雨は降り続いている③
人の気がない村を見つけた。
獣道のようなものを見つけて歩いて行ってみたものの、人はいなかった。
「……食料もないですね」
エルは安堵したような声を吐き出した。
「そうだな、良かった」
「いひひ」
少なくとも、ここで殺される前に逃げ出したのだろう。 他にも目ぼしいものはなく、雨宿りにしかならなさそうだ。
エルに合わせて言ったはいいが、せっかくなら色々あった方が良かった。 嫌われたくないので言いはしないが。
「……アキさん。 今からでも、帰りませんか?」
「帰ることは出来ない。 一緒に戦わないと」
そうしないと、きっとエルがエルを愛せない。
「……はい。 行きましょう」
「ああ」
鬱陶しい雨の中、廃村から出た。 エルの顔色は暗い。
寒さのせいだろうか。 小さな少女の体を抱き寄せる。
薄い笑みを浮かべて、俺の身体にぺたりと身体を付けた。
悲しそうにエルは俺の顔を見た。
また間違えてしまったのだろうか。 今からでも撤回して戻るべきなのだろうか。
「行きましょう、アキさん」
「……ああ、行こう」
グラウの魔石剣に手を添えた。 物陰から迫ってきた虫型の魔物を引き裂いて鞘に収める。
魔物と戦う頻度も増えてきた。 ゆっくりと過ごせるのは今だけかもしれない。
少し屈みこんで、エルの唇に唇を押し付ける。 冷たい。
歩いている内に見たこともない魔物の姿が見えた。
「……ついに、ですね」
やっと目的の魔物の一端を見れたというのにエルの声は暗い。
「ああ」
腐臭のする肉体に鎧を纏い、虚ろな目を持って剣を構えている。
醜い。 元の人間だったであろう生物を思えば思うほどに拒否感と忌避感が強まる。
漏れ出る呻き声は怨みを思わせ、腐った脚を動かしながら向かってくる。
エルには見せたくないものだ。 一歩踏み込む。
「……斬る」
一飛びで近寄り、不快な呻き声ごと縦に斬り裂いて、その勢いで飛散した肉片を浴びる前に地面を蹴って後ろに戻った。
いつも欠かさずに聞こえていたエルの労いの言葉はない。 ただジッと俺の身体を抱き締めて震えていた。
恐怖となるような魔物はもういないはずで、考えられるのは寒さのせいか。
「寒いのか?」
「……はい」
一瞬だけエルの言葉は止まり、俺の身体に付きながら顔を蒼白くさせている。
「体調が悪いなら、止まるか」
「……アキさんは大丈夫なんですよね。 行きましょう」
「いや、エルの体調が悪いなら……」
「行きましょう」
有無を言わせない言葉。 渋々ではあるが、従って歩く。 先の刃人の王の眷属を皮切りにしたように、普通の魔物は減り、その代わりに眷属が出始めてきた。
眷属は何故かエルが怖がるので、エルに近寄らせるよりも前に近寄り斬り裂く。 手足をを斬り飛ばした程度では弱った様子も見せないので、魔石を中心に狙っていく。
恐怖の源が消えているはずなのに、エルの顔は晴れはしない。
「……行きましょう」
何もないところでエルは立ち止まり、そう言った。
「ああ」
ピリと肌を刺す感覚のする方向へと歩けば歩くほど、眷属の数は増えていく。
赤子ほどの大きさの眷属が、地面を這って向かってきている。
今までの眷属のような武器も鎧もなく、腐り崩れた身体を無茶苦茶に動かしながら。 もしかすると、眷属の武器や防具は生前の持ち物なのかもしれない。 身体も生前の人間の物らしい。
「あ……」
エルは青白い顔を背けながら、手を振った。 魔力を感じられない白い光が波のように眷属へと迫りーー。
「嫌だ! 嫌だ、嫌だ嫌だ!」
眷属はその存在が始めからなかったように、姿を消した。
その光景に薄い既視感を覚える。 確かあの光、エルが嫌う物を消す力はーー
「ーー神聖浄化?」
驚いて振り返ると、エルの振るった腕が消えていた。 エルの肩の根元から、神聖浄化の光がエルの身体を侵食するように広がっていく。
