不自然な戦闘
端から見れば馬鹿らしいであろうやり取りを終えて一息吐く。
まともに人間関係を形成したことがなかったせいか、エルと話をするのは非常に不慣れで自身のコミュニケーション能力の低さが際立つようだ。
それでも、エルのことを嫌ったり避けたりをしないのは、こんな俺でも成長している証拠だろうか。
エルを見れば、指先に永続的に浄化を発動させて明かり代わりにしている。 ズボンの上に置かれたもう片方の手には水を発生させる魔道具を握っていて、擦ったりして魔力を送りこもうとしている。 勤勉だ。
「エル、そこに手を置いていたら濡れるぞ」
荷物の木製の粗末なコップを取り出してエルに渡してやる。
エルは何故だか少し驚いた表情を見せて俺の方を見て頰を緩ませながら、いひひと笑う。
「アキさんは、成功すると思ってくれてるんですね」
言われて気がつく。 確かに失敗を疑うことはなかった。
エルの年齢ならばまだ上手くいかなくとも当然なのに、俺はエルにならば出来ると信じきっていた。
期待ではなく、信頼でもない、ある意味で馬鹿馬鹿しくも直感とも呼べるような確信がそこにあった。
それから数分、エルは目を閉じて身体の奥に集中するように魔道具を握る手に力を入れる。
風に草が揺らされる音を聞きながら俺は見ている。 エルの手からゆっくりと、けれど間違いなく一滴の水がコップへと滴り落ちた。
「……でき、ました」
実感がないようにコップの底に垂れた水を眺め、魔道具を横に置いて、空いた手の指先で掬うそれを触れて浄化を発動させる。
その水がなくなっていないことを確かめるために、指先を頰に付けた。
少ししてからやっと実感出来たのか、エルは俺の手を両手で握りそれを振り回して喜びを表現する。
「出来ました! アキさんのおかげです!」
エルは頰を緩ませるあどけない笑みを浮かべ、俺の手を強く握る。
才能があるのだろうか。 なんて何故か自慢気に思ってしまう。
今からでも酒場の主人にでもエルのことを自慢しに行きたいような気分だ。
「俺は、関係ないだろ」
「アキさんが信じてくれたからですよ!」
どういう理屈だよ。そう思ってエルを見れば、本当にそう思っているみたいに俺へと笑いかけている。
エルは嬉しそうにしながら、コツを掴んだのか水を発生させてコップに注いで俺に手渡す。
「はい、どうぞ」
コップの縁に口を付けて少し傾ける。 乾いていた唇に冷たい水がつく。
水というものは完全な無味無臭ではない。 味や匂いこそ薄いが確かにそれは感じられる。
舌の根に冷たさと慣れた水の味を感じ、次の瞬間には水の薄い香りが口の中に広がる。
いつも飲んでいるものと変わらないはずのそれだが、乾いていた喉に入り込む感覚は、焼かれていた表皮が治っていくかのように喉の渇きを癒してくれるようだ。
ーーあぁ、美味い。
一口分の水を飲み終わった後に、口から離すと、思わず口から息が漏れ出る。
温かい息が冷えた口を撫でていく感覚も悪くない。
もう一度飲むと、まだ潤いきっていない口の中や喉の奥に染み込むようで心地がいい。
「アキさん、しょっぱかったりしませんよね?」
不安そうにエルが尋ねてくるのがおかしくて小さく笑ってしまう。
「どんだけ汗っかきなんだよ。 普通に、水だ」
「違いますよ!」
なら気にしなくてもいいのにと思う。 エルは何かと妙なところを気にするせいで、俺もなんとなく気にしてしまう。
もう一度飲んでみるが、やはり塩気はなく普通に水だ。
「美味いよ」
「なんか、話の流れからして変な感じ、です」
そうは言っても嬉しいことは嬉しいのか表情は少しにやけている。
エルの頭を撫でてやり、次の魔法を教えようとすると、狼の遠吠えのような声が聞こえて口が止まる。
「遠い、よな。
じゃあ、魔法について教えるか」
二、三日はかかると思っていたが、直ぐに身に付けてしまったので、まだ説明するための言葉を考えていない。
少し考えてから、感覚でいけるかという発想に至る。
「魔力を手から出せるようになっただろ。 その出した魔力を外で操って形を整えるんだ」
しばらく試行錯誤を繰り返しているエルが、ヒントを得ようと俺に尋ねる。
「コツとかないんですか?」
「俺は……なあ。 外に出た魔力に何もしなければ勝手にシールドに変わるから普通の人のはよく分からんな」
「よく分からないですけど、すごいですね」
