饅頭怖い⑦
「まぁ、後で呼んでくる。 馬車で酔ってしまって、宿で休んでんだ」
雨夜 樹に会いに来たという大山の前に紅茶が出される。
ミルクも何も入れずに、そのまま飲んで顔を顰めた。
「渋いな。 んでな、俺が会いに来た理由はこれなんだ。
世界貢献度……どういう基準かも分からないし、どれぐらい信用出来るのかも分からないが、それの第一位が雨夜樹だったわけだ」
貢献度。 どれほど世界を救う手助けとなったか、ということだろう。
エルの偉業を思えば、それも納得である。
多くの魔物を打ち倒し、魔物を発生する元から減らす。 それでこの国から魔物の恐怖を消して、今も世界を救おうと奮闘中だ。
一位というのも納得である。
「でも……確かに僕は雨夜 樹ではあるんですけど、雨夜樹ではないというか」
エルは少し戸惑ったように言う。
「その名前って、どういう基準なんですか? 本名も違いますし……僕の場合どれが本名になるのかは分からないですけど」
「分からないな」
大山は茶を啜ってから、湯気になる息を吐き出した。
自分の能力も把握しきれていないような言葉に眉を顰めて見るが、大山は首を横に振る。
「さっきも言ったが、記述には誤りがある。少なくとも、神の視点……第三者の客観的な真実が書かれたようなものではない。
普通では考えられないような間違いも時々見つかるぐらいだし、勇争記録の記述の中だけでも矛盾点があることもあった」
「信用出来ないって、ことか」
俺が尋ねると大山はやはり首を横に振る。
「一切信用出来ないわけじゃない。
大半の記述は本当のようだしな。 ただ、過信したら足元を掬われる。
大まかな内容を把握して、事実かどうかはココだな」
手で脚を叩いて笑う。
役に立つのか立たないのか、よく分からない能力だな。
そもそも、敵対する相手ではないはずの勇者のことを知っても出来ることは少なそうだ。
エルも情報交換に会いたがることはあるが、必死になって行うほど必要なものでもない。
「とりあえず、エルの欄……雨夜樹について書いてるところを見せてくれないか」
「ああ、間違いがあったら訂正してくれると助かる」
「……間違いだらけなんですが。 ちょっとお借りしてもいいですか?」
エルは本を捲って内容を確認していく。 細かい文字に惹かれて横から見てみるが、知らない勇者の情報なんて興味は出ない。
「ありました」
鈴を転がすような高い声、それに釣られて本を見ると知らない名前が載っていた。 いや、半分は知っている。
「雨夜って、エルの、名前か?」
エルは頷く。 ドンピシャか。 それはエルも当然拒否してもおかしくないな。
「……まぁ、そういうことです。この名前を名乗ったら、お母さんへの裏切りになるかもしれないと思って……。 今更ですけど」
「そうか。 俺もそこ見たいから、少し見せてくれ」
「……アキさんに見られるのは恥ずかしいんですけど。 んぅ、アキさん……変なこと書いてないですよね」
大山から許可を得てエルから受け取る。
先程の雨夜 樹の欄とは違い、明らかにエルについて書かれていて、少し妙に思いながらもエルのことを書いているページを読む。
「世界貢献度……低いな。 どういう理屈だよこれ」
「世界貢献度は多分魔物を倒すと増えて、間接的にでも人を減らすと減る。 あと、補助魔法とかで倒す人の補助をしても少しは増えるみたいだ。 多分だけど」
だからか。 エルは世界を救うレベルの偉業をしていて可愛いが、魔物を倒した数はなく、補助魔法も俺の補助程度だ。
基準がおかしいので、順位が低くてもおかしくない。
どんどんエルの欄を見ていくが、既知の情報しかなく、それも大した情報が書かれていないので面白いものでもない。
「ついでにロトのところも見とくか」
以前に聞いたレベルよりも高くなっていて、世界貢献度もかなり高い。 割と魔物を狩るのが趣味みたいなところがあったので一応納得だが。
書いてある位置情報から、順調に進んでいることを把握して安堵の息が漏れる。
安全になったこの国とは違い、他国には魔物が多い。 その上、あいつは好戦的なので早死にしそうだった。 生きてると知れてよかった。
「だが、エルが雨夜 樹ではないとしたら、誰が雨夜 樹なんだ」
エルと月城ではない。 レイは産まれたときから知っている。 俺も産まれたときの記憶こそないが、この世界で産まれたことは間違いない。
「アキさん、ではないでしょうか」
「俺? いや、俺はこの世界で産まれたことは間違いない」
エルは首を縦に振って肯定してから、俺の胸をトンと触れた。
「魔石って、何なのですか。
瘴気が固まって出来る物で、瘴気は人から生まれる、瘴気には瘴気魔法や魔物になるようにーー知性があるのかもしれないです」
「まさか。 だとしたら俺の中に」
「僕の義兄に当たる人『雨夜 樹』さんがいるのかも、しれないです」
エルの言葉に釣られるように、胸の奥が酷く疼く。
雨夜樹、雨夜樹、雨夜樹、アマヨ イツキ、あまよ いつき。 俺の頭の中で反響するように何度も繰り返される。
目の奥から引きずり出されるように、男の泣き顔が見える。
自身の根幹が揺さぶられるような中で、ヤケに明るい月城の声が聞こえた。
「つまり、アキくんはエルちゃんの歳下の義兄?
エルちゃんは歳上のロリロリ義妹……!」
緊張感のない言葉に言葉を失くすが、代わりに少し気が楽になる。
「……これ、返すな」
「ああ、なんか話してたが、どういうことだ?」
「大したことではない。 続きを話そう」
俺の中に雨夜樹がいたとしても、俺がアキレアであることには違いはない。 むしろ、エルに「お兄ちゃん」などと呼ばれる希望が出てきたぐらいだ。
「アキさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ?」
「顔が、真っ白ですけど」
エルに手を握られて、暖かさに気がつく。 それほど身体が冷えていたのか。
気がつくと酷く寒いことに気がつく。 俺の前にある紅茶を手に取って、口の中に押し込む。
「少し、驚いた」
エルに両手で手を温められながら弱音を吐き出す。
自分が自分とは別になるような感覚に陥り、嚥下した紅茶がヤケに熱い。
「少し部屋に戻りますか? 僕も一緒に戻りますから」
「……悪い」
「えと……すみません。 大山さん。
……体調が優れないので、後日でいいでしょうか?
予定が詰まっているようなら、こちらから伺いますから」
大山は頷き、紅茶を飲み干す。
「じゃあ、明日にでもまた来る。 なんか悪いことをしたのか」
そう言ってから立ち上がる。 ケトはそれに付き添うように後ろに着き、部屋から出て行く。
「大丈夫ですか? アキさん」
もう弱い俺を知っている人しかおらず、無駄に気を張る必要もなかった。
「少し……怖く思った」
知らない筈の男の顔が、頭の中に張り付くようだ。
エルにふらついてもいない身体を支えられながら私室に戻った。




