饅頭怖い③
酒場の主人は俺の顔を見て小さく笑みを浮かべる。 軽く頷いたところを見てから、買っていた本を読む。
シールド以外の魔法が使えないことは知っているはずなのに、何故わざわざ買ってまで俺は読んでいるのか。
癖やら落ち着くやらと言ってしまえば、それだけのことかもしれないが、もしかしたらこういった物を読むのを好いているのかもしれない。 そんなことを思いながらページを開く。
「本とか読むんだな。 意外だな、脳筋かと思ってた」
「ああ、まぁな。 本を読むのは嫌いではないな」
俺自身も今気がついたことだ。 三輪はもう一冊の勇者の本を手に取り、捲っていく。
「おっちゃん、俺も同じのを」
仲良く飯を食うなんて気にはなれないが、ここで乱闘騒ぎや喧嘩を起こすわけにもいかず、気にしないようにしてページを捲っていく。
ミルクとパン。 その二つが出され、俺は本を置いてその料理を食べる。
「しばらく見ない内に随分と逞しくなったな」
「ああ、飯も普通に食えるようになってな。 走りまわっていたら知らない内に力も付いた」
懐かしい味がというわけでもないが、少し思い出が蘇る味に安心して時間を過ごす。
パンの油で汚れた手を拭いて、本を読んでいると三輪が顔を顰めて、こちらを一瞥する。
「なぁ、ルト。 雨夜って、この世界に来てから一年も経ってないよな」
「ん、ああ。 たしか、半年と少しぐらいだな」
「……んで、この本の話は千年前」
三輪は捲っていた本を俺に向ける。
何がおかしいのか、訝しげにそれを見て読んでいく。
一瞬、目を見開き、閉じて目を擦る。 千年前の勇者について書かれた本では、あり得ない記述があった。
「この本の主人公が、アマヨ イツキ? いや、そんな……あり得ないだろう」
「同姓同名……?」
頭を捻っている三輪から本を奪い取って、目を開きながら読み込んでいく。
雨夜 樹。 エルが俺と出会ったときの名前で、偽名。
この本の主人公の名前、雨夜 樹は……一応、エルの義理の兄に当たる、エルの義理の母の、いなくなった息子だったはずだ。
金をカウンターに置いて立ち上がる。
「おい、ルト」
「悪いな、戻る」
「いや、金がないから俺の分も頼む」
とりあえず、金を置いてから酒場の扉を開けて、本を片手に持って家に向かって走る。
人の間をすり抜けて、走って、走って。 ふと、立ち止まる。
俺はこれをエルに見せて、何を行うのだろうか。
そもそも、これをエルが見る必要があるのか。 エルに何を思ってほしいのか。 何と反応してほしいのか。
褒めてほしいのが本音だが、それは置いておくとして、エルのためになるとはあまり思えない。
エルからして「雨夜 樹」とはどういう人物だ。
一切面識のない義理の兄で、普通に死んだものと思っていた。
大好きな母親に愛されたくて、エルはそのフリをして愛されようとしていたんだ。 そして、母親はその目論見に嵌り、エルを雨夜 樹だと思って過ごしてきた。
エルは……雨夜 樹のことを憎らしく思っていないのだろうか。 欲しかった母親の愛はそいつにだけ向けられていて、自分のところにはこない。
恨んでいる可能性すらあり得るような気がする。
「どうするべきなんだろうか」
隠した方がいいのか、エルに伝えるべきなのか。 知ってしまえば、思い出して辛い思いをするかもしれない。
知るべきのような気もするが、エルの曇った表情はもう見たくない。
少なくとも……月城が帰るまでは隠していた方がいいだろう。
徒歩で帰路に着いて、自室に戻る。 自室の中に綺麗に畳まれたエルの着ていた服があるのに気がつく。
十中八九、月城に頼まれて着替えたのだろう。
代わりに無くなっている服からして、異世界にいた時のエルが着ていた制服というのを今着ているらしい。