褒められているのだと思うが、俺のそれは明らかに足を引っ張っているだけのものだ。
俺の魔力の特性は、高名な魔法使い曰く「火属性魔法が得意な魔法使いが、火属性の魔力に変わりやすい魔力を生まれつき持っている。 君の魔力はそれと同じように無属性のシールドに変質しやすい魔力なのだろう」とのことだった。
直ぐに変質する魔力は俺が火属性に変えようともそれより早く力強く無理矢理シールドの性質へと変化するためにどうしようもない。
エルは少なくとも俺のように異常な性質の魔力を持っていないように見えるので普通に魔法も使えるようになれるだろう。
俺のような性質を持っていなくて本当に良かったと思う。
横目でエルが頑張っているのを眺めていると、また、狼の吠える声が聞こえた。
「近い、ですね。 それに、この音……」
エルの言葉は、外が騒がしくなってきたせいで途切れる。
寝ていても気がついて起き出したらしく、風の音に混じりテントの建てられている方向から話し声や人が動く音が聞こえる。
「狼……が多分」
負けてますよね。
その言葉を後ろに、灯り代わりに火の魔道具を咥え一本の剣を抜き身にし外に出る。
遅れてエルからもう一本の剣を受け取り、魔道具に魔力を送り込んで最低限の視界を確保して耳を澄ませる。
人が発する音に紛れて何も聞こえはしない。
「あっちの方から聞こえます!」
「分かった。 エルは馬車の中に入ってろ。 片付けてくる」
視界が悪ければ守りきれるか不安があるのでエルを無理矢理馬車の中に押し入れ、エルが指差した方向に走る。
何かと何かが戦っているところまで到着し、月明かりと魔道具の灯りを頼りにそれを見る。
聞こえた通りの狼がたくさんと、そのリーダーらしきアークウルフ、それと数匹のオークが争っている。
どこか違和を覚えながら、魔道具の火を消し姿勢を落として隠れながら剣を構える。
何故争っているかは分からないが共倒れになってくれたら楽だ。
「おかしいですね」
不意に後ろから声が聞こえたと思えば、エルが俺の後ろで隠れながら小さく話していた。
「戻れ。 危ないだろうが」
咥えていた魔道具を吐き出してエルに言うが、エルは聞こえないフリをしながら狼とオークの戦いを観察する。
「オークもあの狼も夜行性ではないはずなんです。 だから普通ならこんな時間に戦ってるのはおかしいです。
それにオークはこの時期には群れたりしないらしいんです。 まぁ、オークが出ること自体稀なので情報が間違っているかもしれませんが」
「何かが手引きしているってことか?」
「分かりません。 でも、何かおかしいので気をつけていた方がいいかもです」
そんな話をしている内に決着が着き、全ての狼が倒れ伏せ、三匹のオークが残った。
明らかに双方共に手痛い被害が出ている。 こちらとしては都合のいい状態だが、不自然なそれに警戒してしまう。
「見られました。 きます」
「仕方ないか。 エル、護衛の人達を呼んでこい」
夜目が効かない俺にはほとんど見えないがエルには見えたらしく、俺に知らせる。 急いで魔道具をに火をつけて口に咥える。
オークにやってこられるとエルの近くで戦うことになってしまうのて、こちらから仕掛ける。
エルが走る音を聞き安心してから体勢を下げて剣を振るう。
ある程度の経験を積み、少し戦い方が定まってきたのを実感する。
体勢を下げれば相手の攻撃が当たる部位を減らせるので守りやすく、相手は攻めにくい。
俺自身はどれだけ妙な体勢だろうが難なく動くことが出来るほど器用なので問題がない。
オークが振り下ろした腕を避けながら、ホブゴブリンが持っていた剣でオークの足首にある健を突き刺してオークの体勢を崩し、残りの二体のオークとの間に体勢を崩したオークを挟むことで直進するのを防ぐ。
普通ならばもう戦意を失っているはずなのに、オークは威嚇しながら距離を詰めてくる。
素直に護衛の人達が来るまで待つか。 それとも護衛の人達に任せて俺はもう戻るか……いや、護衛だけでは勝てるかどうか分からないな。
どれほどの実力があるのかは分からないが、夜中にオークの群れと遭遇することを想定しているということはないだろう。
俺一人では難しい。 護衛任せも不安が残るとなれば共闘するしかないか。
少しずつ後ろに下がりながら護衛が来るのを待つ。
不意に、心地の良い風が吹いた。