エルの身体を抱き締めて、声を掛けようとする前に、エルの残った手がエルの顔を掴み、魔法を発動させた。
「…………ッ! すみません大丈夫です」
黒い靄がエルの頭の中に入り込み、穏和な笑みを浮かべたエルは腕を生やしながら息を吐き出した。
「いや、大丈夫というかーー」
大丈夫では、なかったんだろう。 無理矢理に大丈夫にしただけで。
闇属性、洗脳魔法。 エルはそれで……自分の何を弄った。
俺は、何をさせてしまった。
「行きましょう、アキさん」
まだ戦場から離れられていない中、降り続いた雨が身体を濡らす中で、エルは微笑んだ。
俺はどうしたらいいのだろうか。 考えが、頭の中が揺れる。
戦場で少女は微笑んだ。
「……エル。 今、何を操ったんだ。
どうやって、自己嫌悪から逃れた」
「どうやってって……普通に、怯えを消したのと自分のことを認めさせただけですよ?」
「……そうか」
そんなに単純なことなのだろうか。
俺には分からないーーが、分からないで済まし良いことではないだろう。
「行きましょうよ。 行かないと駄目なんですよね」
違うんだ。 行ってはいけない。 行けば洗脳魔法で誤魔化して騙し騙しやっていくことになるだけだ。
エルの魔力の限界、消費魔力が自然回復する魔力を超えてしまったら……。 それまで隠していたエルの自責が自己嫌悪が自傷が同時にエルを襲うだろう。
「帰ろう。 とりあえず、今は……」
「僕は大丈夫ですよ?」
「……いや、大丈夫ではない」
失敗した。 エルが自分を認めるどころか……自分の一部を消した。 俺のせいで。
エルの怯えが、自己嫌悪が失われた。
「大丈夫ですって、ピンピンしてますよ?」
「いいから、帰ろう。 一度近くの街まで戻ろう」
嫌がるエルの腕を握って、力付くで引く。
「い、痛いですよ」
俺のせいだ。 取り返しのつかない失敗をしてしまった。
エルを他の人に認めさせて、そのことでエルに自分を認めさせる。 そんな安直な考えから失敗した。
「アキさん? どうしたんですか? 怖い顔をして」
「何でもない。 ……好きだ」
「? ……僕も大好きですよ」
エルの中から大切な物がなくなった。 そんな風に感じる。 エルの小柄な身体を抱き、涙を雨水に当てて誤魔化す。
結局は俺の独り善がりだったらしい。
「……ごめん、エル」
「どうしたんですか?」
歩いて元来た道を戻る。 近寄る魔物は、シールドの破片の投擲によって殺す。
魔物はこんなに弱いのに、エルは何故、あそこまで取り乱して怯えた。
分からない。 俺には分からなかった。
所詮、俺は化け物である。 人が分からない。
俺は何がしたいんだ。 化け物なんだから、化け物のことぐらい分かれよ。
そう思っても口には出せはしない。
「アキさん、怖いんですか?」
エルの言葉。 俺は頷くことも、否定することも出来ずに少女の華奢な肩を抱き寄せる。
「エルは、怖くないのか? ……ああ、そうだったな」
自分で消したのか。
「エルは……。 いや、あとどれぐらいで、日本に向かえるんだ」
「そう遠くないですよ。 一緒に頑張ったら、日本に帰れます」
「そうか」
父親やレイ、酒場のおっさんに……と会っておきたい人物はいるが、エルよりも優先出来るものでもないだろう。
「まぁ、悪いことじゃないな」
「そうですね。
最近気が付いたんですけど、魔力が能力と組み合わせられますよね。 それで大分ショートカット出来そうかと思っていて。 「何でも出来る」らしいので。
瘴気に使ってから魔力も増えていますから」
思った以上に、異世界への移動は近いらしい。 嬉しいはずだが、どうにも歯切れが悪い。
剣の鞘を撫でる。 ……この剣は持っていけないな。
「そうか。 じゃあ、戻りながらレベル上げをするか」
「そうですね。 少ししながら戻った方が……」
エルの言葉は歯切れが悪い。
いや、俺も同じか。 エルは薄く唇を動かした。
「僕は、本当に勇者なんでしょうか」




