饅頭怖い④
今脱いでいった方のエルの服でも抱きしめようかと部屋の中に入り、服を探す。
床を見渡し、ベッドの上、クローゼットの中……と順に見ていくが、見当たらない。 まさかと思いながら、そこら中を漁り尽くすが、存在しない。
エルに持っていかれたようだ。
「やべえ」
小さく呟く。 これから明日まで、エル成分なしで過ごさないとダメなのか……。 旅の時に使われていた毛布を取り出してみるが、すでに浄化されていて匂いは少しも残っていない。
溜息を吐き出して、覗きに行くことを決意する。 とりあえず、エルに魔力の感知がされないように放出しておく。
大量のシールドを生み出しては消して、体から魔力を吐き出す。 身体から魔力を発し終えて、窓を開けて窓の縁を掴んで外に出る。
音が出ないように腕の力で隣の部屋の窓まで飛んで、縁を掴む。
特に音を立てることもなく移動することを確認したので、窓の縁を伝って月城の部屋にまで向かう。
「兄さん、何をしてるんですか?」
「うおっ! おぉ……レイか、驚かせるな」
「いや、驚いてるのは僕ですけどね、そんなところに張り付いて何をしているんです? 蝉ごっこ?」
「いや、少しな」
蝉ごっこって何なのだろうか。 適当にレイの問いから逃れて、月城の部屋の前にまでくる。
壁一枚挟んでいるのでバレないと思うが、エルは耳が異常に良いので息を潜めておく。
目を閉じて、中の会話に耳を傾ける。
「ーーで、アキさんが泣いて僕の胸に抱きついてきて、すごく可愛かったんです」
「……さっきからダメなエピソードしかないんだけど。 エルたん、大丈夫なの? 今更心配になってきたよ。 ダメンズ好きなの?」
「ダメンズ……懐かしい言葉……。 いえ、別にそんなダメってほどダメでも……。
優しいですし、かっこいいですし、強いですし、僕のことを一途に好いてくれます。 それに一応、いいところの長子ですよ?」
よく分からないが、褒めてくれているらしい。
嬉しくて抱きしめにいきたいが、我慢しよう。
「でも、優しいのもエルたんにだけだし、いいところって言っても……エンブルクはちょっと」
「まぁ……否定はしませんけど、最近は他の人にも優しくしたりしてるんですよ?
意外と義理堅いところもあります」
「でも、さっき聞いた好きなところはダメなところばかりだよね。 甘えん坊だったり、泣き虫だったり、アホだったり……絶対ダメなところが好きだよね」
「いえ、そんなことは……。 それを言うなら、月城さんも、アキさんのお父さん好きじゃないですか」
エンブルク家への評価が酷い。
だが、事実として頭が悪く、性格も同じように悪いというのもある。
特に父親は性格が悪い。 魔法使いとして最高位、いや、世界一の魔法大国で群を抜いての一番の魔法使いなので、最強の存在なので尊敬はしているが、性格は悪い。
俺よりも頭も悪く、性格も悪い。
先祖の爺さんは頭が悪すぎて性格がいいのか悪いのかの判断も付かない。 親戚連中はまともに会話するのが難しいので判断出来ない。 レイは……頭はいいが、性格は悪い。
月城とエルの評価も尤もなものだ。
というか、こうやってぶら下がりながら盗み聞きしている時点で否定は難しい。
「ヴァイスさん、そんなにダメな人じゃあ……ないよ? うん」
「せめて確信を持ってくださいよ……。 んぅ、僕も人に偉そうに言えるほど出来た人間ではないので、ダメな人だから好きってわけじゃないです。 僕の方がダメですから」
「エルたんのがダメってことは絶対にない。 アキくんは日本に来たらバイトも無理そう」
「僕が養うので無問題です」
……日本に行きたくなくなってきたな。 養われる方なのか……。
エルを働きに出させるのは嫌だな。 何か方法はないだろうか。 剣闘士とかあればいいが。
