血風は獣を誘うか③
強い魔力に怯える心。 それが意味を成さないほどに俺が強いという自信。
人の心が打ち勝ち、軽く笑みを浮かべて剣を持つ。
熱気に押されて、上着を脱ごうとするが、クロに止められる。
「風で舞った枝に斬られるぞ。 無用な怪我はしたくないだろう」
「ペンギン」
ああ、エルがいないから回復手段がないのか。 そうなると、ペンギンも裸だが、大丈夫なのだろうか。
「先ず、手始めに速攻を掛ける。
翼の付け根、あるいは脚を中心に狙い、空を飛ぶことを防ぐ。 その後は一度近くからは離脱。
半時間ほどかけて身体を冷ましてから、弱り始めた竜を遠くから狙い撃つ」
「分かった」
「俺も本筋ではないが、一応シュバルツがいるおかげで近接でもある程度は動くことが出来る。 俺とシュバルツは気にせずに作戦を遂行してくれ。
シュバルツ、弐の型だ」
クロは作戦と呼ぶには大雑把な行動を決めて、ペンギンに命令をする。
暑さに参っていたペンギンは嬉々として頷いた。
「ペンギン」
ペンギンは発光し始める。魔力は感じられず、勇者の能力が発動されたことを知る。
どこかエルの浄化の光とは似た明るさ。 その光が晴れるとともに、中から白と黒のそれが見えた。
「……板?」
「ああ、これは後ろから氷水を吹き出すことが出来て、乗ると移動に便利だ」
「いや、それは分かったが、ペンギンはどこに行った?」
「これがそれだ」
クロがコツコツと板を叩いて言った。 それに応えるように板が鳴く。
「ペンギン」
勇者の能力は色々と見てきたつもりだが……流石にこれはおかしいだろう。
なんでペンギンが板になっているんだ。 そして何故口もないのに受け答えが出来るのか。
疑問がフツフツと湧いて出てくるが、後回しにすることにした。 深く考えていると頭がおかしくなりそうだ。
「ちなみに、この状態でもシュバルツは魔法を発動することが出来る。 氷水を出すのは魔法じゃないので、無制限に使えると考えてくれていい」
「……ああ、じゃあ行くか」
クロは馬を近くの木に結び付けて、ペンギン板の上に乗る。 深く考える必要はない。 いつもと変わらずに近寄って斬ればいいだけだ。
同時に駆ける。魔力を感じ、近寄るほどに熱を感じれば、いやでも竜の位置が分かる。
感じたのは俺だけではないらしく、まだ目視すら出来ていない竜から魔力の塊が放たれるのを感じる。
「クロ、くるぞ!」
横に跳ね飛び、クロの姿を確認してからまた駆けて、剣を握り締めた。
森の中で邪魔な木の枝を斬り裂き、蹴り割って最短最速で進む。 後ろで木々が燃えているのを感じながら、クロのことや森を気にすることを止めて一歩踏み込む。
目視出来る、そう思ったときに火が見えた。 赤く美しい炎をまるで衣服のように纏っている竜の姿に、一瞬だけ目を奪われる。
それほどまでに竜の衣は幻想的だった。
だが、そんなことはどうでも良かった。 狩るものの美醜など、何の価値も持たない。
魔物のそれとは違う、知性を持った黒い瞳が俺の姿を捉えた。 動物よりかは、人に近しい。
明確な知能を持っていて、その眼が面白そうに俺を見つめつ嘲笑う。
ーー人の、紛い物か。
言葉。
紛い物の竜である赤竜でさえ操れていたのだから、それよりも賢く強大なこの竜とに操れないはずもない。
竜の息を吸い込む動作。 身体の重心を低くし、獣のような体勢で疾走する。 まだ、四式での高速移動では辿り着かないほどには遠い。
火炎が竜の口から放射される。 扇状に広がるそれを、大回りをして避けて通る。 火には当たっていない唇がチリチリと焼ける感覚がしてきた。
クロの言う通り、脚を斬れば退却する方が良さそうだ。
長居は出来ない。 竜の纏う炎に向かい、飛び込む。 身体が焼ける感覚がするよりも早く、あるいは実際に燃やされることすらあり得ないような早さで剣を振るう。
