歳上の妹という属性①
饅頭が怖いという俺の発言を聞いて、エルが不思議そうに首を傾げる。
「饅頭……?」
エルは確かめるように饅頭を手に取り、俺に近づける。
饅頭という物体が近づけられた恐怖で身体がひとりでに後ろに飛び跳ねてしまう。
「……? 大丈夫ですよ、ほら」
饅頭をパクリと食べて、もぐもぐと口を動かす。
「ダメだエル! 死ぬぞ!」
「死にませんからね?」
分かっているはずだが、エルの手から饅頭を取ろうと手を動かしてしまう。 嘘であることは分かっているが、饅頭は食べたら死ぬものと思ってしまっていた。
「……昔からだが、一度駄目だと思ったら……イメージが抜けなくて」
「まあ、アキさんがそういう人なのは分かってますけど。 ……変な嘘は吐かない方が良かったですね、ごめんなさい」
「いや、悪い」
エルが食べていた饅頭を手に取り、口に持っていく。 少し手が震えて、饅頭の匂いに恐怖を覚える。
これは饅頭だけど、エルの唾液が付着したもので……と言い聞かせてから口に含み、飲み込む。
「……うん、普通に美味い」
「無理しなくても……」
饅頭を食べただけで心配されると、逆に不安になってくる。 魔力が多い訳ではないので、嘘でなかったとしても問題はないが。
「いや、大丈夫だ。 ……少し混乱していただけだ」
エルの嘘は嘘と分かっていても、心の奥底では信じてしまっている部分がある。 すぐに薄れるのだろうが、どうしても、信じてしまう。
「……軽率な嘘や冗談は控えますね」
「いや、いい。 悪い」
もう一度謝ってから、ベッドに向かって顔を埋める。 なんとなく、恥ずかしい。
饅頭騒ぎから少しして、エルはエル用の棚からペンと手帳を取り出し、机の上で何かを書き始める。 少し書いてからペラペラと見返してそれを閉じた。
「何を書いていたんだ?」
「んぅ、大したことじゃないですよ。 気にしないでください」
そう言われると気になるというか、エルが俺に何かを隠すことは珍しいので少し興味が惹かれる。
一体何だろうか? エルがメモを必要とするもの……。 記憶力がいいエルにはメモなんて必要がないことに気がつく。 少なくともあれだけすぐに書ける程度の物なら、エルならば覚えようと思えば一年は忘れないだろう。
ならば、メモではなく、手紙……でもなさそうだ。 日記か何かかと思ったが、エルにはそんな習慣はない。
何の想像も付かず、直接見てみることにする。
「エル、良ければ見せてくれないか?」
「んぅ、いいですけど」
薄く笑ったエルから手帳を手渡されたので遠慮なく開く。
一ページ目を見て、表情を歪めてしまう。
「何処の国の言葉……」
俺の知っている言語ではなく、何故か記憶がある日本語でもない。 俺が見たことのないこの世界の言葉をエルが知っているはずがなく……。
「ドイツ語です。 僕のいた世界の、違う国の言葉ですよ。 ……英語ペラペラでデリカシーのないお母さんに隠れて日記を付けるために覚えたんですけど。 まさか異世界で役に立つとは思いませんでした」
ドイツ語……何処かで聞いた覚えのある言葉だ。 エルの顔を見て思い出す。
「……いや、読めるな」
驚愕の表情を浮かべたエルを横目にしながら、新たに紙束を取り出して自身の使い慣れたペンをそれに走らせる。
ドイツ語というのは扱ったことはないが、確か以前……月城との会話で、この世界にそれが伝わっている可能性があることが話されていた。
長い年月からかなり変容しているだろうが、古語の解読のようなものでそれほど大変な作業でもない。
文字の形や文字と文字の間などからどの言語に似ているかを抽出してから、ドイツ語とやらを元にしていそうな言語とそれを使われている地域を練り出す。
地図を開き、周りの国の言葉や、薄くしか知らないその国の沿革を考えて、どれぐらい混じって変容しているのかを逆算する。
「特徴、家系?」
手帳の初めに書かれている言葉に目星をつけるが、余計に内容が分からなくなった。 タイトルらしきものさえ分かれば作業もはかどるのだが……。
そこで、エルに手帳を取られる。
「解読しないでください。 いや、本当に……熱意が怖いです」
「だから、それほど大変な作業でもない。 元々知っている言語の元になってる奴で、文法も単語も半数近くは分かっているから」
「……古文みたいなものですか?
