああ、これは神に至る過程か。 何度も雨夜 樹が、生を繰り返す過程の一つ、一人の人生か。

 魔王が討伐された後の平和な世界。 そこに住む、一人の男だった。

 空虚な人生だった。 いつしか気が付いた、もう一人の自分に従って、そして死んだ。


 次の雨夜 樹は女性だった。

 葛藤に塗れた人生だった。 自身の内側にいるそれに気が付きながら、自分を保った。

 戦の前線に立ちながら、人を殺すことに戸惑いを覚えた女だ。 若くして死んだ。


 その次は普通の男だった。

 本当に普通の男で、人並みに悩み人並みに生きた。

 雨夜樹のことには気が付きもしなかったように、普通に過ごしていた。

 もしかしたら彼が一番心が強かったのかもしれない。


 人の人生は終わっていく。 雨夜樹の思いだけはつながっていく。

 死にたい。 死にたい。 そう叫ぶように、雨夜樹を殺してやりたい。


 最後に見た子供は、空虚な子供だった。

 だが、彼の人生はある時をもって、色づいた。


「……優しくて、勇敢で、いい人で。

とても綺麗な、人ですから」


 小さな少女は、ほんの少しだけ怯えを見せながら俺を見る。 けれど確かに少女は言った。


「貴方は、アキレアです」



◆◆◆◆◆


 目を開けると、エルが微笑んでいた。

 元気なのかと思ったが、見れば顔は赤らみ、息は荒かった。 それは欲情ではないが、目はトロリと俺を見ている。


「エル……大丈夫か」

「んぅ、大丈夫ですよ。 おはようございます、アキさん」


 大丈夫ではないだろう。 エルが素直に弱っているなんて言うはずもなかった。

 軽く手をエルの首元、頬、額と触り熱をみる。 明らかに普段より高い温度に顔を顰める。


「熱があるな」

「いひひ、アキさんに抱かれてたら、熱くもなりますよ」


 つまらない軽口を叩く余裕があるフリか。 いつもは言わない冗談で誤魔化されるはずもなかった。


「悪い」

「……すみません。 熱なんて、出して」

「休もう。 今日は」


 俺がそう言うと、エルは首を横に振る。


「治癒魔法があるので、大丈夫です」

「浄化が使えないなら、その場凌ぎになるだろ。

雨はまだ振っているぞ。 魔力が足りなくなる」

「それでも、死にはしません。 魔力もギリギリ足ります。

眷属を少しでも減らさないと……。 あるいは、刃人の王を倒さないと、食料がないですから」


 大勢の命なんか、どうでもいいだろう。 エルの前ではそういうことが出来ずに、俺は顔を伏せた。


「一人でいく」

「僕がいないと、回復出来ないじゃないですか」

「あれぐらいの相手なら逃げ帰るのは容易だ。 エルがいた方がいいには決まっているが、仕方ないだろう」


 焦燥感と罪悪感に駆られて、剣を振るった。 壁を切り開いて、外に出る。

 まだ雨は続いている。 ぬかるんだ地面に足を付けて振り返る。


「いってらっしゃいって、言ってくれないか?」

「言いませんよ。 ……僕も行きます」


 どうしたらいいのか分からない。 何て言葉を掛けたら安全な場所で大人しくしてくれるのか。

 そう思っていると、髪を雨に濡らしたエルが小さく笑みをこぼした。


「世界で一番安全な場所は、アキさんの隣ですから」


 月並みな言葉だ。 俺はエルの身体を軽く抱き寄せながら歩く。

 確かにーーエルを穴倉に放って置くよりかは、よほど気が楽だ。 体調のことさえ考えなければの話だが。

 剣は既に抜き身のままにしている。 敵が多い中で抜いたり納めたりは面倒だ。


「いつも思う。 俺は非力だ」

「知ってますよ。 そんなことぐらい」

「なら、安全な場所とは言えないだろう」

「言えますよ。 自信を持って」


 もう少しだけ、剣が長ければ敵からエルを遠ざけられるのだろうか。 確かそういう魔法があったなーーと思い、実践してみるが、結果はシールドになるだけだ。


「この前、賢者さんから聞きました。 魔力の性質は精神と深い関わりがあるそうです。

アキさんのそれは、世界で一番、アキさんが優しいという証明だと思うんです」


 ああ、そんなことを話していたことを思い出した。 そう言われると少しだけ思いが軽くなる。

 俺がエルを守ることを誓う証のように思えたからだ。


 あれが本当ならば、エルはどうなのだろう。

 エルが得意としているのは闇の魔法と、光の魔法だ。

 確か、闇属性が排他的で人と離れたがって、光属性が利他的で人とつるむのが好きーーだったか。

 エルは人を離したがるが関わりたいと思っていて、けれど人を優先する。 なんて損な性質だ。


 自分のために動いてくれ。 もっと我儘でいてくれーーなどと、損ばかりのエルに惚れた俺が言えるはずもなかった。

 極限に近い状況の中でやっと気が付く。


 俺はエルの損ばかりする性質に惚れたんだ。 やせ細った身体に何も持たないエルが、世界を救うために一人で旅立つと言ったあの日、助けてやりたいと思った。


「俺は、君を守るためだけの盾でありたい」


 エルは申し訳なさそうに微笑んで俺の顔を見た。


「いつも守られてますよ。

本当に嬉しくて、堪らないんです。 アキさんのことが好きで堪らなくて」


 エルは俺に手を伸ばし、抱き締めた。


「ごめんなさい。 ずっとずっとずっとーー嘘を吐いていました。

大好きなアキさんに、卑怯な嘘を」

「エルが俺を恨んでいたとしても構わない。 雨夜 樹、俺はエルを不幸にした。

もし嫌いだと言われても絶対に守る。 それは変わらない」


 エルは首を横に振った。 違うという意思表示に少しだけ戸惑いながらエルを見る。


「ーーないんです」


 ーー今、エルはなんて言った。 意味が分からず、エルの顔をじっと見つめた。


「本当は、ないんです。 アキさんを日本に連れて帰る方法、分かってないんです」


 エルは泣いている。 意味が分からなかった。 エルは出来ると言っていたじゃないか。


「ーーだって、一緒に帰れるってことにしないと、絶対いつか離れるってことがバレたらーーアキさんが、離れていってしまうってーー」


 エルの身体が光に犯されるように、白く奪われていく。 ーー神聖浄化(クリーン)


「ごめんなさい、ごめんなさい」


 エルの洗脳魔法が限界を迎えた。 消費魔力が回復していく魔力量を越え、自身を汚れたものとする心が表層に現れた。



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