それに興味も出るが、待っていたら見ることも出来るだろう。 ベッドの縁に腰掛けてエルの帰りを待つ。
本を捲って、雨夜樹について書かれた記述を読む。 千年もの時を経ているため、どれほど信用出来るかは分からないが。
しばらく読み耽ってから、そろそろ夜になるかと外を見る。 まだ太陽は高く、ほとんど時間が経っていないように見える。
また本を読んでから外を見るが、太陽は高い。
おかしい。 なんで時間が経っていないんだ。 何が起こっている、このままだといつまで経ってもエルに会えないではないか。
他の勇者の攻撃を受けているのではないかと思えるぐらいに時の流れが遅い。 ついでに本を読む早さもゆっくりだ。
体感時間だけが引き伸ばされているような違和感に表情を歪めるが、時が正常になることはない。
だから仕方ないことである。 ゆっくりと立ち上がりエルの着ていた服に手を伸ばす。
畳み方や置いてある場所をしっかりと覚えたあとに引っつかんで、慣れた手触りを確かめる。 確かにエルが着ていたもので、それを顔に近付けて鼻から空気を吸い込む。
エルが戻ってくるときに同じ形にして戻せばバレることはないだろう。
エルの匂いだ。 落ち着かなかった気持ちが落ち着いてくるのが分かり、顔を埋めたまま一息吐き出す。
初めから我慢せずにこうしていれば良かった。
心地の良い匂いを嗅ぎながらベッドの上に倒れ込んで、目を閉じる。 眠気が増してきて、目を閉じた。
「アキさん、アキさん! 離してください、着替えますから……」
「ん、エル……?」
寂しさを紛らわすための睡眠を終えて目を開けると、エルの顔が見える。
小さな力で持っている物を引っ張られる感覚を怪訝に思いながら離すと、エルが安心したように息を吐き出した。
「んぅ、その……本当に僕がいなくて大丈夫ですか? こんなぐしゃぐしゃになるまで強く握って……」
エルの手にはいつもの服が握られていて、あのまま寝過ごしてしまったことを思い出す。
「あ、悪い。 ……大丈夫だ。 一日ぐらい」
「いいですけど。 アキさんが僕の服に変なことをするのも今更ですから」
今更……まぁ確かに。 許されたのならありがたいので否定はせずに頷く。
「着替えるので、寝起きのところ悪いのですが、少し部屋の外に出てもらえませんか?」
「……いや、散々裸も見ているんだし、着替え見ても……」
「駄目です。 そういう問題じゃないですから」
エルに部屋から追い出されて、部屋の外でスルスルという衣擦れの音を聞きながら待つ。
衣擦れの音が聞こえなくなってから扉が開いて、エルの姿が見える。
「少し、しゃがんでください」
エルの言葉に従うと、頬に息がかかり、エルの尖らせた唇が頬に付く。
柔らかな感触に顔が歪むのを感じていると、柔らかな唇の中からエルの舌が出てきて俺の頬を舐める。
先もそうだったが、これはどういうことなのだろうか。 異世界では愛する者へのキスはこういうものなのか。 俺も舐め返してもいいのかな。
ぺろぺろと頬を舐められてるむずかゆい感覚が続き、エルは満足したのか口を離す。
「……いや、その…………あれです。 わざとではないんです。 さっきも、アキさんへのご褒美的なつもりで、あれがそれだったんです。
少し耐えられなくて……すみません」
「いや、嫌ではなかったが」
逃げるように駆けて行ったエルを見ながら、濡れた頬を手で触って、口に運ぶ。
やはり、あれは異世界でもおかしな行動だったのか。
今更の話だが、エルは少し変わっているような気がする。 それも月城やロトや、勇者の村の連中と比べての話だが、愛情表現が変わっているというか。 女の子なのに一人称が「僕」だったりと、理由も分かっていて似合っているのでいいが、人と違うところがあるような気がする。




