饅頭怖い①
黒髪の男が中空に手をかざし、まるで本を開くかのように動かした。
その手草に世界が従うように開かれた本が出現する。 黒髪の男はその本の名を呼んだ。
「勇争記録」
明らかな「あり得ない」こと。 それは酒場の喧騒に紛れて、誰にも気が付かれずに流れていく。
黒髪の男は目に書けた眼鏡を軽く持ち上げ直してから、本を眺める。
勇者、階級は人付き。 魔王の討伐にある程度は有用な力を持っていると判定された彼の能力だが、その能力は明確に弱い。 いや、正確に言えば戦闘に扱うことはほとんど出来ない代物だった。
頬杖をついて身体を落ち着けさせると、そのページを一枚捲る。 夥しいほどの情報量にため息を吐きながらも、男は指で追っている文字を見逃さないように刺して本を読み進める。
男は日本にいた時から本を読むようなものではなかった。
幼少期から暴れん坊で身体が大きく落ち着きがない。 それは幼少期を過ぎ、小学生、中学生、高校生と辿っても変わることはなく、より一層に机や椅子から遠ざかり、球やらを追いかけるだけの時間を過ごしていた。
飽き性なことも相まって、同じスポーツに長い時間を掛けて打ち込むことも出来ず。 いつしか自分が最も得意としている得意な運動でさえ、一つのスポーツに打ち込んでいた者には勝てなくなっていた。
運動能力も高く、努力もしている。 しかしながら、それを誇ることが出来るだけの一つがないのが彼の正体だ。
ゆえに、彼は逃げたくなった。 勉強も出来ない、友人も少なく、恋人もいない。 趣味は身体を鍛えることと雑多な運動。
才気あふれるガキ大将だった自分は少し前までいたのに、もういない。 世で通じる能力は何もなく、気がついた頃には就職を迫られていた。
それが嫌で仕方なく、勇者となった。
それなのに、手に入れた能力は本を生み出す力。
文字も細かく、言葉も小難しい。 笑える四コマもなければ息抜きになる物もほとんどない。
それでも読むことは必要なことで、幾つかの事柄を手元の手帳に書き写していく。
その後、最も見やすく見る頻度の多いページを捲る。
『勇争ランキング【世界貢献度
第一位:雨夜 樹ーーーー』
一番取っ付きやすい、分かり易いランキング欄。 いつ見ても変わらない上位欄を読み飛ばしながら、最下部付近に名前のある者達を確認する。
世界に貢献していない。 否、世界に悪影響を与えている者達の名前だ。
それを確認した後に、自身の手帳に書き写し、勇者個別のプロフィール欄を見る。 写真でもあれば分かり易いが、それもないただの文章による要領の得ない容姿の説明に溜息を吐いて、能力の確認をする。
要領の得ないプロフィールを自分の分かり易いように手帳に纏めていく。
世界貢献度ランキング、ワースト一位
氏名:「瀬名 咲人」
能力名:「軽くて不遜な視界」
能力説明:視認を現実に変える力
階級:国付きの勇者
魔力:500
性別:男
身長:174
体重:78
戦闘:能力一辺倒の戦い。 自身で製造した銃も使う
それ以上は必要ないかと、本を閉じて消す。 手帳を見れば、その男の強さ、あるいは弱みが纏められていて、戦うときに気をつける留意点まで事細やかに書かれている。
手元にある墨や発煙筒、着火用閃光弾、それと火種に、黒く塗られた剣。
暗くなってきた今日の夜は、月のない新月の日。 この酒場やその周りの歓楽街こそ明るくもあるが、他は光も星明かりのみで、真っ暗と言える。
目を閉じていても、変わらずに歩けることを確認しながら城へと進む。 硫黄くさい場所に入り混んで、閃光弾と発煙筒を握り込む。
ザルな警備を掻い潜り、城の敷地内に一つだけぽつんとある家を見る。 閃光弾に火を付けて、その窓ガラスに向かって投げつける。目を閉じて後ろを向いて手で目を覆う。