「エルたんも働けるかな……。 体格的に事務とかも難しそう。 普通の机で仕事とか無理でしょ」
「いけますよ。 学校でも合った大きさの机がないから、みんなと同じの使ってるじゃないですか」
「でも、椅子の上に踏み台置いて使ってるよね。 色々不便そうだけど」
「んぅ……まぁ、それほど不便でもないですよ。 冬場にはあの座ってる箱の中にカイロとか入れてぬくぬくしてますし、夏場も保冷剤とかで冷やしたりしてますから」
「えっ、便座と同じ仕様だったの?」
「その言い方はなんか嫌ですね。
……多分、普通に働けますよ。 身体が小さいだけですから」
「難しいと思うよ。 ……アキくんを連れて行けるなら、金貨とか持ち込めないの?」
話はどんどん俺の着いていけない話になるので、退屈をしながらエルの声を聞き続ける。 日本についてはエルの説明である程度分かっていたつもりだったが、まだ日本人同士の会話が分かるほどではなかったようだ。
既知の者同士が語る内容は当然のように省略が多く、俺には分からないものが多い。 分からない話を聞き続けていたら寒さで手がかじかんできたので、そろそろ一度身体を温めに戻ろうか。
「それで文化祭で……あ、戻ったら五月だからアキくんも呼べるんだ、文化祭」
「あ、いいですね。 文化祭って、一年生の時も二年生の時も一人で……だったんで、楽しみです」
文化祭か。 エルと一緒に回ることを想像してーーーー。
腰に痛みを覚える。 大きな音がなったことに気がついて、先ほどまでいた窓を見上げれば、エルが身を乗り出して、飛び降りた。
エルの身体を受け止めようとすると、受け止めるより先に魔法で落下速度が緩み、ゆっくりと俺の腕に収まる。
「大丈夫ですか!? 身体もこんなに冷えて……」
エルの言葉に反応することも出来ずに、身体が固まる。 冷えたせいではなく、頭が混乱しているからだ。
俺はなんで……エルと文化祭を回る場面を想像出来た。
「アキさん? えっ、大丈夫ですよね? 意識も、ありますよね?」
「あ、ああ、悪い。 少し考えごとをしていて」
盗み聞きをしていたこともバレてしまったかもしれないな。 そんなどうでもいいことを考えてから、自身の記憶の混濁について思考する。
エルから丁寧に教えてもらった知識で、多少日本については知っているのは事実だ。 けれど、当然その景色は見たことなく、想像することは出来ないはずだ。
おそらく、エルの言葉から想像された景色かもしれないが、やけに生々しい光景が目の裏に浮かぶ。
「なぁ、エル。 少し見てほしいものがあるんだ」
冷えた身体を、エルの身体に温められながら屋敷の中に入り、月城の部屋にまで向かう。
部屋に入ると月城は呆れたような表情をしながら尖らせた口を開く。
「……アキくん。 覗きはダメだと思う」
「盗み聞きだ」
「どっちにしてもだよ」
月城に謝罪をしてから、月城からエルの着ていた異世界の制服を受け取る。 月城、いい人である、優しい。
紙とペンを取り出して、文化祭という単語を聞いたときに想像された景色を描いていく。
「アキくん絵上手いね……って、それ……」
適当なところで書き終えたが、やはり絵の意味が分からない。
想像から書いたとすれば……この絵にある「文字」はなんだ。 少なくとも俺が知っている言語の中には存在しない。
「……なんでアキさんが、これを書けるんですか?」
「分からない」
「だって、これ……教えてない日本語まで……」
『たこ焼き』という、なんと読むのかすら分からない文字を見て、頭の中が揺れるような感覚がする。
分かるはずがない。 記憶にあるはずがない、光景、文字。
それが勝手な妄想ではないことは、月城とエルの言葉から分かった。
「なぁエル……俺は、どうなっている」
あり得ない記憶が、異質な思い出が俺の頭の中に存在していた。




