歳上の妹という属性④
大山達が去った後の、二人だけの茶会も悪くはない。
二人きりになると、エルは俺のことを申し訳なさそうな目で見る。
理由は分かっている。 昨日のエルが消えかけたことだろう。
汚れを消す能力、自分を汚れと判断すると自身すら消し去る神の力。 エルの強すぎる自己嫌悪がエルを傷つけていて、その事で俺が寝なかったことに責任を感じているらしい。
いや、それだけではないだろう。 昨日、俺も知ったんだ。 エルの気持ちを。
息を吐き出してエルの眼を見る。 透き通る紅色の眼は父親やレイとは違い、美しく澄んでいる。
だが、そんな美しく少女を抱き締める権利は俺にあるのだろうか。 今更ながら、そんな疑問が生じてしまう。
「エルは以前……俺の不幸、母親の不幸を喜んでしまう。 と言っていたな」
エルは小さく未成熟な身体をびくりと震わせる。 落ち着いたかと思うと、薄い胸を俺の身体に押し付けるように抱き締め、上目で俺を見た。
俺でも分かるほど、明確に媚びてきている。 ほとんどない胸だが、情欲が湧かないはずとなく、喉を動かしてしまう。
「あ、アキさん。 ちゅーしましょう。 頭なでなでしてあげますよ?」
分かりやすい話題逸らし。 エルの今の心境は、如何に媚びて、俺に捨てられないようにすることでいっぱいいっぱいなのだろう。
いつもの強い羞恥心を外に追い出すように、手を俺の手に絡めて、薄い胸を俺の腕に押し付ける。
非常に魅力的な誘いに、首を横に振って拒否をする。
「きっと、エルは俺のことが好きなんだろう。 母親のことも」
エルは頭を俺の腕にすりすりと擦り寄らせて、獣が人に媚びるような動作をする。 髪のむずかゆい感覚も合わさり、エルが俺に引っ付いている事実を再認識させられてしまう。 生唾を飲み込む。
小さな消え入るような声。 鈴を転がすような心地よい声がエルの微かな吐息と共に吐き出される。
「お部屋に戻って……えっちなこと、しましょう。 アキさんと……したいんです」
眼を閉じて、エルの言葉を聞かないように努める。
今のエルの言葉は嘘だ。 エルはそういう行為を好かないのは知っている。
性的なことが苦手なのに、本心で自分から誘うなどあり得ない。 よく聞けば声がうわずっているのも分かるほどだ。
俺に媚びへつらって、苦手なことを自分から誘ってまで、娼婦の真似事のようなことをしてまで、捨てられないように、好かれるようにと自分を曲げているのだ。
俺はエルの味方である。 エルのことを一番に思う必要がある。 だから、首を横に振って拒む。
「そんなこと、する必要はない」
以前……俺がエルを押し倒し、組み敷き、無理矢理に身体を動かせないように押さえつけながら、その未成熟な身体を犯したことがあった。
岩の巨人と死闘をしたあとで、気が荒ぶっていたときだ。
あの時とは違う。 それは酷いことだと俺でも分かるほどに乱暴に扱ったが、エルは悦んで受け入れてくれていた。
涙を流して痛がるエルを抑えつけて、暴力に近いようなものだったり、泣き疲れてグッタリと倒れているところに腰を振ったりとしたが、それでもエルは嬉しそうにしていた。
今、俺に媚びるために身体を差し出すのは、本当に望んでいるのだろうかと思えば答えは否だろう。
似ている場面だが、あきらかに違う。
「なんで、ですか。 もう僕はーー」
続く言葉は分かっている。 「いらないんですか」だ。
だから、エルの言葉が言い終わる前に俺は否定の言葉を口にする。
「エルが、好きだから」
そう言うと、エルが俺の顔をじっと見つめてから、にへら、と顔をふやけさせるように表情を緩ませながら、後ろの椅子に倒れ込んだ。
「……好きな人の不幸を望む。 その気持ちがよく分かった。
昨日……エルが消えそうになっていて、俺は喜んだんだ」
困惑の表情を浮かべるエルに、俺は言う。
「軽蔑してくれていい」
