血風は獣を誘うか④
遠くで森が焼ける様は夕焼けにも少し似ている。生木の燃える白い煙を見ながら、やはり似ていないと思い直した。
何時間も燃え続けていて、逃げられることはなさそうだが、森が焼け尽きるまでに時間がかかりそうだ。
「少し待てって、あと何時間だよ」
文句を付けるように言うが、予定通りに進んでいてクロに過失も何もないことは分かっている。 エルと会いたいだけの我儘だ。
「早くて、三時間ぐらいだろう」
実質は四時間ぐらいか。 エルが今も泣いているとなれば気が気じゃなくなるが、八つ当たりをしても仕方がない。
口からまた血を吐き出して、高みへと朽ちゆく刃の使用で傷んだ身体を撫でる。
「お前がいてくれて助かった。 俺一人だと逃げられていたかもしれない」
「そうか? 一人でも充分に狩れそうだったが」
クロは首を横に振る。 理由を尋ねても、これ以上共闘する予定はないので意味はないか。
昨日、夜中歩き通していたので、眠気がしてきた。 三時間か。
「ペンギン、何かあったら起こしてくれ。 少し寝る」
「ペンギン」
快諾の返事が聞けたので、立てた膝に頭を乗せて目を閉じる。 外で寝るのは少し抵抗があるが、剣を握っていれば少しは落ち着く。
何も考えないようにしている内に、眠っていた。
◆◆◆◆◆
「この世界で死にたい?」
老いてしゃがれ声は怪訝そうに尋ねた。
自殺をしたいなんて、正気とは思えない。 勇者という存在は死ねば元にいた世界に戻り、元の生活に戻っていくものだ。
どうしようもなくて、死ぬのならばまだ分かる。 普通に自殺をする者ぐらい珍しいがいる。
だが、元の世界という逃げ道があって尚、この世界で死にたいというのは妙であった。
変な奴だと思いながらも老人はその問いに答えるだけだ。 勇者がこの世界で死ぬ方法を。
「まぁ、私は問いに答えることだけだ。
そういう存在だから、問いに答えるだけだ」
年老いた手が伸びて、俺の手を掴む。
「勇者は、かの女神の支配下にある。
かの女神は温厚な性格故に無理矢理働かせたりなどはしないが、その彼女でも自身の眷属の自害は許せるものではない」
トントンと、シワだらけの手で男の手を叩く。
「方法は三つある。
一つは、元の世界に帰ることで勇者を辞める。
一つは、女神よりも強い力を得て、勇者を超えて神と至る。
一つは、女神を騙くらかして眷属を辞める」
「可能なのか?」
「常道では不可能だね。
人の寿命は短い。 神に至るのには、女神の用意した能力と経験を奪う力を使ってもなれるものではない。 それはあくまでも女神の力であり、人の力ではないから。
単純に……最低で1000年程度それぐらいの年月を重ねる必要がある」
人の寿命は50歳ほどだ。 治癒魔法などで延命をすれば幾らでも伸びるが、自然状態ならば長くても70年。
不可能と言っていいだろう。
「……どうしたらいい」
「その問いには答えられないね。
質問として、不適切だ。君が行いたいことは君だけのものであって、私が決めることではない」
「どうやったら、生きられるのかを聞いている」
男は静かに怒気を含めた声を老人に向ける。 老人はそんな言葉に反応もせずに、煙草を咥えて火を点けた。
「不味いんだよね。 煙草の味も、長く生きると飽きてきて」
「どうでもいい」
老人の止める声も、男には通じない。
老人曰く、問いに答えるだけの存在であるために遠回しに避けるように伝えたが、男の死にたいという意思は固かった。
それ以上の制止は老人の存在から外れる。 老人は答えた。
「その答えはもう君の中にはある。
人は生きられなければ、人を辞めたらいい」
老人の言葉に男は頷いた。
◆◆◆◆◆
俺の頬を何かが叩く。 薄く目を開ければ、黒い翼が見えた。
「ペンギン」
「……ああ、ありがとう。 もう時間か?」
身体が冷えているかと思ったが、毛布が被せられていてそれほど寒くもない。
