あまりに我儘なことを一つ⑤
「問題ないそうです」
部屋に入ってきた使用人はすぐにそう言った。 何のことを指しているのかは、俺にでも分かった。
断られることはないのは分かっていたが、そんな二つ返事で良いのだろうか。
まぁ、絵本を渡されて魔物が寄ってくる。 それは悪いことだけではないのだろう。
国に養ってもらって生活をしている立場ではあるが、無限に金が降って湧いてくるわけではない。 魔物が寄ってきて退治すれば、一匹一匹での収入は少なくはあるが、ないよりはマシである。
もしかしたら、魔物の枯渇がこの国の問題になるかもしれないので、魔物を引き寄せる絵本は厄介ものではなくみんなが欲しがるものになるかもしれない。
「ああ、ありがとう」
いや、ただ断って欲しかっただけか。
ロトはやっと荷が降りたように、肩に張っていた力を抜いた。
「ロトとリアナも、ここまで助かった」
「ありがとうございました。 ロトさん、リアナさん」
二人で同じように頭を下げる。 以前は頭を下げるのはあまり好きではなかったが、この二人相手ではそういった抵抗が生まれない。
「どういたしましてー。 んじゃ、ゆっくりしていくのも悪いし、俺達はお暇させていただこうかね。
今からは勇者らしく、魔王退治の旅って感じで」
「こちらこそ……。 様々なことが学べた。 以前よりも遥かに強くなっただろう。 悪くはない旅だった」
そう言ってから、ロトとリアナは俺たちに背を向けた。
遠くに見えるロトの手が挙げられる。 見えはしないだろうが手を振り返して、見えなくなるまでその背を見送った。
小さなため息が俺の口から漏れ出た。 エルは俺の手を引いて言う。
「行きましょうか」
何処か急かすような声に、俺は慌ててエルの手を握り返して屋敷に戻る。 エルの声からは苛立ちが感じられる。
エルが怒ったことは、リクシの一件と……あと少しだけで、だいたいは優しいだけだ。 そのエルが怒っている、何故かは分からない。
手を握ってくれているので、いつもの怒り方とは違ってどうしたらいいのかが分からずに困惑する。
「エル、どうしたんだ?」
ロトとリアナがいなくなった途端に怒り始めた。
分かっているのはそれぐらいで、なんで不機嫌になっているのかも分からない。
「なんでも、ないです。
……いえ、その、すみません」
尋ねて見るが、エルは自分の顔を少し触ったあと俺に謝る。 不満があるわけではないのだが、それを伝えてもエルは俺に謝った。
それでも何処か不満そうなエルと共に親戚に顔だけ見せてから、荷物を纏めて森の外に帰る。
森の中でも走れないわけではないが、走る気分でもなく普通に歩く。
「言えないことなら、言わなくてもいいが」
思い当たりはない。
「いえ……はい。 言えないことなんですけど……アキさんは、僕のことを嫌いになったりしないのなら、その」
エルはそう言ってから「卑怯な言葉ですね」と自分を否定する。
「嫌いになることはない。 だから、エルの気持ちを教えてくれ」
森の中には腐臭が漂っている。 疫病の原因となりそうだが、街からは離れている。 俺の親戚もあの爺さんがいる限りは病死はあり得ないだろうから問題はない。
そんな腐臭がなくなり、エルが浄化を使ったことが分かる。
「アキさんが、構ってくれなかったので。 ヤキモチを焼いていたんです。
本当は、アキさんが人に優しくなったことを喜ぶべきなんですけど」
そんな事か。 とは言えず、肩に腕を回してエルの身体を抱き寄せる。 小さな体躯が俺の身体にぴったりとくっ付き、エルは首を傾けて俺の腕に頭も引っ付ける。
「悪かった」
「……いえ、悪いのは僕です。
他の人と話してるだけなのにヤキモチを妬いたりして」
「いや、その気持ちはよく分かるから否定は出来ない。
悪かった。 蔑ろにしていたな」
「んぅ、後で甘えさせてくれたら、いいです」
エルはそう言って頬を俺に擦り付ける。 これは甘えているに入らないのか。
これで甘えていないなら、甘えるときはどれほど触られるのかもしれない。 素肌か、素肌同士でくっつくことになるのだろうか。
思わず生唾を飲み込むが、実際は無理だろう。
エルは性的な行為が好きではない。 頼み込めば、最後以外は何でもさせてくれそうではあるが、嫌がられているのは間違いはないので頼むことも出来ない。 俺の性欲よりもエルの気持ちの方が大切である。
いわゆる性行為は、一度だけしかしていない。 嫌がられるのも大きな理由の一つだが、一番は子供が出来てしまえば困るからだ。
エルと共に日本に行く。 当然のようにそこではエルの生活があるわけで、突然子供を持って帰るわけにはいかないらしい。
仕方ないことだ。 逆に言えば、日本に行くことが出来たらエルを貪ることがいつでもいくらでもか出来るのだと思えば、嫌なことは全部忘れてなくなってしまいそうになる。
いや、ロト達との別れは未だしも、グラウの死は……それでは立ち直れそうとないが。
「……早く、日本に行きたいな」
「僕も、そろそろお母さんが恋しくなってきました。
あっ、アキさんが一番なのは変わらないですからね!」
「……ありがとう」
「あの、お母さんには嫉妬しないでくださいね? 僕、抱きついちゃったりしますけど」
「無理だ。 耐え切れない」
「えぇ……。 いや、僕もアキさんがアキさんのお父さんに抱きついたりしてたら嫌ですけど」
エルは納得したような顔をするが、首を横に振る。
「親子のスキンシップは許してくださいよ。 僕は家族でもアキさんが他の人と触れ合うのは嫌ですけど」
「……我儘だな」
「んぅ、でも……嫌です」
俺もエルが他の人に引っ付くのは嫌だ。 それを言い合っても始まらないので、日本に到着してから言うことにする。
エルが俺の方を向いて、俺に尋ねる。
「アキさんは……もし、すごーく好みの女の子に好きって言われたらどうします?」
「今も似たような状況だろう」
「僕以外の子です」
「そう言われてもな」
ちょっとした雑談のつもりなのかもしれないが、その質問は難しい。 俺にとって、異性として見ることが出来るのはエルぐらいのもので、エル以外と言われても困る。
そんな存在はいない。
「好みの女の子はエルだけだ。 だから、そんなの言われても困る」
「んぅ、じゃあ……僕とロトさん、どちらかしか助けられない場合は、どっちを助けます?」
「エルだな。 エルの指の先とロトでもエルの指の先の方が大切だ」
俺の言葉に、エルは嬉しそうに抱きつく。
「んぅ……もしかしたら、ロトさんの方が大切なのかもって、思ってしまって。
比べるのは駄目だと分かっているんですけど」
エルの質問は続く。
「僕と世界、どっちが大切ですか?」
「エルだな」
俺が答えるたびに、エルが嬉しそうにする。 前は開け広げな好意を苦手としていたが、何か考え方が変わったのだろうか。
森を出るまでの間、ずっとエルに質問され続けた。