何にせよ、解読されるのはものすごく恥ずかしいので止めてください。 書いてる内容なら言うので……」
エルはため息を吐き出してから「なんでこんなところだけ賢いんですか。 ……偏りすぎだと思います」と愚痴をこぼす。
「書いてるのは、アキさん達の、エンブルク家の特徴をまとめたものです。 失礼かと思ったので隠してたんです。 すみません」
「失礼?」
「いえ、気にしてないならいいんです。
えと、細かい内容はおいて、概要を話しますね。
まず初めに……これを書いてる目的は、僕がアキさんのことを知りたいからというのもあるんですけど、一番は次に召喚される勇者のためです」
「次に召喚される勇者?」
俺が尋ねるとエルは頷きながら答えた。
「はい。 多分、魔王がいなくなってもエンブルク家は続きます。 勇者が召喚された場合、遅かれ早かれ……エンブルク家と関わることになると思います」
「なんでだ?」
「強いからです。 こちらの本家のアキさん、レイさん、お義父さんは勿論のことですけど、分家の方も普通の方に比べると比較にならないぐらい魔力が多かったです。
それがこれからも続いた場合、絶対に助力が求められます」
買い被りではないかとも思ったが、エルは大真面目に言っているらしい。
エルは続ける。
「それで、普通の人間とは違う特徴が多いので、知らずに接すると痛い目に遭いそうだと思いまして。
ドイツ語の理由は、月城さんに見られたら悪用されそうなので……」
ああ、あいつは何故か父親に好意を抱いているからな。
「分かった。 それでどんな特徴があるんだ?」
「んぅ、簡単に纏めると、まず全体を通した特徴として、瘴気に侵されやすいのと、その……言いにくいことですけど、人と上手く関われなかったり、お勉強が苦手だったりってことです」
エルの言葉に頷く。 確かにそういう特徴はある。
俺も父親もレイも人と関わるのが上手くなく、勉強はレイはかなりマシだが、出来る方ではない。 親戚連中も同じようなものだろう。
「次にエンブルク家だけではないですけど、アークヒューマンになった方、アーク化した人の特徴で、便宜的に二つの形に分けてます。
アーク化した方はまず目が紅くなる一段階目と、髪も変わる二段階に分けています。 一段階目はレイさんや僕、二段階目はアキさんやお義父さんですね。
それで、アーク化した人を二種類に分けて、一型は魔力の量が多くて身体機能は人並みの魔法使い型、二型は魔力の量は普通で身体機能が優れている戦士型。
一型はお義父さんを始めにしたほとんどの人ですね。 二型はアキさんと……グラウさん」
難しくて眠くなってきたが、軽く頭を掻いて目を覚まさせる。
それからも長くエルの話は続き、長細く切られた紙を俺に見せて口を開く。
「アキさん、チョキにしてください。
その間に紙が落ちるようにするので、僕が手を離したらチョキを閉じて紙を掴んでくださいね」
「何の意味があるんだ?」
エルに言われたように指を二本出して、間に紙が入れられる。
少ししてエルが紙を離したので、それを指を閉じて掴む。 同じことを何度かして、エルは頷く。
「これ、僕の元いた世界だったら、絶対に出来ないことなんです」
「ん? いや、簡単だったが」
「この長さの紙が指の間を抜けていく速さは、人間の反応出来る速さを越えていて、神経の伝達速度的に不可能なはずなんです。
重力も物の落ちる速さなどから大まかに把握できますが、元の世界と大きな違いはなさそうです」
「……つまりどういうことだ?」
「アキさんは、生命活動の根本から普通の生き物と違います。 あらゆる反応が早いんだと思います」
エルは俺の掴んでいる紙を見て、そこに引かれた線を見た。
感嘆の声を吐き出して、数字をブツブツと呟く。
「人の反射よりも、早いですね」
それがどれほどの意味があるのか、俺には分からなかった。