エルは唇を震わせて、目から涙を溢す。 ああ、嫌われる。 嫌われてしまう。 だが、それでも……。
そんな覚悟と悲愴を覚えたが、エルの口角はあがり、心底嬉しそうな声をあげた。
「アキさんも、ですか。 アキさんも、僕と一緒で……」
にやにや、あるいはへらへら。 そんな擬態語が相応しいような間の抜けた頭の悪そうな笑み。 けれど、不安も悲しみも何も辛いことがないような、心底幸福だけの笑みを浮かべていた。
「いひひ、そうですか。 アキさんも同じなんですか」
自分の不幸を喜ばれていたのに、嫌悪を覚えるどころか、ただ純粋に喜んでいる。 それが不思議で仕方なく、呆気に取られながら椅子に座り込んだ。
「エルは、軽蔑しないのか?」
「しませんよ。 僕と一緒なんですから。
嬉しいです。 嬉しい。 嬉しくて嬉しくて、なんかもう嬉しいです、本当に嬉しい」
意味が分からない。 けれども喜んでいることだけは分かり、俺も落ち着きを取り戻す。
甘いクッキーを齧りながら、エルの頭に手を伸ばし、髪を梳くように撫でる。
「んぅ……アキさんもダメな人だったんですね」
ダメな人……。 一切否定出来ないが、酷い言い方だ。
そんな言葉を聞いて、思わず笑ってしまう俺は……おそらく人間として欠けているのだろう。
同じように楽しそうに笑うエルも欠けているのだろう。
エルの頭を撫でながら、エルに頭を撫でられる。
俺とエルは似ている。 性格は全然似ていない。 見た目も、身長は40cm近く違う、体重も倍以上あるし、似ている要素はない。 男と女で体の作りも違えば、何もかもが違う。 産まれて育った世界すらも別々である。
けれど、想いは似ている。 同じであるとすら言える。 偶々似た者同士が出会ったのか、あるいは好き合ってるから影響されたのか。 どちらかは分からないが、後者の方が、いい。
「いひひ、一緒にダメになりましょうか」
「……いや、もうダメだろ。 俺たちは」
溜息を吐くように言うと、エルは嬉しそうに頷いた。 ダメと言われて喜ぶ。 そんな笑顔も可愛らしい。
本当に、ダメだ。 エルは本当にどうしようもないぐらいダメな奴だ。
以前、エルに浮かべていた勇気があるとか高潔とか、そんな印象は剥がれていき、アホみたいな顔をして惚けている笑みが上に貼られていく。
「エルってさ、頭悪いよな」
俺の暴言にエルは首を傾げる。 何を今更、とでも言いたげな表情に、呆れる他ない。
「そうですけど?」
「うん。 ああ、そうなんだよ」
不思議そうに俺を見るエル。 可愛い。
本当にダメな人間であることを認識しても、愛には何の代わりもなく、それどころか支えてやりたいという気持ちが強まる。
「いひひー、アキさんアキさん。 好きですよ」
「ああ、知ってるよ」
ダメだけど可愛い。
互いに互いの不幸を喜んでしまう。 自分がいないと生きることすら出来ないことに愛おしさを覚えてしまう。
それがどれほど忌むべきことかは分かっているつもりだ。
自分が一人で立つことすらままならないほどに依存していることも、エルが一人で生きることすら出来ないほどに依存されていることも、自分のダメさとエルのダメさも分かっているが、 それがあまりに甘美で脱げ出すことが出来ない。
撫で、撫でられる。
「ごめん、エル。 俺は良くないことを思っていたみたいだ」
「いいんですよ。 僕も一緒ですから」
やっと、普通の人のように、普通の恋人同士のように微笑み合った。
きっと良くないことなのだろうが……やり通そう。 少なくとも、エルが俺がいなくても大丈夫になるまで、エルが自分のことを好きになるまで……依存し合う関係でもいいだろう。
それまで、それでいい。 それから、エルが俺を必要しなくなったら……どうしたらいいのだろうか。
顔を隠すために、エルの体を引き寄せて抱き締めるように胸に埋めた。