男の叫び声を聞いて、発煙筒に火を付けてから小屋の中に入り込んだ。
閃光弾の焼けた金属の匂いに顔を顰めながら、蹲りながらも銃を握り込む男の音を聞く。 灯りのない新月の日に黒い煙を炊いていれば視覚も何もなく、男が能力を使うことはないことに安心しながら、剣を引き抜いて男を突き刺す。
何度か突き刺して殺した後に、閃光弾の燃殻を回収して、発煙筒の火を止めてからその場を後にした。
光がないはずなのに、後ろの小屋から光が漏れ出る。
「楽な運動だったな」
そう呟いてから、闇夜に紛れるように城から脱出を計る。 塀を容易によじ登り、血の付いた衣服に魔法を掛けて、血を落とす。
日本のような科学的な捜査もなく、脚の着かない逃げ方も多くある。
「ロール、待たせたな」
「……いえ、別に」
男は道の端に立っていた金髪の男に話しかけ、金髪の男から荷物を受け取る。
「次は、ランキングが上の方の奴に声をかけてみることにするか。 ここからなら……都合良く、一位の奴にそこそこ近いな」
手帳を閉じて、次の行き先を決めた。
「行くか」
男は満足気に頷いてから歩き始めた。
◆◆◆◆◆◆
木彫りゴブリン。 それをレイに渡して、歪められた表情を見てから、月城には饅頭を渡す。
「ゴブリン饅頭……美味しくなさそう」
「中身は普通のお饅頭ですよ、形がちょっとアレなだけで」
エルはそう言ってから、それと同じものを大量にケトに渡した。
「これ、その、皆さんで食べていただければ」
「はい、ありがとうございます」
前に見た時よりも血色が良い……というか太って見える彼女は嬉しそうに頷いた。
レイの目が饅頭にいっている。
「僕もそちらの方が良かったです」
「魔力が多い人が食べたら死にますよ?」
不平を言うレイに、エルは饅頭の箱を触りながら言った。
「えっ」
「えっ」
俺とレイが同時に驚き、驚いている俺たちを他所にエルは続ける。
「実際、僕も食べて死んだので……食べない方がいいかと」
「えっ、エル死んだのか!?」
「……はい。 まぁそういうことですね」
エルはこともなさげにそう言って、レイに饅頭の箱を渡そうとする。
「欲しければ、どうぞ」
「い、いや、いらないです。 いらない」
レイはそう言ってから首を横に振り、饅頭の箱から逃げる。
月城の手に饅頭の箱を戻してから、俺の方に手を伸ばす。
「二人とも、相変わらずだね」
月城は嬉しそうに言ってから、饅頭の箱から饅頭を取り出して顔を顰める。
「……料理の見た目は大切だね。 顔が怖いよ」
相変わらずか。 相変わらずのように見えるのも悪くないが、何も変わらずにいられたわけでもない。
「相変わらずでもない。 色々、変わることは変わった」
「……そっか。 私は、お饅頭じゃなくてレイくんの木彫りゴブリンの方が良かったな。 ……冗談」
異世界に持って帰ることは出来ないのだから、残らないものの方がいいと思って食物にしたが……。それはそういう意味なのだろうか。
あるいは引き止めてほしかったのか。 どうあったとしても、もう土産を買い直すことは出来ない。
「……今から、買い直してきましょうか?」
「冗談だって、ちょっとだけ言いたかっただけ。
……私も変わった方がいいのかなって」
月城はそう言ってから、饅頭を口に運ぶ。
「饅頭怖い、饅頭怖い」
饅頭に怯えているレイに食べかけの饅頭を近寄らせて遊んだりしてから、月城は俺を見た。
「痛いのも怖いのも嫌だから、エルちゃんに痛みを消してもらって、アキくんに斬ってもらいたいんだけど」
「ああ」
それが約束だった。 俺はエルの反応を伺うことなく頷いた。
「ありがとね」
明日、月城を斬る。 一応、エルの魔法を疑うわけではないが、俺の方でも痛みや恐怖がないように剣の手入れをしておこう。