ペンギンが掛けてくれたのかと一瞬思ったが、クロがしてくれたのだろう。 そんな優しい奴には見えないが、人は見かけによらないものだ。
そうというかペンギンが毛布を掛けることが出来る訳がなかった。
「まだ少し時間がかかるが、身体を解しておけ」
「分かった。 これ、ありがとう」
「いや、それはシュバルツがしたやつだ」
ペンギンかよ。
軽くペンギンの頭を撫でる。 ……黒くて白くて小さいって、少しエルと似ている気がする。
軽く持って抱きしめてみる。
「獣臭い」
立ち上がって、身体を動かす。 火はまだ残っているようだが、炎竜のいた森火事の中心部には大きな火は見えず、ある程度近寄っても問題はなさそうだ。
「随分早く燃えたな」
「今日は風が強い。 あの森は魔力を持った草木が多いからな。 炎竜の炎は魔力を燃やす、それに加えて季節も季節だ」
魔力を燃やす炎? もう試しようがないが、どういう理屈だろうか。
なんとかその炎を採取出来たら炎魔法擬きが使えるかもしれない。 いや、使い道はないので必要もないか。
クロは目を細めて遠くを見つめる。
大弓を持ち矢を番えて、その弦を強く引く。
何をするつもりか。 それは分かるが、正気とは思えない。
クロの見つめる方を見てみるが、焼けた森が見えるだけで何も見ることは出来ない。
「……疾ッ!」
矢が放たれるが、山なりに飛んで行っていること以外には視認すら出来ない。
矢を放った男は背中に大弓を戻して、いつの間にか戻っていた馬に乗る。
「おそらく完全に仕留めた。 死亡を確認するために近くによるから、護衛を頼む」
「ああ」
もし人がいたら燃えてるよな。 等と思ったが、炎竜がいて、冬なのに異常に暑い森の中に警戒もなく入る奴なんていないよな。
まぁ、いても逃げることぐらいは出来るか。
一応、焼けている人間がいないかを警戒しながら焼けた森の中を進む。 少なくとも焼けた人間の姿を見ることはなく、炎竜の元にまできた。
俺の斬り裂いた脚は火に焼かれる事もなく地面に転がっている。
その遠くに竜の姿が見え、必死に逃げようとしていたことが分かった。 おそらく、この首に刺さっている矢がトドメとなったのだろう。
「楽な仕事だったな」
俺がそう言うと、クロは首を振る。
「おそらく死んでいるが、一応頼む」
剣を抜き、ペンギンが変身した板に乗っているクロの前を歩く。 竜には知性がある。
死んだフリをして襲ってくる可能性も考えられた。
俺が目と鼻の先にまでやってきても動く気配はなく、剣の腹で竜の顔を叩いた。
「動かないな」
クロは剣を握りしめながら竜に近寄り、竜の眼を触る。 少し頷いたあとに、一枚鱗を剥いで下の皮膚に剣の刃を這わせる。
「死亡を確認。 あとは金を貰えば終わりだ」
「運んだりしなくていいのか?」
「ああ、運んで傷付けるよりも、最初から人に任せた方が稼ぎが増える」
あくまでも傭兵であり、商売ではないと付け加えた。
「傭兵というよりかは、狩人だな」
「いや、本職は傭兵だ。 この狩りも、その仕事に使う金のためのものだ」
本職のために金を稼ぐ必要がある。 それは、本職が狩人で、趣味が傭兵なのではないだろうか。
趣味が傭兵……いや、それはおかしいのか。
「とりあえず、人を呼ぶか。 斥候をしている奴が近くにいるから、そいつに声を掛ければいいだろう」
「燃えたりしてないよな」
「そんなに近くない。 危ないだろうが。
俺は呼んでくるから、シュバルツと待っていてくれ」
「ああ、分かった」
行きと同じ速さで戻れば、金を貰って指輪を買っても夕方には戻れるだろう。 竜の横に座ってペンギンを膝の上に乗せてクロの背中を見る。
少し待っていると、ペンギンがエルに見えてきた。
エルと同じように黒くて白くて暖かくて小さい。
「獣臭い」
抱きしめてみて、嫌な臭いがしたので離す。
早くエルに会いたい。