斬った感覚すら残らないはずが、重いと感じた。 エルがいないので精神的なブレがあり完璧な技ではなくなっているはずだが、それでも生物の身体程度に重いと感じさせられた。
そのまま剣を振り抜いて脚を断ち切る。
脚の断面から火が吹き出しているのを見てから飛び退く。
「血が燃えているのか?」
竜から流れ出る血液が赤く燃え盛り、飛び散ったそれに触れた首元が酷く熱い。 俺が引くのと同時に、竜の脚に幾つもの矢が突き刺さった。
矢どころか、軌跡が見えなかった? どれほどの速度だ。
叫び声をあげながら倒れる竜から身を退けさせて、遠くにいるクロの元に駆ける。
「あんなもんでいいか?」
「ああ、直ぐに離れるぞ」
後ろで爆音が鳴る。 殿代わりにクロの後ろについて、時々飛んでくる木々の破片や火の粉を払いながら後退する。
来た時よりも遥かに上がった気温に顔を顰めながら十分ほど逃げ続けた。
「確かに、一度退いた方がいいな」
あのまま仕留めることも容易だろうが、あのまま戦い続ければ炎に当たらなくとも熱に焼かれてしまいそうだ。 ところどころ火傷しているし、髪や服も焦げている。
「しばらくは近寄れないな。 思ったよりも力の強い竜だ。 木々も焼けていて火事になっているな……いや、燃え尽きてるから案外早いか。
とりあえず休憩にしよう」
クロの言葉に頷く。 脚を斬ったのでマトモに動くことは出来ないだろうし、幾ら生命力の強い生き物とは言えど徐々に弱っていくだろう。
寒い風が吹いて、森に着いていた火がより一層に燃え上がる。 燃え尽きてしまった方が早いので、早くそうしてもらいたい。
クロが荷物から何かを取り出して俺に投げる。 受け取って見れば、少し甘い匂いがする。 豆を乾かして固めたものらしい。
「腹はそれで膨らませておけ」
軽く齧る。 固くてモソモソと乾燥していて、口の中の水分が取られる上に、味も不味く、歯の裏にくっ付いてくる。
「シュバルツはこれな」
生魚を取り出してペンギンに投げ、ペンギンは口でそれを咥えた。
クロも俺の食べている保存食と同じものを食べていて、ペンギンが一番いいものを食べているような気が……まぁどうでもいいか。
火傷のために体力が失われていく気がするが、後は涼しくなるのを待ってトドメを刺してしまえばいいだけだ。
「これで金が入るとは、楽なものだな」
「まぁ、金を稼いでってのには手っ取り早いな。
死ぬこともあり得るから、こんなものだろう」
この程度ならば、グラウとの戦いに比べたら遥かに楽だ。 ……いや、あれは死ぬ可能性はないか。 エルがいたのだし。
何にせよ、この程度ならば死ぬことはないだろう。
「俺もそこそこ腕に覚えがあったが、アキレアはより強いな。 勇者の付き人は皆こうなのか?」
「……師の教えのおかげだ。 あと、俺は勇者の付き人ではなく、普通に知り合っただけだ」
半年と少し前の俺は弱かった。 剣を握ったこともなければ走るのも今より遥かに遅く、体力もない。
今だったら勇者の付き人となるかもしれないが、当時だとあり得ないだろう。
いや、そもそも、強さが基準なのか? クロや父親よりも強いはずのグラウは勇者の付き人ではなかった。
強さではなく、名が知れているかどうかなのだろうか。 だとすると、女神にも限界がしれていることが分かる。
もしかすると、武人と名は売れているけれど大して強くないものが付き人になっているのかもしれないな。
「そうか。 ……こんなに手を尽くしている魔王とは、一体どんな化け物なんだろうか。 勇者は、それほど有用とも思えないが」
確かに勇者に能力を与えてこっちに呼ぶよりも、普通に俺やクロのような物に力を与えた方が手っ取り早い。
そういえば、あまり覚えていないが、エルは何か仮説を立てていたな。 ……何かしらあるんだろう。 俺には分からないが。




